第24話「玄武」
黒い札を持ったまま壱与は立ちすくんでいた。目の見えない壱与は玄武の姿をみることができないが、その霊力は心の眼で感じることができる。しかし、その心の眼で見た玄武の霊力はあまりにも貧弱だった。
また狐も同じことを思っていた。目の前に現れた少女は幼く五歳か六歳くらいの容姿だった。黒髪のおかっぱ頭で、真っ黒な稚児の服を着ている。背も低く、とても強そうに見えず、おまけに泣きそうな顔でブルブルと脅えていた。
「な、何者ですか、あなたは?」
狐は戸惑っていた。何千年の歴史を生きてきて、様々な妖怪や神獣を見てきたが、こんなに弱そうな神獣を見たのは初めてだったからだ。
「げ……げんぶ……」
「は?」
「四神獣のひとり『玄武』……です」
その少女はおどおどしながら答え、助けを求めるように麟の方を振り返った。しかし、そこにいたのは完全に石化した麟だった。
「ちょ……ちょっと!? 麟さん、どうしたんですか!? その姿は!?」
「そこにいる妖怪の目を見て、石になっちゃったの……」
石化した麟の代わりに壱与が答えた。
「そ、そうなんですか!? あれ? でも何であなたは大丈夫なんですか?」
「わ、私は目が見えないから……」
そこまで話して壱与はハッとした。
(そうだ……あの妖怪と目を合わせたものは石化する。それなら、どうしてこの子は石にならないの?)
「おい」
「キャア!」
狐が玄武と名乗る少女の首を掴んで、自分の目の所まで引き上げた。
「なぜお前は石化しない?」
狐は玄武の目を見てギロッと睨んだ。
「く……苦しい……は、放してください……」
玄武は狐に吊り上げられ足をバタバタさせているが、身体は石にならない。
「おかしい……なぜだ? 我の石化能力から逃れるものなどいないはずなのに……」
狐は怪訝そうな顔をした。首を掴まれている玄武は苦しそうにうめき声を発した。
「は、放しなさい!」
玄武のうめき声を聞いた壱与が、狐に体当たりした。その予想外の行動に狐は驚き玄武から手を放した。玄武は地面に落ちて首を押さえると、ゲホゲホと咳き込んだ。
「……何ですか、あなたは?」
狐は不機嫌そうな顔で壱与を見た。壱与は咳き込んでいる玄武の前に立ちはだかった。足はガタガタと震えている。
「どきなさい、腐っても四神獣の一匹、石化しないのなら、私が知らない何か特殊な能力を持っているかもしれない。ここで始末しておくのが得策です」
狐はにじり寄ってきた。
「ど、どきません……」
「お姉ちゃん……?」
壱与は脅える玄武をギュッと抱きしめた。
「どきなさい、あなたは予知をすることしかできない女、私に敵うわけがないでしょう?」
狐は呆れたように口を開いた。
「た、例えそうだとしても、こんな幼い子を手にかけようとすることを、見て見ぬふりすることはできません!」
「そうですか……」
そう言うと狐は右手を振り下ろした。その手には大きな爪が付いていて、壱与の背中を切り裂いた。
「キ……キャアアア!」
壱与の背中から血が飛び散った。
「お、お姉ちゃん! 私から離れて! 死んじゃうよ!」
壱与は心配して叫ぶ玄武を抱きしめると、ニコッと笑った。
「大丈夫よ、あなたには指一本触れさせないわ……」
「何ですか、あなた?」
狐が苛立ち、再び爪を振り下ろすと、爪は壱与の背中を更に引き裂き、背中から大量の血が噴き出した。
「グ……グッ!」
「そんな貧弱な式神を守って、何になるんです?」
「り、麟さんが言ったんです……」
「は?」
「玄武さんは、最後の切り札だって……」
「お、お姉ちゃん……」
壱与の腕の中で玄武はガタガタと震えている。
「玄武さん、安心してください……貴女は私が必ず守りますから……」
壱与は痛みを我慢して、必死で笑顔を作った。
「全く……人間の考えることは分からないですね」
狐が呆れたように呟いた。
「麟さんが、教えてくれたんです……」
壱与は自分に言い聞かせるように口を開いた。
「私には、飛べる翼があるのにそれを使わない臆病な鳥だと……私はもう籠の鳥に戻りたくありません、自分の翼で飛びたいのです。そんな私ができることは、麟さんが託したこの娘を守ること……」
「そうですか……それなら仕方ないですね。いっそ、ひと思いに楽にさせてあげましょう」
狐が三度爪を振り上げた。次に一撃を食らえば、間違いなく壱与の生命の炎は消えてしまうだろう。
「い……いや……やめて……」
玄武が震える声を出した。耳元では壱与の荒い呼吸が聞こえてくる。
「さあ、死になさい」
狐が爪を振り下ろした。
「い……いやあああああ! 助けて──! 『お兄ちゃん』!」
玄武がそう叫んだ時だった。身体から再び黒い閃光が走った。
「う、うわ!?」
その光があまりに激しかったため、思わず狐は後ろに飛び去った。
シュウシュウ……。
玄武の周りに黒い煙が上がっている。
「な、何ですか……? 今のは?」
そう言った狐の身体がビクッと反応した。
「な……! こ、この霊力は一体……?」
黒い煙が消え去ると、狐は目を疑った。そこには先程の少女はいなかった。
その代わりに、同じ背丈に同じ服装の大きな黒い目をした少年が立っていた。
「テメエ……俺の妹に何しやがった?」
声も男のものに変わっていた。口調も荒々しい。少年は怪しげな目で狐をぎろりと睨んだ。
「だ、誰ですか? あなたは?」
「俺か? 俺の名前は『玄武』だよ」
「は?」
薄れゆく意識の中、重傷を負った壱与は玄武の凄まじい霊力を感じていた。
(な、何? さっきまで、か弱い女の子だったのに、今度は男の子に入れ替わっている?)
