第五話

「う……」


 目を開けると、見慣れない部屋の天井があった。

 薄暗い室内。ぼんやりとしたランプの光が揺れている。

 ここは、どこだろう……?


 ベッドの上に横になっているようだ。経緯は分からないが、自分は眠っていたのだろうか。ということは、さっきまでのことは……夢?

 いや……。

 そんなことがあり得ないということは、分かっていた。

 さっきのことは、全て現実だ。

 マウシィに拒絶されたこと。自分が「呪い」を受けたこと。そして、マウシィから最後に言われた「質問」に答えられず、結果として彼女を裏切ってしまったこと……。それらは、紛れもなく現実の世界で起こったことだ。


 ベッドから起きようと、ゆっくりと体を動かす。

「っつぅ……」

 体中から、悲鳴を上げるような節々の痛みを感じる。

 しかし、それは意識を失う前の死の危険を感じるような体の不調に比べたら、だいぶ普通の痛みだった。


「……ああ、起きたか?」

 そこで、部屋の入口のところから声が聞こえた。体を起こし、その声の方に顔を向ける。

 そこには、無精髭を生やした短髪の中年男性がいた。


「ア、アナタは?」

「あんた、旅人か? 運が悪かったな、こんな町に迷い込んじまって。しかも、ハルマから呪いまで受けちまうなんてな」

 愛想はないが、けして悪意があるような態度ではない。その男はアンジュの寝ていたベッドのそばまで来ると、慣れた様子で部屋を照らしていたランプの燃料を継ぎ足していた。

「まあ……あのまま教会の前で気絶したままだったら、そのくらいじゃあ済んでなかったからな。そういう意味じゃあ、不幸中の幸いだ」

「気絶……」

 右手の平に、黒く固まった血がこびりついている。倒れる前の吐血のあとだろう。やはり、さっきまでのことはすべて現実だったらしい。あれから、どれくらい経ったのだろう?

 外の様子が気になったアンジュは、厚いカーテンを閉め切っていた窓のところに行って、それを開けようと手をかけた。

 だが、

「やめておいたほうがいい」

 その男に真剣な表情でそう言われて、その手を止めざるをえなくなった。

「あんた、『白い光の呪い』だろ? 今はまだ外は明るい。またぶっ倒れたいのか?」


 その男――実はそこは宿屋で、男はその宿屋の店主だった――は、ハルマに掛けられた「呪い」で気絶してしまったアンジュを、自分の宿屋まで連れてきて介抱してくれたらしい。

 彼はそれから、アンジュをリビング兼宿屋の受付カウンターのような場所に案内し、これまでのことを説明してくれた。




「あいつは……ハルマは、血も涙もない悪魔だ」

 それは、町に来る前に聞いていた内容――血異人のハルマが怪しげな宗教団体を率いてこの町に「呪い」をかけたという話――を、具体的に補足するようなものだった。

「突然この町にやってきたあいつは、林業が盛んなこの町のことを、自然を破壊する罪人とかぬかしやがって……。この町の住人に『三つの呪い』をかけて、俺達を分断しちまったのさ」



 湖を囲う町エリーデ・ネルアは、

 商店などが立ち並ぶ商業地域、

 一般の町人が暮らす居住区、

 森が近く、それに関連した職人や労働者が暮らしている林業地域、

 の大きく三つの部分に分けることができる。


 この町に現れたハルマはその三地域の住民たちに一つずつ、三種類の呪いを掛けた。

『深遠なる闇の呪い』

『鮮血の如き暁と黄昏の呪い』

 そしてアンジュに掛けられたのと同じ

『白き裁きの光の呪い』だ。

 それらは、「空が呪いで指定された色になったときに、呪われた人物の体に深刻なダメージを与える」というものだった。


 その呪いによって、町人は自由に外を出歩くことが出来なくなった。

 林業を生業なりわいとする職人たちの多くは「白い光の呪い」を掛けられ、太陽が出ている間に外に出ると、死ぬほどの苦しみを受けるようになった。日が沈んだあとならば問題ないため、昼夜を逆転させて夜に森に入ろうともしたらしいが……。その時間は魔物や危険な野生動物も活発になるため、結局諦めるしかなかったらしい。


