第26話「麟」
ヒュンヒュン……。黒い蝙蝠のような魍魎たちが四神獣に向かってくる。
四神獣は冥界の門を閉じることに集中している。麟は襲い掛かる魍魎から四神獣を守るため呪術符を駆使し、孤軍奮闘していた。
「まずいな……呪術符も残り少ない」
麟が手持ちの札の残りを確認した時、目の前に襲いかかってきた黒い魔が消失した。
「おい、大丈夫かよ?」
魔を撃退したのはドヤ顔をした堂島だった。
「な……何をしている? お前、結界に入らなかったのか?」
「ははは、助っ人に来たぜ。何せ一緒に石になった仲じゃねえか」
そう言うと、堂島は麟の肩を抱いた。
「それと……お前を助けに来たのは、俺だけじゃねえぜ」
堂島が指で背後を指すと、そこには伽耶が立っていた。
「か……伽耶! 何でお前まで結界から出た!?」
「……たいの」
「何?」
「麟を……助けたいの! 私は冥界の住民の血を引いている……私なら……私なら、あの門を閉じることができると思うの!」
伽耶は麟を見て叫んだ。
「だ、だからと言って……」
「私、ずっと守られてきた……麟や黒須さんや四神獣のみんなに……私にあの門を閉じる力があるのなら、今度は私がみんなを守らないといけないの!」
伽耶の目には覚悟という名の光が浮かんでいた。麟は大きく息を吐いた。
「……分かったよ」
「麟……」
「やってみろ、俺もフォローする」
伽耶は再び月の前に立つと、両手を月に向かって差し出した。そして願った。
(閉じろ、冥界の門よ、閉じろ……!)
伽耶は目を閉じて、扉を閉めるように両手を中央に動かして願った。
すると、ギギッと何かが閉じるような音がした。恐る恐る目を開けると、さっき見た時よりも月の黒い部分が少なくなっていて、月の黄色い光が占める面積が増えていた。
「か……伽耶!」
「いける! いけるよ、麟!」
伽耶は再び門を閉じるように念じた。
「伽耶ああ! この親不孝者めがあああ!」
月の割れ目から怒号が聞こえて、光線が伽耶に向けて放たれた。
麟は素早く伽耶の目の前に立つと、呪術符で光線を防いだ。
「麟!」
「俺に構うな! お前は門を閉じることに集中しろ!」
その言葉を聞いた伽耶は、再び門に手をかざした。
「そ、総帥! 冥界の門が、閉じつつあります!」
大広間では結界の中いる影が声を上げた。月は徐々に本来の姿を取り戻しつつある。
「信じられませんな……冥界の門を閉じるなんて……」
「竹村伽耶の力もあるが、四神獣の力もデカいな」
両手に印を結びながら総帥は呟いた。
「四神獣は天の四方を守護する伝説の神獣。四匹揃うことで神に匹敵する力を発揮するという。その力が本来なら内側からしか閉じることができない門を、外から閉じることを可能にしてるんだ。だが……」
「な、何か、他に気になることが……?」
「ああ、能力が高い神獣ほど使役者の言うことは聞かない。特にあの四神獣は四匹すべて能力が高く、一匹扱うのにも仙人クラスの霊力が必要だと言われている。だが、あの麟という小僧は、あの若さで四神獣を四匹同時に使いこなしている。通常ではあり得ない話だ。あの小僧、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「人間じゃないのかもしれん」
総帥は眉間にしわを寄せた。
「伽耶……伽耶……これ以上、門を閉じるのを止めて……お母さんに二度と会えなくなるわよ……」
月から優しい声が聞こえてきた。形勢不利と見たかぐや姫は泣き落としにかかってきた。
「も……もう私、決めたの……」
伽耶は額に汗を浮かべながら苦しそうに呟いた。
「私のお母さんは、私を守ってくれた女性(ひと)だって……」
「そう……じゃあ……」
かぐや姫の口調が変わった。
「やっぱり、死ぬしかないわね」
その時、結界の中にいた壱与の脳裏に強烈なビジョンが走った。
「く……来る……!」
「どうした!? 壱与!」
ガタガタ震える壱与に気付いた総帥が問いかけた。
「あ、あの妖怪が来ます……」