そして、壱与はかつて父が教えてくれた『玄武』という神獣のことを思い出していた。
『玄武』は四神獣最強の獣であり、その正体は『蛇』と『亀』の二対一体の神獣だと。
(もしかして、玄武さんの正体というのは……!?)
「面白いですね。ひとつの身体にふたつの人格を宿しているのは」
狐はそう言いながら玄武に目を合わせたが、先程と同じで玄武は石化しない。
「なるほど……先程の少女と同じですね、どういう原理か分かりませんが、私の石化能力が効かない。それなら、この爪で切り刻むだけ……ん? んん!?」
狐は不意に驚きの声を上げた。
「か……身体が動かん……!」
玄武は狐を睨み続けている。その黒い瞳は怪しく光り輝いていた。
「『蛇眼(じゃがん)』……」
「何!?」
「蛇に睨まれたカエルは動けなくなる。これが俺の能力だ」
「じゃがん? 蛇の眼の能力? 成程、我の石化が効かないのもそのためか。だがなぜだ? なぜその能力のことが誰にも知れ渡っていない?」
「それはな……」
玄武の眼が怪しく光った。
「俺の蛇眼が発動したら最後、いかなる生物も『死』から逃れられないからだ」
カッ! 玄武の目が更に光ると、狐の身体は足元からヒビが入り出した。
「な……何だ、コレは!? 我の石化能力より、お前の能力の方が上だとも言うのか!?」
狐の身体全体に亀裂が走った。
「ちょ……ちょっと待て! この能力を解け! 我が死んだら、そいつらの石化を解くことも、結界から出ることも敵わないんだぞ!」
「もう遅い、俺の蛇眼が発動したら、止める術(すべ)はない」
「な、何い!? バカな! 我は大妖怪、九尾の狐ぞ! それがこんなガキ一匹に!」
「ガキじゃねえ、俺の名前は『玄武』、四神獣、最強の獣だ」
その言葉と同時に狐の身体は、パリン! という音とともに砕け散り消滅した。
「フン……」
玄武は振り返ると、石化した麟の元にやって来た。
「運がいいな、お前、石化してたおかげで、俺の蛇眼が発動しても死なずに済んだな」
そう言って、石になった麟の身体を拳でコンコンと叩いたが、麟はピクリとも反応しなった。
そして、うう……という、うめき声が聞こえたので、その方向に目を落とすと、そこには瀕死の状態の壱与が横たわっていた。
「チッ……」
玄武は気だるそうに頭をかいた。
「このまま放って置いてもいいが、コイツは妹を助けてくれたし、それにこのままだと、この結界から出れねえってことか……」
そう独り言をつぶやくと、玄武はため息を吐いた。
その頃、地上では冥界からの光の光線から伽耶をかばった母親が倒れていた。
「お……お母さん……」
母の身体に手を触れると、伽耶の手にべったりと大量の血が付いた。
「伽耶……大丈夫……? ケガはない?」
「お……お母さん……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
伽耶の目から涙が落ちた。
「いいのよ……あなたが無事なら、私はそれでいいの……」
母は伽耶に向かいにっこりと笑った。
「だ、大丈夫か!?」
父がこっちに向かってくるが、闇から飛び出した魍魎に襲われた。
「グワッ!」
「お、お父さん!」
致命傷ではないが、父がその場に倒れこむ姿が見えた。
「お母さん……ごめんなさい……私が……私が結界を出たばかりに、こんなことに……」
伽耶が涙を流し謝ると、母は伽耶の頭を優しく撫でた。
「ううん……あなたは何も悪くない、悪いのは、あなたをずっと騙していた私の方……」
そう言うと、母は力を振りしぼり立ち上がると月に向かって叫んだ。
「か……伽耶の本当のお母さま!」
胸からは血が噴き出し、足元もおぼつかない。それでも母は気力を振り絞り叫んだ。
「あなたが……あなたが本当に伽耶を愛しているのなら……伽耶を必要としているなら、伽耶をお返しします!」
「お母さん……」
「それなのに……それなのに、こんな仕打ちはないんじゃないですか!? 伽耶は……伽耶は、あなたの顔をひと目でいいから見たかっただけなんですよ! 本当の母親の顔を! それが何で、こんな残酷なことを!」
月からは何も応答がない。それでも母は月に向かい叫んだ。
「私は許しません! 伽耶を傷つけ、泣かせるあなたを! 例え実の母であっても、そんなあなたに伽耶を渡すわけにはいけません!」
(お母さん……!)
