第十話 〜アンジュside〜

 場面はまた、精神を囚えられているアンジュの方に戻る。


 キャー、キャー……。

 わー、わー……。

 たくさんの歓声が聞こえる。それらはすべて、アンジュを称賛する声だ。


 周囲には、きらびやかな装飾の内装や、まばゆいばかりの宝石が散りばめられた豪華な家具が見える。天井一面に広がる巨大な絵画は、この世界の創造を天使や神が祝福する神話のシーンをモチーフにしているらしい。

 そこは、宗教国家トラウバートの最高権力者にあたる、教皇の宮殿。アンジュにとっての憧れの場所だった。


「アンジュ・ダイアース……我が身をかえりみないあなたの献身的な行為によって、この世界のたくさんの人たちが救われました」

 教皇である老女が、アンジュに優しい笑顔を向ける。

 床に片膝をつき、頭を下げているアンジュ。彼女の首元に教皇が、母ももらっていた「聖女を証明するネックレス」をかけてくれる。

「あなたの偉大な功績をたたえて……ここに、『メチャすごくてみんなに自慢できる賞』を授けます……」

 ここがアンジュの頭脳から生み出された「楽しいだけの世界」のためか、細かい部分はだいぶ適当のようだが……。しかし、ラブリの術中に完全にハマっているアンジュには、それを不自然に思うことはない。

 彼女は今、ずっと目指していた夢……「母親のように誰からも愛される聖女になる」という夢を叶えた、理想の未来の幻覚を見ていたのだった。


「ありがとうございます」

 教皇から受け取った、宝石と金属で出来た美しいネックレスを見せつけるように、歓声のするほうに振り返る。

 するとそこには、憧れの表情でこちらを見ているたくさんの人たちの顔。学生時代の友人、アンジュが救ってきた人たち、その他の、記憶に残るあらゆる人々。それからもちろん……彼女の母親の聖女マリア・ダイアースも。

 全員が、今のアンジュを祝福してくれている。彼女のことを愛していて、夢を叶えた彼女のことを、自分のことのように喜んでくれている。

 それは、アンジュにとってはまさに最高の瞬間であり、何よりも幸せな状況だった。だから、この状況を壊すことなんて考えられないし、この「楽しいだけの世界」を出ていくことなんて、絶対にありえないこと…………のはずだった。

 しかし。


 そこでアンジュは、ため息のように一度息を吐き、小さく首をふると、

「……だめね。今のワタシは、これじゃ満足出来ないみたい」

 とつぶやいてネックレスを外してしまった。


「え? えーっとー、あのー……?」

 そんなアンジュの行動の意味が分からなくて、間抜け顔で戸惑っている教皇。

「こ、こら、アンジュ⁉ せっかくの『メチャすご賞』の式典中に、なんて無礼なことを⁉」

 母親のマリアも、彼女を厳しく注意する。

 だがアンジュは構わず、誰に聞かせるわけでもない独り言を続ける。


「だってここは今のワタシにとっての……本当の『楽しいだけの世界』じゃないんだもの。ここが本当にワタシにとっての『楽しいことだけの世界』なのだとしたら……。ワタシにとっての『理想の未来』なのだとしたら……。ここに『あの子』がいないのは、おかしいもの」

「あ、あの子って……?」

 周囲の誰かのつぶやきにも、アンジュは答えない。


 さっきもらったネックレスを、何のありがたみもなさそうに、手のひらでコロコロと転がしている。

「きっとワタシ……ちょっと恥ずかしかったのね。ワタシの『理想の未来』に、『あの子』がいて欲しいってことを認めるのが……。だから今、この世界には彼女がいないのよ」


 教皇に背を向け、母親も放って、その宮殿の出口に向かって歩き出す。

 彼女を祝福するために集まっていた知り合いの幻覚たちが、そんな彼女を恐れるように、道をあけていく。

「もう行かなくちゃ」

「え? ど、どこに行くの?」

 そんな誰かの疑問に得意げな微笑みを浮かべて、アンジュは答えた。

「決まってるわ。この世界の外……『あの子』がいる世界に、よ」

「え……この世界の、外?」

「ええ。だってワタシはもう、その方法を知っているから。すでに、元の世界に戻るために必要な条件・・・・・を満たしているからね」



 アンジュの脳裏に、過去の記憶が蘇る。

 それは、彼女がこの世界にやってきたときにラブリが見せていた、「転校生となってチヤホヤされる」という記憶。その最初で「電柱とぶつかったシーン」だ。


 あのときアンジュはぶつかった衝撃で、一瞬意識が途切れた。この世界で意識がなくなったということは……あの瞬間だけ、アンジュの意識が元の世界に戻ったということだ。

 つまり、この世界から出る方法は……。


 そこでアンジュの母の幻覚が、アンジュに言った。

「ど、どうやって外の世界に行こうとしてるのかはわからないけれど……危ない方法・・・・・はダメよっ⁉ あなたは聖女の卵なのだから、はしたなく道を走った・・・りするのも、禁止だからねっ⁉」


 ……ああ、また言ってる。

 それを聞いたアンジュは、一人で微笑む。

 そして、確信に満ちた表情と共に、

「でも……だからこそワタシは、ここから出ることが出来るのだけどね」

 と、手元の柔らかい・・・・ネックレスを指でプニプニと潰しながら言った。

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