「何だと!?」
魑魅魍魎を退治している麟と堂島も周りの空気が変わったことを感じた。何かが起ころうとしている気配を捉えた時、闇夜に巨大な物体が浮かび上がった。
「り、麟……ま、まさかアレ……?」
突如、現れた強大な妖気に恐れをなした堂島が麟にすり寄ってきた。
「ああ、間違いない、ヤツだ……」
「え?」
空に巨大な白い狐の化け物が浮かんでいた。赤い眼光、耳まで裂けた口、そして丸太のように太く長い九つの尻尾………。だがその一本は真っ黒に焼きただれていた。
「ひ、ヒイッ! あ、あれはまさか……!?」
堂島は恐ろしさのあまり、ガタガタと震えだした。
「九尾の狐だ。生きてやがったアイツ……」
麟がそう忌々しそうに吐き捨てると同時に、闇夜に浮かぶ九尾の狐は口を開いた。
「残念だったな四神獣を操る中国の小僧よ、貴様が倒したつもりでいたのは、我の九つの尾の中のたった一本よ」
「り、麟! ヤバいぜ、コレは!」
「ああ……頼みの綱の四神獣は、全員、冥界の門を閉じることに集中している。かなりマズイな……」
「ハハハハ! ようやく来たか、九尾の狐よ」
かぐや姫の笑い声が響き渡る。
「さあ伽耶よ、今ならまだ間に合うぞ。門を閉じるなんてことはよせ。そして私の元に来い。ふたりでこの世を乗っ取ろうじゃないか」
「な、何を言ってるの……?」
伽耶は目に涙を浮かべながら口を開いた。
「私……あなたのこと信じてたのよ……本当のお母さんに会えるかもって……それを騙しておいて、挙句の果てにみんなを傷つけて……」
伽耶は袖で目元をグイっと拭った。
「わ、私がどんな気持ちで結界から出たか、分かってるの……?」
「分かるわけないだろうが! お前はこの冥界の門を開けるためだけに造った女だ! お前などに何の興味もないわ!」
かぐや姫の言葉を合図に、九尾の狐の口が開いた。そして、爆炎が伽耶に向かって放たれた。
「か、伽耶!」
麟は爆炎に向かって呪術符を投げた。札の力で炎の威力は若干弱まったが、それでも伽耶を守るには至らず、炎が伽耶を包んだ。
伽耶は炎に包まれた……かと思われたが、ひとりの男が伽耶の前に素早く立ちはだかり、身を挺して炎から伽耶を守る姿が見えた。代わりに伽耶を守った男は爆炎をまともに喰らい、全身が炎に包まれた。
「だ……大丈夫かよ……」
「ど、堂島さん!」
伽耶を守ったのは堂島だった。
「あ……あんな言い方はねえよな……。じ、実の娘に向かってよ……」
「ど、堂島さん! 何で、何で!?」
伽耶は自分を炎から守ってくれた堂島に手を伸ばした。堂島の身体は真っ黒に焼き焦げていた。
「お、俺、孤児なんだよ……親の顔を知らねえ……も、物心ついたときから、この陰陽師にいてよ……だ、だからつい、嬢ちゃんの姿が自分とかぶっちまった……」
堂島は黒焦げになった口を必死で動かした。
「堂島さん、もう喋らないで!」
「じょ、嬢ちゃん……ご、ゴメンな。め、命令とは言え、怖い目に遭わせてよ……」
堂島の焼き焦げた目から涙が落ちた。
「で、でもさ……俺……良かったよ、さ、最後に嬢ちゃんを守れて……」
その言葉を最後に、堂島の身体がガクンと崩れ落ちた。
「ど、堂島さん!? い……いや──!」
崩れ落ちる堂島を抱きしめた時、伽耶は腹部に何か熱いものを感じた。
「え……?」
伽耶が腹に手を当てると、手にはべったりと濡れた感触があった。そして、急に痛みが襲ってきたので、伽耶はその場に崩れ落ちた。
「か……伽耶!」
麟が駆け寄り、伽耶を抱き起こすと、伽耶の腹に穴が開いていて、血が流れているのが見えた。血は伽耶が着ている白い着物を赤く染め上げていく。
「り……麟……? わ、私……?」
何が起こったのか分からず、動揺する伽耶を抱きしめながら、麟はキッと月を見た。そして、何が起こったのかを理解した。
撃ったのだ。かぐや姫は伽耶を、堂島ごと光線で撃ったのだ。
「伽耶! 待ってろ! すぐに玄武を呼ぶ!」
「ダメ……よ、呼ばないで……」
「伽耶……」