 商業施設に働く人たちは「深遠なる闇の呪い」を掛けられしまい、本来ならば稼ぎどきとも言える夜に外に出られなくなった。それによって町全体がどんどん活気を失い、急速に寂れているらしい。


「うちの宿屋は居住区の近くだからな。まだ、マシなほうだ……」

 そう語る宿屋の店主を始めとした、居住区の住人が掛けられたのは「鮮血の呪い」――空が血の色に染まったときにダメージをうけるようになった。

 ただ、この呪いについては、太陽が上りきったあと、及び町の周囲の山際に沈む前の、昼間のうちは自由に出歩ける。そういう意味では、多くの一般人にとっては今までの生活リズムと変わらず対応出来て、被害は少ないと言えるかもしれないが……。

 しかし、「もうすぐ日が沈む……」「そうなったら、呪いによって死ぬほどのダメージを受ける……」と考えるだけでも、確実に恐怖心は生まれる。まだ明るいうちでも落ち着かず、常に空を気にするようになるだろう。

 結局、空がどんな色になっていてもその影響を受けない建物の中にいるのが安全ということで。多くの町人は、窓やドアを締め切って家に引きこもってしまっているのだそうだ。


「……くそっ! 俺たちが何をしたっていうんだっ!」

 溜まっていた鬱憤うっぷんを晴らすように、宿屋のテーブルを叩く店主。部屋のローソクの火が、その振動で消えてしまいそうなほど大きく揺れる。

「俺たちはただ、その日その日を真面目に生きてきただけだ! 木だって必要な分しか切ってない。自然破壊なんて言われて、こんな『呪い』を受ける筋合いなんてないはずだろ⁉」

「え、ええ……」

 アンジュも、それには同意だった。


 こんな、大自然に囲まれた人口百人程度の辺境の町でどれだけ周囲の木を切ったしたところで、そんなものは微々たるものだろう。むしろ、森や山というのは人が適切に管理して計画的に伐採したほうが、生態系も豊かな状態で長続きするという話も聞いたことがある。町の人たちのこれまでの日々の暮らしは、決して責められるようなものではないはずだ。

 そういった事情も知らずに、表面的な浅い知識だけを振りかざして過激な抗議活動をする「自称自然保護団体」が最近増えていて、問題になっているらしい。反科学系宗教団体の「鳳凰の眼」も、その一つと言われている。

 なのに……そんな自分勝手なエセ自然保護者たちの主張が「神の怒り」となって、この町の人たちを「呪って」いる……? それが血異人のハルマの力なのだと言われれば、そこまでだが……。それにしても、何か違和感がある。

「ああ、すまない」

 そんなことを考えてアンジュが黙ってしまっていたのを、さっき声を荒らげたことに怯えていると思ったのか。さっきまで血が上っていた宿屋の店主は気持ちを落ち着け、「あんたにこんなこと言っても、仕方なかったな」とバツの悪そうな顔で謝罪してくれた。


「この町の人間で協力すれば……ハルマも、それに従う教徒たちも、なんとでも出来るはずなんだ。この町には、戦える人間は四十人くらいいる。あいつらも数としては四十弱ってとこだが……別にやつら戦士でもなんでもないし、こっちには肉体労働で鍛えてる職人や、武器を持った自警団だっている。戦える奴らで正面からぶつかれば、きっと制圧できるだろう。だが、」

「『呪い』によって外を出歩ける時間を制限されているから、そもそも町人同士で協力が出来ない……ということね」

「ああ……。さすがに戦力に二倍も差があると、うかつに手は出せねぇよ。あいつらに逆らって、呪いを追加されちまったやつもいるしな。みんなビビっちまって、大人しくあいつらの言うとおりするしかなくなっちまってるんだ」


 異なる時間にペナルティを与える「三つの呪い」は、町人たちが結託することを困難にした。

 昼間は外に出られない者と、夜に外に出られない者がどこかに集合しようと思っても、それは容易なことではない。その集合時間や場所を連絡するだけでも、活動可能時間が重なっていない者たちでは手間も時間もかかってしまって現実的ではないのだ。


 つまり、町はその宿屋の男が言うようにハルマによって分断され、支配されていたのだった。

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