第6話
西側の山に、ゆっくりと太陽が沈んでいく。
空が青からオレンジ、やがて真紅に変わる。雪に覆われていた山肌も、それらを映し出す街中央の大きな湖も、燃えるような赤に染まる。まるで、街全体が炎に包まれたかのようだ。自然が作り出すその印象的な景色は、この街がエリーデ・ネルア――古代エルフ語で「火鳥の寝床」――と呼ばれている由来だった。
しかし、太陽が完全に沈みきるとその景色も一変し、街は黒一色の「深遠なる闇」に包まれた。
湖のほとりに、アンジュがたたずんでいる。
ボートの波止場らしい木製の桟橋に座って、水面すれすれまで垂らした両脚をブラブラとさせている。うつむいた顔は、夜空に浮かぶ大きな月や星々を映す湖面ではなく、そのさらに奥――昼間でも光の届かない湖底を見ているようだ。
呪いのせいもあってか、周囲に人影はない。水が揺れるかすかな音を伴奏に、ときおり魚が湖面を跳ねる音が、アクセントのように聞こえていた。
宿屋の店主から話を聞き、アンジュは状況を理解した。
ハルマの「白い光の呪い」によって、彼女は太陽が出ている間、屋外に出られなくなってしまった。
解呪技術が未熟なアンジュは当然として、この町に住んでいる聖職者でも、彼の「呪い」を解くことはできないらしい。その性質から、町の外に助けを呼びに行くのもかなり危険だ。こんな辺境の地に、解呪が得意な誰かがフラリとやってくることも、そうそうないだろう。
聖女であり、大抵の呪いなら解呪できるアンジュの母親がこの状況を知れば、なんとかしてくれるかもしれないが……。今のアンジュは、聖女修行で全国各地を旅している、ということになっている。だから、長期間アンジュからの連絡がなかったとしても、きっと母は不思議に思わないだろう。救助は期待できない。
つまり。もしかしたらアンジュは、これからずっと太陽の光を見ることができないかもしれないのだ。まるでアンデッドモンスターか、人間の生き血をすすって生きているという闇の眷属のように。一生、闇の中に紛れて生きていかなくてはいけないかもしれない。
そのくらい、今の自分は恐ろしい「呪い」を受けてしまった……なのに。
今の彼女の頭にあったのは、その「呪い」とは別のことだった。
「マウシィ……」
意識を取り戻してからも、ずっとアンジュの頭の中を占めていたのは、マウシィのことだった。
助けに来たはずの彼女から、拒絶された。マウシィは、自分ではなく「死の呪い」を与えてくれるハルマを選んだ。
もしも……自分があのときちゃんと「想い」を伝えることができたなら、結果は違っていたかもしれない。だって、最初に会った時にマウシィが言っていたことが真実なら、「強い想いがあれば、呪いにだって打ち勝てる」はずなのだから。
きっとあのときの自分には、「想い」の力が足りなかったのだ。わざわざここまで彼女を追いかけて来たのに。自分の「想い」は、「呪い」に負けてしまう程度だった。
それを、マウシィに見抜かれてしまったのだ。
アンジュの瞳から、ジワっと涙がにじむ。それは悲しさではなく、悔しさの涙だ。
顔をうつむいていたせいで、その涙は引き寄せられるように静かに自由落下をし、湖の水の一部となって溶けてしまった。
やがて。
「さて……と」
座っていた波止場から、彼女は立ち上がる。
「もう、こんな終わったことをいつまでも考えていても仕方ないわよね? これからどうするのかを、考えなくちゃ」
内容は前向きなはずなのに、実際には、彼女の心はどこにも向いていない。空虚な言葉だ。
そんな「思ってもいないこと」をつぶやいた彼女は、くるりと湖に背を向け、ずんずん歩き出す。突然の桟橋がきしむ音に驚いたのか、近くで休んでいたらしい数羽の鳥たちが飛び立ち、湖の端から端を横切っていく。
しかし、未だに全く気持ちを切り替えられていなかったアンジュは、何も気にしていなかった。
「だって……太陽の日を浴びたら死ぬほど苦しくなるなんて、普通じゃないもの! あー! これからが、大変だわー!」
誰に聞かせるでもない言葉をつぶやきながら、店主の男が部屋を用意してくれた宿屋に戻ろうとしていた。
「これから一生日焼け対策しなくていいのが、唯一のメリットかしら? でも、夏の海でワタシの水着姿が見られなくなっちゃうのは、人類にとって大きな損失じゃない⁉ 世界中の人に幸せを与える聖女としては、申し訳ないわねっ!」
そんな調子だったので。自分で自分を誤魔化すことに必死だった彼女は注意散漫になり、やはり、気付いていなかった。
その人物が、手が届くほどすぐそばまで来ていたことに。
「あっれー⁉ やっぱ、アンジュちゃんだよねー⁉ うっわー、こんなとこで会えちゃうなんて、すっごい偶然! ってゆーか、もはや運命じゃね⁉ なんつってー! ウケるー」
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