伽耶は麟から身体を離すと自力で立ち上がり、再び月に向かって両手を伸ばした。
「四神獣のみんなは門を閉めるために頑張っている……邪魔をしたくないの……あと少し……あと少しで門は閉まる……」
痛みを堪えながら、伽耶は必死で門を閉じるため、念を送り続けた。
「ハハハハ! 無駄だ! その傷ではもう門を閉じることはできまい! 再び門を開けさせてもらうわ!」
かぐや姫の声に応じたのか、冥界の門が再び開きだした。四神獣も霊力を放出しているが、全員苦悶の表情を浮かべている。
麟は手持ちの呪術符を確認した。しかし、札は一枚たりとも残っていなかった。
「ハハハハハ! 青二才の道士よ! 唯一の武器の札もすべて使ってしまったな!」
かぐや姫の高笑いが聞こえる。
「そうそう……冥土の土産に良いことを教えてやろう」
「何?」
「貴様は、九尾の狐の魔力を感知して日本に来た。それは偶然だと思うか?」
「……どういうことだ?」
「私は陰陽師の組織が伽耶の生命を狙うのを分かっていた。だから、わざと九尾の狐の高い霊力を放出させて、貴様を日本におびき寄せてもらったのよ、九尾の狐は霊力を自在に操作できるからな」
「な……まさか……?」
「ハハハハ! すべて私の策略よ! この冥界の門を開くまで、お前に伽耶を守ってもらうためにな!」
麟は呆然として立ちすくんだ。
「貴様の馬鹿さ加減には本当に感謝しておるぞ、何の得にもならん冥界の血を引く呪われた娘をわざわざ守り、冥界の門を開く手助けをしてくれるとはな」
かぐや姫の笑い声が響き、次いで九尾の狐が、耳まで裂けた口に不気味な笑みを浮かべた。
「ククク……愉快愉快、中国の村が滅んだ時と同じだな。愚かな道士よ、貴様のせいで、次はこの世が崩壊するのだ」
九尾の狐の高笑いが聞こえ、麟は怒りと悔しさのあまり、肩を震わせ唇を噛んだ。
「い、いい加減にしなさいよ!」
かぐや姫と九尾の狐の笑いを遮るように、突然、伽耶が叫んだ。
「伽耶……?」
麟は思わず伽耶を見つめた。
「何で……何で、麟がそんなに非難されないといけないの……? 麟は何の見返りもないのに私を助けてくれた! 太鳳さんの時だってそう! 彼女の必死のお願いを聞いてあげただけじゃない!」
伽耶は空に浮かぶ満月と九尾の狐を睨んでいた。
「麟は何も悪くない……悪いのは全部あなたたちじゃない。麟を……麟をこれ以上、悪く言うのはやめて!」
「ハハハハ!」
だが、伽耶の声をかき消すように、かぐや姫の笑い声が響いた。
「だから何だ? お前は既に瀕死の状態。四神獣も霊力を使い果たそうとしている。加えて、ここにいるのは大妖怪の九尾の狐。もう貴様らに勝ち目はないぞ」
かぐや姫の笑い声に呼応するように、九尾の狐の尻尾が夜空を舞った。
「さあ、では今度こそ、終わらせてもらうぞ」
かぐや姫の言葉と同時に、九尾の狐が大きく口を開いた。
伽耶が霞む目で月を見上げると、目の前に背中が見えた。それは麟の背中だった。
「麟……」
「伽耶、大丈夫だ。お前は必ず俺が守ってやる」
「ククク……札もない今、どうやって我の炎から逃れる気だ?」
笑う九尾の狐の口の中に大きな火球が見えた。
「死ねえ!」
「り……麟――!」
伽耶の絶叫と同時に、九尾の狐が爆炎を吐き出した。
次の瞬間、陰陽師総本山に爆炎が舞い上がった。
「あ、ああ……」
伽耶の身体を熱風が襲ったが、身体は焼き焦げてなかった。代わりに自分の目の前にいた麟の身体が爆炎に包まれていた。
その光景を目の当たりにして、伽耶は絶望のあまり、その場にがっくりと崩れ落ちた。
「ハハハハハ! 燃えろ、燃えろ!」
かぐや姫の笑い声が響く。伽耶は痛みと薄れゆく意識の中で炎に包まれた麟を見つめた。その時だ。伽耶の目に信じがたい光景が飛び込んできた。
目の前に獣がいた。
麟がいたはずの場所に、炎に包まれた獣が立っていたのだ。鹿のような身体、頭には黄金の角が生えていて、角は高々と天を指していて、眩い光を放っていた。
(え!? 麟はどこにいったの!?)
