第三章 Out of the same mouth proceedeth blessing, cursing and ...

第一話

「はぁ……はぁ……」


 レディアベルでマウシィの行き先を聞いてから、数日後。

 最初こそ「一刻も早く彼女に追いつかなければ」と気が焦り、部屋を飛び出してしまったが……流石にそんなペースがずっと続くわけもない。今のアンジュは、岩がゴロゴロと転がり、無数の大木が生い茂る険しい山道を、息を切らしながら慎重に進んでいる。服装は、いつも着ていた純白のローブではなく、動きやすい冒険者服。長い金髪は左右のみつあみでまとめ、テントや野営道具を詰めた大きなバッグを背負い、両手には木製のステッキも持っていた。

 急ぎの旅ならば、馬車や、テイマーによる魔物輸送を利用するのがこの世界では一般的だ。だが、それらが使えるのは、進む先が砂利などで舗装されていて安全が保証されている道の場合だけ。今回のように獣や魔物さえも避けるような道なき道を進む場合は、少女のか細い脚でも一歩一歩歩くのが一番早い。

 それは、目的地の町――エリーデ・ネルアがそれだけ人里離れた辺境の町である、ということを意味していた。



 そこは、ほんの二百年前までは存在しなかった町だ。

 もとは、シュエルドラード大陸南西部に横たわるレビ山脈のふもとにあった、小さな湖だった。当時、大陸中央の宗教都市トラウバートから全国に派遣されていた宣教師の一団が、人跡未踏による静けさに神性を見出して、教会を建設して定住するようになったのが始まりだ。

 その後、周囲の森の針葉樹を使った林業が盛んになり、出稼ぎ労働者が増え、それを支える商業も活発になると、町の様相は一変する。もとの静けさなんてなくなり、一時期は湖畔をぐるりと住居や工場、レストランや娯楽施設が埋め尽くすほどに発展したらしい。

 だが、あまりにも急速に発展したことによる森林破壊が、たびたび周囲の山の土砂崩れなどの災害を招いたこと。それに、その頃大陸の外から伝来した新しい建材や建築技術によって木材の需要が減ったことも重なって、町は次第に衰退していく。林業で一財産を築いた成金たちは早々にその町を見捨ててどこかに行ってしまい、彼らが暮らしていた大屋敷や城も取り壊されたり廃墟となってしまう。

 その結果、人や物の行き来も少なくなり、今では百人ほどの住人がほそぼそと暮らすだけの小さな町……むしろ、孤立集落といった方が適切かというレベルにまで落ちぶれてしまったのだった。



「はぁ……」

 荒い呼吸とため息の中間のようなものが、アンジュの口からこぼれる。暦の上ではもう夏と言っていいはずだが、標高が高いせいか空気は肌寒く感じる。吐いた息も白い。


 マウシィも、この道を通ったのだろう。

 呪い以外には、すべてに無頓着な彼女のことだ。きっと、山歩きに必要な装備なんて何も持たず、いつも通りのボロボロの布の服で、無理やり進んでいったに違いない。

 テントも無いだろうし、夜はその辺の草むらで眠ったりしていたのかもしれない。「自分には両親の呪いがあるから、どんな無茶をしても死なないから」なんて言って……。この先に「呪いの能力を持った血異人」がいると聞いて、我慢できなくなって……。

「もう、バカな子……」

 やっぱり、そんな危なかっしい彼女には、自分がそばにいてあげないと……。おせっかいと言われても、彼女には自分が必要で……。

 いや……きっと今では、自分のほうでも彼女のことを……。


 頭の中を、そんな曖昧な考えが巡っては消えていく。それと共に、いやがおうにもアンジュの足は早まってしまう。

 マウシィに出会う前も、彼女はずっと一人で聖女修行の旅をしてきた。だが今のアンジュには、以前の自分がどんなことを考えながら旅をしていたのかを、思い出すことが出来なくなっていた。



 山の中腹にきた。

 それまでずっと山道を覆っていた木々が突然途絶えて、切り立った崖が、自然の展望台のようになっている場所に出る。進行方向の山のふもとには、縦に細長い湖と、その周囲に点々と民家があるのが見える。あれが、目的地のエリーデ・ネルアだ。

 故郷のトラウバートにいた頃に聞いた話だけなら、そこは、数少ない人々が慎ましく暮らしているだけの辺境の村、のはずだが……。

 ここまでの道中で出会った他の冒険者や、立ち寄った集落の住人たちから、現在の町についていくつかの新しい話を聞くことが出来た。


 数年前、自然保護を教義に掲げた過激な宗教団体が町に現れ、今もつつましく林業を続けていた町民たちを「自然を破壊する罪人」と言って、妨害活動をするようになったらしい。最初はそれも、道具を隠したり家に落書きをするなどの「ただの嫌がらせ」レベルだったのだが……。数ヶ月前に現れたハルマという異世界人が教主となってその団体を乗っ取ったことで、それまでの「ただの嫌がらせ」が、凶悪な「呪い」になってしまったらしい。

 その「呪い」の詳細は、町の外にまで出てこないらしく、分からなかった。だが、「呪い」という力を手に入れた教団によって町は完全に支配され、もともとの住人は町を出ることも出来ずに奴隷のような生活を強いられている、とのことだった。



 町の中心に位置する湖の、西側。かつて宣教師が建設したという教会のあたりに、数十人の「白い頭」をした人影が見える。はっきりとは分からないが、ニワトリの頭の形をしているようだ。おそらく、例の宗教団体の教徒たちだろう。

 その集団の中に、小柄な少女がいる。距離が離れているので、やはりその顔までは分からないが……アンジュには、それがマウシィだという確信のようなものがあった。

「……!」


 ここで少し休憩していこうかとも思っていたが、その予定はやめて、アンジュは先を急いだ。

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