第二話
「ぎゅ、ぎゅふ……ぎゅふふふ……」
さっきとは逆に、アンジュの前に出ている少女、マウシィ。
その不思議な……というより、もはや不気味な行動に、ゴロツキたちも
「……お、お前ら!」
じれったそうに、血異人ミナトが叫ぶ。
「なにボケっとしてやがる⁉ さっさと、その聖女を連れてこい!」
「は、はい!」
それでゴロツキたちも自分たちの立場を思い出して、アンジュをさらう行動を再開した……のだが。
「だ、だからだめデスってばぁぁ! み、皆さんは、私をイジメてくれなくちゃぁぁ!」
そんなことを言って、またマウシィが間に割り込んでくる。お陰で、男たちはアンジュのところまでたどり着くことが出来ないのだった。
「ああ、くそっ!」
苛立ちを隠せないミナト。
「だから、早くしろって言ってんだろっ! そんな女ごとき、ぶっ殺しちまえばいいだろっ!」
「え……」
いくらリーダーの命令とはいえ、相手は無力な少女だ。馬車の前に飛び出してきたことを注意して、見せしめに多少の痛い目に合わせるくらいならまだしも……まさか、殺すなんて。ゴロツキたちの表情に、そんな動揺の色が走る。
しかし、相手が残虐非道な血異人では、逆らうことは許されない。
「う、うああぁぁーっ!」
覚悟を決めた男の一人が、剣を振りかぶってマウシィに襲いかかっていった。
「ああっ! だから、早く逃げなさいって言ったのにっ!」
アンジュの、悲鳴のような声が響いた。
そのときのマウシィの姿は……枝毛だらけのボサボサ髪を、薄汚れたリボンで無理矢理ツインテール風にまとめている。アンジュだったら雑巾にも使わないような穴だらけでボロボロの布の服からは、大小、新旧、重軽傷様々な傷跡がのぞいている。目元には、入れ墨のようにはっきりとした黒いクマがあり、さっきの涙を流す前かららしい、酷い充血もしている。
老婆のように曲がった背筋、ヒョロリと痩せた体。スジばった両手の指先は凍えるように震えている。どことなく、ドブネズミを連想させる。
当然、武器や防具のようなものは持っていない。持ち物と言えば、彼女と同じくボロボロで年季の入った、毛糸製の人形を抱きかかえている程度。お世辞にも、ゴロツキの攻撃に対応できるような要素はない。
「は、はうぅぅぅぅっ」
自分を狙う剣に対して、恍惚の表情を浮かべたマウシィ。感情が高ぶりすぎたのか、手元の人形を盾にするように前に突き出す。
だが、もちろんそんなものは何の意味もなく、彼女はその人形ごと一刀両断されてしまう……はずだった。しかし。
パリィィーン。
そのとき、ありえないことが起きた。
襲いかかってきた男の剣が、マウシィが持った人形に触れた瞬間……そのなんの変哲もない毛糸の人形が、まるで本当に頑丈な盾にでもなったかのように、剣を防いでしまった。それどころか、その剣の刃のほうがあっさりと砕けてしまったのだ。
「え……?」
何が起きたのか分からず、呆然と立ち尽くす男。
いやいや……きっと、さっきの剣には最初からヒビでも入っていたのだろう……。そう思ったらしい別の男が、改めてマウシィに斬りかかる。しかし。
パリィィィン。
やはりその男の剣も、砕けてしまった。
「あ、あぁぁぁあ……ダメ、でしたかぁぁ? それはそれは、残念デスぅぅぅ……」
おそらくこの場でただ一人、今の状況の理由を知っているはずのマウシィは……本当に心底「残念」そうな表情で、砕けてしまった剣のかけらを見つめていた。
「ま、まさかてめぇ……その人形に、鉄板でも隠し持ってやがったのか⁉」
「鉄板? ち、違いますよぉぉ? そ、そうじゃなくて……た、足りないんデスよぉぉ……」
混乱気味のミナトの言葉を、当たり前でしょう?という表情で、マウシィが否定する。
「もっと……もっと本気で来てくれなきゃ……だめなんデスぅぅ……。もっと本気で私のことを憎んで、殺そうとして……私のことを、
「あ……」
そのとき、アンジュは気付いた。マウシィが持っている人形……それに、邪悪なオーラのようなものがまとわりついている。
あれは……この旅に出る前、実家にいた頃にときどき目にしていた物に似ている。聖女の母親のもとに、解呪の依頼とともに持ち込まれた……呪物に。
「も、もしかしてその人形……呪われているの?」
「きひっ!」
目を輝かせるマウシィ。
「そ、そうデスぅ! こ、こ、この人形……『どろしぃちゃん』は、悪霊に取り憑かれてしまった……『呪われた人形』なんデスぅ! だ、だ、だから、勝手に髪が伸びたり、物音を立てたり、夜な夜な動き出したりして……き、気が付くと、私の首を絞めて、殺そうとしてくれたりなんかしてぇぇぇ!」
まるで、ラブラブな恋人とのノロケ話のような表情だ。
「の、呪い……だと?」
「呪いっていうのは、恨みとか憎しみとか……そういう
そこで、
「だ、黙れぇー!」
ゴロツキの中にいた魔法使いの男が、火球の魔法をマウシィに向けて放った。彼女の不気味さに、絶えられなくなったのだろう。
ボンッ!
その魔法の火の球を受け止めて、一瞬にして火だるまになる
シュウウゥ……。
それはあっという間に鎮火して、元のボロボロさ以外は全く無傷の人形が残るだけだった。
「まだまだデスぅぅぅ……。まだまだまだまだ足りないデスぅぅ……。私を殺したいと思うなら、このどろしぃちゃんに取り憑いている悪霊さんよりも強く、深く、重く、陰湿に……私のことを憎んでくれなくちゃ、だめなんデスぅ! ど、どんなことがあっても私のことを殺してやる……って、強く呪ってくれなくちゃなんデスよぉぉぉっ! へ、へへ……。げへへ……。ど、どろしぃちゃんの呪いを上回る強い想いさえあれば、この子もただの毛糸の人形デスから……壊すことなんか、簡単にできるはずデスので……ぐへへへ」
「な、なんなの、この子……?」
その場にいたゴロツキの男たちや血異人のミナト……さらには、アンジュにさえも。いつしか、共通の感情が生まれていたようだ。
それはすなわち…………「こいつ、気持ち悪っ」という感情が。
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