伽耶は母の優しさに溢れる涙を拭ったが、それに対する回答はあまりに残酷だった。月から再度光線が放たれて、母親の腹部を撃ち抜いたからだ。
母は口から血を吐き出し、その場に倒れ込んだ。そして、月からは「うるさいわ……」と冷淡な声が響いた。
「お、お母さん!」
伽耶は倒れた母を抱き抱えた。
「伽耶……」
母は伽耶に手を伸ばした。
「伽耶……まだ私のことを、お母さんって呼んでくれるの?」
伽耶は泣きながら、うん、と大きく頷いた。
「ありがとう、伽耶……わ、私、あなたの本当のお母さんになりたか……った……」
そこまで言うと、伽耶の腕の中で母の首がガクンと落ちた。
「お、お母さん! お母さ──ん!」
伽耶は母の胸に顔を埋めると泣き叫んだ。
「ハハハハ!」
月から笑い声が聞こえて、伽耶はキッと月を睨んだ。
「伽耶、何を悲しむことがある? お前の本当の母親はここにいるぞ」
「う、うるさい……」
「何?」
「アンタなんか……アンタなんか、母親じゃない!」
伽耶は母を抱きしめた。
「私のお母さんは、ここにいる女性(ひと)だ!」
「クク……言うねえ、伽耶」
母を抱きしめながら、伽耶は麟のことを思い出していた。昨日縁側で麟は約束した。『何かあれば俺を呼べ。どこにいてもお前の元に必ず駆け付ける』と。
(そうだ麟がいる。麟が助けてくれる。どこにいるの……麟?)
「伽耶、中国の小僧ならここには来ないぞ」
伽耶の心を見透かしたかのように、かぐや姫が笑った。
「え……?」
「中国の小僧なら、九尾の狐が相手をしている。ここに駆け付けることは不可能だ」
(『九尾の狐』? 昨日、麟が話してくれた村を滅ぼしたと言われる大妖怪のことだ……)
「あの狐は古代より生きる大妖怪、青二才の道士など敵ではないだろう」
「り、麟……!」
「さあ、もうすぐ冥界の門は完全に開く……だがその前にお前を始末しないとな」
上空を漂っていた無数の魑魅魍魎たちの動きが止まり、伽耶に標的を定めた。
「あ、ああ……」
「死ぬのだ。我が娘」
その言葉を合図に、闇から来た魑魅魍魎たちが空から一斉に伽耶に襲いかかった。
伽耶はギュッと目を閉じると、母にしがみついて叫んだ。
「い……いやあ──!! 助けて、麟――!」
闇の住人たちが伽耶に襲いかった。
だが、次の瞬間、眩い光の結界が出現して、魑魅魍魎たちは伽耶の目の前で消滅した。
「な、何い!?」
月から驚きの声が上がった。
何が起こったか分からない伽耶は恐る恐る目を開けた。
そして見た。自分の周りを四つの光の柱が取り囲んでいるのを。その四つの柱が結界となり、自分を守ってくれたことに。
「ば、バカな!? 何だその光は?」
かぐや姫の戸惑う声が聞こえた。
伽耶は目を凝らして四つの光の柱を見た。光の柱の中に人が立っていた。
東の青い光の中には『青龍』
南の赤い光の中には『朱雀』
西の白い光の中には『白虎』
北の黒い光の中には『玄武』
そして、伽耶の近くに黄色の光の柱が立った。
光の中にはひとりの男が立っていた。その男の姿を見た伽耶の目から涙がこぼれた。
「り、麟……」
それは麟だった。
「俺を呼ぶ声が聞こえた」
麟は笑顔を見せる代わりに、しゃがみ込んでいる伽耶の頭に手を置いた。
「待たせたな、伽耶」
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