第22話 因縁の魔物

「……とてもとても素敵な誘いだが私はこの里を離れるわけにはいかない」


「そうか……。まあ、いいだろう。フィーアと俺達の時間の流れ方は違う。そっちの一年が俺達の一〇年なんてざらだろう。だから、もう、戻ってこないと思ってくれ」


「ああ、わかった」


 フィーアは悔しそうな顔をしながら呟いた。未練にならないといいが。


「じゃあ、服を受け取りに行くか」


 俺は地面に刺していた大剣を抜き取り、担ぐ。


「そうね。もう、七日経つし、服が出来ているはず」


 コルンは体を解し、俺の後ろに立つ。


「ああ……」


 フィーアは気を落としながら俺の後方を歩く。


 大樹の根元にある姫の家に到着した俺は扉を三回叩き、名前を言った。


「ディア殿、お待ちしておりました。服の用意が出来ましたので試着してください」


 姫が扉を開け、顔を出した。俺達は家の中に入る。


「下着類と服、防具まで魔力を編み込んで作ったのか。すごいな」


 俺は服一式と防具一式を受け取り、別室に移動。元から着ていた服を脱ぎ、着替えた。


 無地の下着を履く。履き心地が良く、通気性抜群だった。毒虫に噛まれないようにするための長袖長ズボン。人族の品に寄せて作ってあり、長袖は深緑色、長ズボンは黒色で古臭い見た目ではない。

 黒いベルトを腰に巻き、革製の品に似た胸当てを身に着けた。

 縁に緑色の線が入った黒い上着を羽織る。革製のような足首までしっかりと守られているブーツを履き、足から抜けないようベルトを締める。

 ウエストポーチを右腰につけ、大剣を固定するバンドを肩に掛ける。


「うん、悪くない」


 俺は着替えた後、居間に戻る。


「な……。ま、まあまあ、似合ってるんじゃない……」


 コルンは俺から視線をそらしながら呟いた。


「ディア殿、よくお似合いですよ」


 姫は力作が俺に似合って安心したのか、微笑んでいた。


「ディアの雰囲気に合ってる」


 フィーアも褒めてくれた。おっさんの衣装なんて誰も気にしないと思ったが子供だとまあまあ良く見えるようだ。


 俺は姫から予備の服を貰い、ボンサックに詰めた。


「じゃあ、コルン。出発するか」


「そうね。早朝だし、出発しても良いと思うわ。一応、里長の家に行って感謝の言葉を伝えてから出ていくべきね」


 俺達は里長の家に行き、扉を叩いた。扉を開けて中に入る。すると座布団に座っているスージアの姿があった。


「おお、ディア殿。どうかしたかね?」


 スージアは頭を軽く下げ、聞いてきた。


「今日、俺達は出発しようと思います」


「そうか……。短い時間だったが、ディア殿に受けた恩は忘れない。またいつでも来てくれ」


 スージアは微笑みを浮かべた。どうやら俺達は短時間で信頼を勝ち取れたようだ。


「なんだ、フィーア。浮かない顔をしよって。お前のその顔は何度か見たな……。ディア殿にでも惚れたか?」


 スージアはにやけながら、フィーアに視線を送る。


「か、からかわないでください! 考え事を少ししていただけですから!」


 フィーアは頬を赤らめながら吠え、部屋を出て行った。


「はぁ……。フィーアのやつ、また後悔する気か」


 スージアはため息をつき、腕置きに肘を当て、頬杖をつく。絵画の一枚に見えるほど様になった姿はさすが里長と言うべきか。


「ディア殿、フィーアに何か言ったのか?」


「俺はフィーアに旅に出ないかと誘っただけです。断られましたけど」


「なるほどな……。ディア殿、フィーアはこの里から一度も出た覚えが無いんだ。なんなら、多くの者がこの里から出た経験が無い。わしは若いころ、外を見てきた。この森の中だけでは経験できないようなことばかりだった」


 スージアは昔を思い出すようにゆっくりと話した。いったい何年前の記憶だろうと思ったが思い出に深けている者に聞くのは野暮だろう。


「だが、最近の若い者は外を極端に怖がってな。魔物に臆せず進むと言うのに、新しい場所に行こうとすると極度に怖がる。フィーアもそうだ。強さを求めて旅をしようと誘ってくれた仲間がいたそうだが、断った。その後、ずっと後悔しているはずだ。それにも拘わず、また後悔しようとしている。ディア殿、あの子を外に連れ出してあげてくれないか。その方が、彼女のためになる。どうか、この通り」


 スージアは頭を深く下げてきた。


「旅に誘ってもフィーアは断った。俺はフィーアの発言を尊重するつもりです。外は危険極まりない。いつ死んでもおかしくない。中途半端な気持ちで旅に出れば、仲間も危険に晒します。彼女本人が本当に行きたいと決めないと何とも……」