伽耶が目を凝らすと、目の前の獣が言葉を喋った。
「いい加減にしろよ、テメエら……」
それは、麟の声だった。
伽耶が混乱する中、獣を包む炎が一瞬の内に消失した。
伽耶は目をこすった。そして、次に目を開けた時には、もう獣の姿はなかった。その代わりに麟が立っていた。
麟は焼き焦げた左手を天に掲げていて、地面には剥がれた札が落ちていた。
(麟!? 無事だったの!? )
伽耶が驚くと同時に、麟は右手で左手の義手を外した。カラン、という乾いた音を立てて義手が地面に落ちた。
伽耶は再び目を凝らした。義手を外した麟の左手には一本の黄金色の角(ツノ)が生えていた……。
いや、正確には角が左手に埋め込まれていた。角は眩い黄金の光を放ち、暗闇を煌煌と照らしていた。
「こ、小僧……何だお前のその左手は……? わ、私が嫌いな光を放っているではないか?」
かぐや姫が狼狽えている。
「その光と角には見覚えがあるぞ……ま、まさか、それは麒麟の角……?」
九尾の狐も麟の左手の角を見て驚きの声を上げた。
(きりんのつの? 何それ? 何でその角が、麟の左手に埋め込まれているの!?)
伽耶も呆然とした。
麟は『麒麟の角』を高々と天に掲げた。麒麟の角はすべての闇と絶望を振り払うように光り輝いていた。
「そ、総帥、あの光は私が見たものと同じです!」
結界の中では、心の眼で麟の光を感じた壱与が驚きの声を上げた。
「……どうやら、あれは『麒麟』の光みたいだな」
総帥も驚きを隠せない様子だ。
「きりん……?」
「ああ、麒麟ってのは、中国神話に出てくる『瑞獣(ずいじゅう)』だ。瑞獣とは神獣を超える獣。その中でも、麒麟は龍の顔と鹿の身体を持つ獣で、額の角は全ての魔を滅すると言われている。どうやら、あの小僧の左手には、その麒麟の角が埋め込まれているみたいだな」
「な、なぜ麟さんの左手に麒麟の角が? 麟さんは一体……?」
「分からん……だが、あの小僧が麒麟の力を持っているのなら、なぜ四神獣がアイツに従っているかの理由が付く」
「どういうことですか?」
「全ての獣の長(おさ)であり、四神獣を束ねているのが麒麟なんだよ」
「二年前……貴様のせいで、俺は左手を失った」
麟は目を閉じると、その時のことを思い出すかのように、右手で左手の角をそっと触った。
「瀕死の状態だった俺に、母は村のご神体である『麒麟の角』を埋め込み、俺は麒麟の化身として蘇った。そして、母は命を懸けて俺をかばって死んだ……」
麟はカッ、と目を見開いた。
「分かるか!? それが母の愛だ! 親が子供に与える無償の愛、それこそが神羅万象、人も動物も関係なく、すべての生けるものが持つ母性だ!」
麟は左手の角を月と狐に向けると、ゆっくりと前に歩き出した。
「俺は許さん……そんな母の愛を利用し、伽耶を傷つけたことを、俺は絶対に許さん! 瑞獣『麒麟』の名において、貴様らを成敗する!」
「四神獣よ!」
麟は左手に埋め込められた麒麟の角を、四神獣に向けた。
「全ての獣の長(おさ)である『麒麟』の名において命ずる! 全員、全霊を持って九尾の狐を捕獲せよ!」
「了解です!」「分かったわ!」「おう!」「かしこまりました!」
四神獣たちは麟の呼びかけに一斉に応じ、同時に麒麟の角から金色の光が四神獣に向かって放たれた。
「いけ! 今こそ天を守護する四神獣の真の能力(ちから)を見せよ!」
四神獣は東西南北の方向に飛んだ。東に『青龍』、南に『朱雀』、西に『白虎』、北に『玄武』。四人は四つの方角に就くと、一斉に九尾の狐を取り囲んだ。
「な……何だ、貴様ら……?」
九尾の狐を包囲した四神獣の手から眩い光が放出された。
「な、何だ、この光は!? か……身体が動かん!」
四神獣の光に包まれた狐の身体は、ゆっくりと月の方へ移動していく。
