第14話

「ん、んん……」

 アンジュが目を覚ます。

 体を動かすと、ギシギシと木のきしむ音がした。いつの間にか、ベッドの上で寝ていたようだ。少し硬すぎるベッドマットのせいで体が痺れているが、気分はそれほど悪くない。


 物が少ない質素な室内には、壁際の棚に並ぶ薬品の匂いに混じって、うっすらとお香の匂いが漂っている。

「ここは……教会?」

 聖女を母に持つというルーツのせいか、そこがレディアベルにある教会の医務室ということは、すぐに理解できた。しかし、自分がここまでやってきた記憶はない。

 気絶した後、誰かが連れてきてくれたのだろう。

 でも、誰が? というか、あの子は……。


 すると、そこで、

「あ、起きたー?」

 という、気の抜ける声が聞こえてきた。

「なっ⁉」

 それは、さっきアンジュの精神をとらえていた人物。この街の神隠し事件の犯人……血異人のラブリだった。


「な、なんでアンタがっ⁉」

 警戒して、ベッドから飛び起きる。

 しかし、相手のラブリの方にはそんな緊張感は皆無で、

「いっやー……ここに来る前にアンジュちゃん、あーしちゃんのことぶん殴ったじゃん? あ。それは全然、気にしなくていーんよ⁉ いーんだけど、さー……。実はあのとき、あーしちゃんが一瞬気を失ったせいで、使ってたテイムが全部解除されちゃったみたいでー。そのせいで、テイムしてたみんなが一気に元に戻っちゃってー。そしたらみんな、なぜかいきなりキレて、あーしちゃんのこと捕まえようとしたんだよー⁉ えー、ひどくなーい? あーしはただ、みんなと友だちになりたかっただけなのにー。みんなだって、『楽しいだけの世界』を見れてハッピーだったはずなのにー……ぴえーん。

仕方ないから、今までずっと、いろんなとこを逃げ回っててー。今は、この部屋に隠れてるんだー」

 なんて言っている。相変わらずの、天然ギャル少女だ。

「……ふん」

 話を聞いているうちに、アンジュはそんな彼女を警戒するのがバカバカしくなってしまった。彼女は、最初に会ったミナトのような根っからの悪人というわけではなく、常識がなくて浅慮なだけの、普通の若者なのだ。そんな彼女ならきっと、もう無闇に能力を使って誰かの精神をとらえたりはしないだろう。


「ちなみにアンジュちゃんは、マウシィちゃんがここまで連れてきてくれたみたいだよー? そんときにここの司祭さんに頼んで、アンジュちゃんがかかってた呪いも解呪してくれたっぽいー」

「そ、そう……」

 今の体調の良さから、すでに自分の体から猛毒の呪いがなくなっていることは、分かっていた。気を失う前は自分の首を絞めようとしていた呪いの人形も、もういない。だからその言葉は真実なのだろう。

 それには特に興味を示さず、アンジュは周囲を見回す。

「じゃ、じゃあ……マウシィも、近くにいるのよね? 彼女の呪いも司祭様に解いてもらって……今はきっと、どこか別の部屋で休んでいるってことね?」

 それは、言葉通りの質問と言うよりは、根拠もなく感じていた「何か嫌な予感」を払拭して、安心するための確認作業だ。

 それに対して、ラブリはあっさりと首を振った。

「あの子なら、とっくに出発しちゃったよー?」

「は、はぁっ⁉」

「いっやー。マウシィちゃんの呪いって、やっぱりすっごい強力らしくってさー。その呪いを解呪しようとして返ってきただけの、いわば『呪いの無料お試し版』みたいなアンジュちゃんのならまだしもー。『ノーカット完全保存版』なあの子の呪いは、この辺の地方教会の司祭じゃあ、どうにもならないらしんだわー。だからあの子は、相変わらず呪われたままー……」

「ちょ、ちょっと待って!」

 喋っている途中のラブリに詰め寄る。

「あの子は、どこに行くって⁉ このワタシに勝手に……一人で、どこに行っちゃったのよっ⁉」

「ちょ、ちょいちょいちょい……」

 強引なアンジュに、焦るラブリ。逃げるように彼女から少し距離を置いて、言った。


「もー、何ー? マウシィちゃんが向かったのは、ここから南西に行ったところにある町……エリーデ・ネルアってとこだよー。そこに、あーしちゃんのクラスメイトのチートがいるって教えてあげたからねー」

「血異人……?」

「そ。ちなみにその子が持ってるスキルは……呪い。その子、他人を呪うことができるスキル持ちなんだってー。だから、呪い好きのマウシィちゃんに言ったらウケるかなーって思って世間話感覚で言ったら、彼女、猛ダッシュで出て行っちゃったんだよー」

「な、何よ……それ……」

 それを聞いたアンジュは、脱力してその場に崩れ落ちてしまった。




     *




 湖を取り囲む町、エリーデ・ネルア。その片隅に、小さな廃城がたたずんでいる。

 すっかり日が落ちて、辺りは夜のとばりに包まれている。主を失って今は誰もいないはずのその城内も、本来ならば、塗りつぶしたような黒一色に支配されていたはずだ。

 しかし今は、その広間に松明の光が妖しく揺れていた。


「ソォリィ……エェフ……ソォリィ……エェフ……」

 そこには、人間の体にニワトリの頭が付いたような不気味な格好をした、数十人の男女がいた。揺らめく炎の光に照らされながら、広間の中心を空けて円を描くように立っている。

「ソォリィ……エェフ……ソォリィ……エェフ……」

 呪文のように発している言葉は、彼らが信仰する神の名だ。

 それは、太陽神ソリエフを崇めるソリエフ教系宗教団体、「鳳凰の眼」の儀式の様子だった。



「あ、あうぅ……あ、うううぅ……」

 ニワトリ頭の教徒たちが囲む円の中央には、いつものボロ雑巾のような格好をしたマウシィ。そして、それよりもずっと上質な漆黒のローブに身を包んだ、頬のこけた糸目の青年――ラブリが言っていた血異人――ハルマがいた。


「わ、わ、わ、私に『死の呪い』をぉぉ……。あ、あなたの力で、わ、私を、呪ってくださあぁぁぁーいっ!」

 ヨダレを垂らし、うっとりと見とれるような表情のマウシィ。ハルマの脚にしがみつくようにして、懇願する。

「ふ……。まったく、面白い女だ……」

 ハルマはそんな彼女をあざ笑うように、冷ややかな視線を向けている。

「そう、事を急くでないわ……。神の依代である太陽が沈んだ今は、太陽神の力を借りることはできぬ……。明日になり、鮮血の如き暁が漆黒の闇を切り裂き、白き太陽がこの大地を照らしたときに……与えてくれようぞ……。太陽神の裁き……聖なる呪い……。死の、聖絶アナテマをな……」

 それだけ言うと彼は、自分の体からマウシィを冷酷に引き剥がす。そして、取り囲んでいた教徒たちが空けた道を通って、広間の奥へと消えていった。


 残ったのは、

「あ、ああぁ……ありがとうございますぅーっ!」

 恍惚の表情のまま、ハルマの背中に向けられたマウシィの声と、

「ソォリィ……エェフ……ソォリィ……エェフ……」

「ソォリィ……エェフ……ソォリィ……エェフ……」

 ずっと続いている教徒たちの声だけだった。

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