「そこを何とか……ん?」


 スージアは一瞬固まった。


 俺の体がガクガクと震える。コルンの表情は青ざめていた。明らかに異常事態だ。


「グラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 巨大な生き物が叫ぶ声が聞こえた。鼓膜を劈く咆哮を聞いた瞬間、人間の本能が「逃げろ」と言っている。なんなら俺の冒険者の勘も「今すぐ、逃げろ!」と叫んでいた。


「この声……。聞き覚えがあるどころじゃねえ……。因縁の相手だ」


 俺は震える右腕を左手で抑え込み、握り拳を作る。冷や汗が止まらないが同時に微笑みを浮かべてしまう。


「な、なによこれ……。か、体が……、ふ、震えて……」


 コルンはペタンコ座りをしながら、立てずにいた。咆哮を聞いた瞬間に腰が抜けてしまったらしい。


「コルン、立て。あの声だけで腰を抜かしていたら死ぬぞ!」


 俺は『パラライズ』をくらったように震えまくっている脚を殴り、震えを無理やり止めた。そのまま立ち上がり、気絶しかけているスージアに駆け寄る。


「里長、里にいる者を避難させてください。戦士は死を覚悟させたうえで動した方が良いです。あの声は間違いない……、討伐難易度特級のブラックワイバーンです」


「あ、ああ……。承知した」


 俺はスージアに肩を貸し、立ち上がらせた。


「ぐ、ぐぅ、ぐぅうう……」


 コルンは魔法杖を支えに使い、重い体を自ら立ち上がらせる。


「はぁ、はぁ、はぁ……。や、やった……」


「コルン、立ち上がれたか。よくやった。なら、今すぐ逃げろ。俺が時間を稼ぐ、くっ!」


 コルンは俺の頬目掛けて平手打ちをしてきた。いつもより威力が弱めだったが心に響く。


「馬鹿っ! 私は銀級の冒険者だ! あんたと一緒に戦うに決まってるでしょ! 同じ過ちを繰り返させないで!」


 コルンは半泣きになりながら、怒った。


「死ぬ覚悟があるんだな……」


 俺はコルンの黄色い瞳に問いかける。


「ええ……、あるわ。逃げて惨めに生きて行くよりは死んだほうがましよ!」


「馬鹿野郎っ!」


 俺はコルンの胸ぐらをつかみ、額を額にぶつけながら話す。


「俺の前で死ぬのは絶対に許さない。先輩冒険者は後輩冒険者を生かすのが役目だ。金級冒険者の俺に恥を掻かせるな。コルンは何がなんでも生き延びろ、それが後輩冒険者の役目だ!」


 俺はコルンの黄色い瞳を見ながら力強く言う。


 ――ギレインに言われたようなことを俺が言う側に回るとは……。だが、師匠の気持ちが少しわかった気がする。こいつを死なせたくない。


「……わ、わかった。死にそうになったら、逃げる」


 コルンは冷静になり、落ちついた表情で頷いた。


「わかってくれてよかった。だが、俺はコルンに期待している。二人でなら、あの化け物も倒せるんじゃないかってどこか思うんだ。情けないが今の俺に一人で勝つ力はない。コルン、あの化け物に勝つため、俺に力を貸してくれ」


 俺は当時のギレインほど強くない。腕一本失う程度じゃすまないだろう。命を懸けても勝てるかどうかわからない相手だ。だが「コルンと一緒なら」と思わせてくれるだけ、この魔法使いに素質がある。


「馬鹿ね……。力なんて、いくらでも貸すわよ」


 コルンは視線を背け、呟いた。


「ありがとう。じゃあ、行くか」


 俺は身を震わせながら扉の持ち手を握り、押し込んだ。


「グラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 禍々しい咆哮が放たれると空気に電撃でも流れているんじゃないかと思うほど身が痺れる。


「くっ……! もう、あんなところに」


 視力が良い子供の瞳が、四キロメートル先に真っ黒な体のワイバーンと似た魔物の姿を捉えた。

 方角は東。ミラボレアス山がある方向だ。九日ほど前に現れたブラッドウルフ達はあの個体に恐怖し、現れたのかもしれない。逆を言えば、ブラッドウルフ達の匂いにつられたブラックワイバーンが遠路はるばるやってきた可能性も考えられた。

 どのみち、里の上を通過するのは確定。叫んでいることからして威嚇している。完全に攻撃態勢に入っている証拠だ。つまり、戦闘は避けられない。


「あ、あれが、ブラックワイバーン……。ここからでもあんなにはっきりと……。いったい、どれだけ大きいの……」


 コルンも家から出て、遠くを見つめていた。


「おそらく、五〇メートルは超えている。俺が見た覚えのある個体より、はるかにデカい。結果として考えられるのはあの化け物を狩るか、逃げてもらうか、全滅するかのどれかだ。コルン、気を引き締めろ。行くぞ!」


 俺は東門に向って全力で走る。


「う、うんっ!」


 コルンは体に力を入れ、力強く一歩を踏み出し、俺の後ろをついてきた。

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