「ば……馬鹿な!? 我は大妖怪、九尾の狐ぞ! その我が……たかが獣ごときに……!?」
九尾の狐は激しく抵抗するが、四神獣の光に包まれて、成すすべもない状態だ。
「このまま、狐を冥界へ送り返せ!」
麟の叫びに呼応するように、四人の身体が更に眩い光を放った。
「四神獣の力を甘く見るんじゃないわよ! このバカ狐!」
「同感です! 冥界の世界に送り返して差し上げます!」
「うおおおお! 二度と出てくんなよ! この腐れ外道が!」
「はい! お兄ちゃんも力を貸してくれてます!」
朱雀は赤い光、青龍は青い光、白虎は白い光、玄武は黒い光を放射し、狐を捕獲する光の網は更に光り輝いた。
「こ、このままで済むと思うなよ……貴様ら──!」
その捨て台詞を最後に、光の網に捕まれた九尾の狐の身体は月の中……冥界の世界に放り込まれた。
「伽耶!」
九尾の狐が冥界に送られるのを見た麟が、伽耶に向かって叫んだ。
「今だ! 門を閉めろ!」
「分かったわ!」
伽耶は最後の力を振り絞り立ち上がると、両手を月に向かい伸ばした。
「閉じろ! 冥界の門よ! そして二度と開くな!」
ゴゴゴゴゴ……! 凄まじい音が響き、黒い闇は急激に小さくなっていく。
「か……伽耶ああああ!」
かぐや姫の絶叫が響くと、わずかに開いていた隙間から最後の光線が伽耶に向かい飛んだ。
だが、その光線よりも早く一枚の毛皮が伽耶の目の前に飛んできて、伽耶を光線からかばった。それは結界の中にあったはずの黒須の毛皮だった。
そして、ガシャン! という大きな音とともに門は閉じられた。
「お……おい、あれを見ろよ……」
結界の中の陰陽師たちが月を指さした。月の形はいつもと同じに戻り、眩い光を放っていた。
「冥界の門が閉じたぞ!」
陰陽師たちの、わっ、という歓声が上がった。冥界の門が閉じたことで安心した伽耶は、ホッとしてその場に崩れ落ちた。
「伽耶、大丈夫か!?」
だが、麟がいち早く駆け付けて伽耶を抱き止めた。伽耶は麟を見て、にっこりと微笑んだ。
「麟……やったよ、私……冥界の……門を閉じたよ……」
「ああ……よくやった……」
だが、伽耶は笑顔とは裏腹に真っ青な顔をしていた。かぐや姫の光線で貫かれた腹部からは血がドクドクと流れ、白い巫女の衣装は真っ赤に染まっていた。
「大丈夫だ、玄武が治してくれる。さあ来てくれ!」
麟は玄武を呼んだが、玄武はうかない顔をしていた。
「どうした玄武? 早く伽耶の怪我を治してくれ」
麟に促され、玄武は伽耶の前に座ると両手をかざしたが、その手からは何の光も出なかった。
「げ、玄武……まさかお前……」
麟が玄武の顔を覗き込んだ。
「れ、霊力がないのか……?」
玄武はコクリと頷いた。
「そ、それなら、誰か分けてやってくれ、霊力を!」
麟が叫ぶが、青龍と朱雀、白虎も下を向いた。誰もが霊力を使い果たしていた。
「そ、そんな……」
「伽耶さん……ごめんさない……」
玄武は目をギュッと閉じて、伽耶に頭を下げた。そんな玄武の姿を見た伽耶は微笑み、口を開いた。
「ううん……玄武さん、さっきお母さんを助けてくれたじゃない。私……それだけでもう十分感謝してるよ」
強がりでもなく、伽耶の本心の言葉だった。その言葉を聞いた玄武は顔を上げた。その顔は今にも泣きだしそうな顔だった。
「こんな時、人は泣くんだよね……でも私たちは獣に堕ちた身……涙を流すことができないの……ごめんなさい……」
悲しそうにうつむく玄武を慰めるように、朱雀と青龍が玄武の頭に手を置いた。
「伽耶! 伽耶!」
結界内から伽耶の母が飛び出してきて、伽耶を抱きしめた。
「おい、大丈夫か!? すぐ病院に連れて行く!」
「伽耶さん! 伽耶さん!」
総帥と壱与も、一緒に飛び出してきた。
「ううん、もういいの……私、分かるの……もう……痛みがないの……」
その言葉を聞いた母は、わっと泣きだした。
「麟……麟、どこにいるの……? 私……最後に麟にお礼を言いたい……」
母に抱きしめられながら、伽耶は息も絶え絶えに麟を呼んだ。
「り、麟さん!」
壱与は麟の気配を感じ、手探りで麟の服の裾を掴んだ。壱与も泣いていた。
「伽耶さんが……伽耶さんが呼んでます……」
麟は伽耶に背を向けて肩を震わせていたが、壱与に促されて振り返った。そんな麟の顔を見た四神獣は一斉に驚きの声を上げた。
「り、麟……?」
麟の目から涙がこぼれていたからだ。
あの日……九尾の狐に村が滅ぼされ、両親や村の人たちが殺された夜以来、一度も流したことがない涙だった。
麟は伽耶の前にひざまずいた。
「伽耶……伽耶……すまない……」
口を開くと涙が落ちた。
「俺は……お前が眩(まぶ)しかった……他人に裏切られて感情を無くした俺と違い、最後まで他人を信じて真っ直ぐで純粋なお前が眩しかった……そんなお前を守ることで、俺はかつて守れなかった人たちの償いをしようと思っていた。なのに、なのに……」
麟は袖で涙を拭った。
「……俺はお前を守れなかった」
その言葉を聞いた伽耶はクスリと笑うと、麟の手を握った。
「そんなことないよ、麟はお母さんを守ってくれたじゃない。それに麟がいなかったら、私、本当のことを知らずに死んでいたと思うの。だから……麟には本当に感謝してるのよ……」
「伽耶……」
伽耶の手に麟の涙が落ちた。伽耶は自分の手に落ちる涙を感じた。
「麟……泣いてるの……?」
麟は無言で涙を流し続けていた。
「私ね……もう、目が見えないの……」
伽耶はそっと手を伸ばし、麟の目元に触れた。涙で濡れた感触があった。その涙を確かめた伽耶はにっこりと笑った。
「……良かったね、麟」
「え?」
「泣けるようになったんだね、感情が戻ったんだよ、これからは楽しいときに笑うことができるね……」
伽耶のその言葉に、麟の目からは更に涙があふれた。
「見たかったな……麟の笑う顔……」
「か……伽耶!」
「麟、ごめんね……太鳳さんを一緒に探してあげれなくて……私ね……何だかとても眠いの……」
「伽耶、伽耶! ダメだ! 目を覚ましてくれ!」
麟は伽耶の手を握り返そうとした。……しかし、伽耶の手は、だらんと地面に落ちた。
伽耶は目を閉じて、もう動くことはなかったが、その代わりに幸せそうな笑みを浮かべていた。
「う……うわあああああああ!」
麟は背を向けると、その場に突っ伏して号泣した。
「あああああ! あああああ!」
右手で地面を叩き、言葉を絞り出した。
「ま、まただ……また救えなかった……」
麟は地面に顔を埋めながら声を絞り出した。
「な……何が麒麟の化身だ……神に匹敵する力を持っているのに、俺はひとりの女性さえ救えない……」
「り、麟さん……」
麟の心の痛みに寄り添うように、壱与も泣きながら麟の背中を抱きしめた。
「俺は……無力だ……無力だ……」
麟は泣き崩れ自分を責め続けた。その時だった。突然、陰陽師総本山に強烈な霊力が出現したのは。あまりの強大な霊力に、その場にいる全員の身体が硬直した。
「な……何だ? この高い霊力は?」
総帥も戸惑っている。
「か……感じます……この光は先程、麟さんが麒麟の力を発動したのと同じ光です……」
目の見えない壱与も圧倒的な霊力を感じていた。
「お……おい! 何だよ、あれは!?」
陰陽師のひとりが夜空を見上げて大声を出した。その言葉を聞いた庭にいた全員が空を見上げて驚愕した。
そこには、空一面に浮かぶ巨大な鳥の姿があった。真っ赤な鳥は大きな羽を広げて、夜空を覆い尽くしていた。
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