第23話「開く冥界の門」

 伽耶は母の手を自分の身体から離すと、月を見つめた。

「伽耶!?」

「伽耶! どうしたの、急に!?」

「お、お父さん、お母さん……」

 伽耶は困った顔でふたりを見た。

「出てきてくれるの? 結界から……」

 月からは優しい声が聞こえてくる。

「ほ、本当に……」

 伽耶はおずおずと口を開いた。

「本当に……私の姿を見たら門を閉じてくれる? そして月に帰ってくれる……?」

「か、伽耶! 何を言うんだ!?」

 父が叫んだ。

「伽耶……あなたも私の顔が見たいでしょう?」

 その言葉が決定的だった。伽耶は微かに頷き、父と母はその姿に絶句した。


「お、お父さん、お母さん……」

 伽耶はふたりを見て、少し笑みを浮かべた。

「だ、大丈夫、あの人、約束したもん……わ、私の顔と姿が見たいだけだって……だ、だから、私……」

「か、伽耶……」

 母は、恐れていたことが起こってしまった。と感じた。

 自分たちは伽耶のことを実の娘だと思っていた。だが、伽耶の本心は分からず不安だった。伽耶が本当は何を考えているのかを……。

 しかし、今、はっきりとした。伽耶は会いたいのだ。実の母に会いたいのだ……。

 父も呆然としていた。伽耶を止めることができなかった。

 そう……所詮、自分たちは仮初めの家族。伽耶の本当の母親は今、そこにいるのだから……。

 ふたりはもう何も言えなかった。

 ウオンウオン、と黒須の毛皮が唸り声をあげた。それはまるで「行くな」と言っているみたいだった。

 しかし、伽耶の耳にその声は届かなかった。伽耶はゆっくりと結界の外に足を踏み出した。結界はバリバリと大きな音を立てた。


「な、何だ、今の音は!?」

 庭で警護に当たっていた陰陽師たちが一斉に結界のほうを見て言葉を失った。

 それもそのはず、結界の中にいたはずの伽耶が外に出ていたからだ。しかも自分の意志で歩いて庭に出ようとしている。

「何をしている!? 戻れ!」

 ひとりの陰陽師が大声を出したが、その直後、ぐわっ! と声を出して、その場に倒れた。倒れたその男の背中の上に黒い塊が乗っていた。

「め……冥界から魑魅魍魎が這い出している! 全員、攻撃態勢に移れ!」

 現場を統率する男の命令で、全員が月に向かい合った。亀裂が走っていた月はバリバリと音を立て開こうとしていた。黄色い月は割れ、その奥に真っ黒な闇が見えた。


「何があった!? なぜ冥界の門が開く!?」

 二階から月を見つめていた総帥が立ち上がり、大声を出した。慌てて側近の影が現況を報告する。

「そ、総帥! 竹村伽耶が自ら結界を出ました! どうやら、冥界の女にそそのかされた模様です!」

「何!?」

 総帥が再び月を見上げた。月はもうかつての面影を残していなかった。瞳のように黒い闇が開いていた。そしてその闇から真っ黒な闇の住民たちがこの世に飛び出してきている。

「まずいな……」

 総帥は両拳を固く握りしめた。

「冥界の門は開いた……こうなると、もう俺たちの力で閉じることは不可能だ……」


 闇の入り口から、真っ黒な塊が続々と飛び出してきた。守護にあたる陰陽師の軍団たちの悲鳴が響く。

「次から次へと魍魎が這い出してきます! 殲滅は不可能です!」

「あきらめるな! 総帥がこっちに向かっている! 総帥を待て!」

 その頃、結界を出た伽耶は広間を通り廊下に出ると、裸足で庭に降りていた。

 ヒビが入っている満月が見える。伽耶は月に向って大声を出した。

「け……結界を出ました! 私の姿が見えますか!?」

「ああ……よく見えるぞ、我が娘……」

 かぐや姫の声を聞いた伽耶は何か嫌な予感がした。それは月の女……かぐや姫の声が先程の優しい声とは違い、ゾッとするような冷たい声だったからだ。

 その間も陰陽師たちの戦う音や悲鳴が聞こえてくる。伽耶は月に向かい絶叫した。

「も、もう止めてください! 門を閉じてください!」

「は? 閉じるわけないだろうが」

「え?」

「ようやく開いたのだ。千年前に自ら閉じた門が……このまま闇の住民がこの世を支配してくれるわ!」

「そ、そんな!? 約束したはずです! 私の姿を見たら、門を閉じると!」

「はて? そんなことを言った覚えはないぞ」

 かぐや姫は冷たく言い放ち、伽耶は目の前が真っ暗になった。

「だ、騙したの……?」

「騙したなんて人聞きの悪い……すべて計画通りの出来事だ」

 嬉しそうな声が聞こえた。

「千年前……私は生者の世界に憧れ、自らを赤子に転生し、この世に降り立った。だが冥界から迎えの指令が来て、抵抗空しく冥界の門は開いた。その光景を見た陰陽師の連中や育ての父と母は私に命じたのだ『お前が門を閉じろ』とな。私はその命に従い、自ら冥界に入り内側から門を閉じた。しかし、私は生者の世界での生活が忘れられなかった。それ故に門を開くカギとなるお前を身ごもり、この世とあの世の距離が近づく日まで待ったのだ」

 冥界の門からは、黒い魍魎たちが絶え間なく飛び出してくる。

「お前など、この冥界の門を開けるために作っただけの存在! 門が開いた以上、もう用はないわ!」

 かぐや姫の裏切りにより、伽耶はガックリとその場に崩れ落ちた。周りからは陰陽師たちの悲鳴が聞こえてくる。

(自分のせいだ……自分のせいでこんな事態を招いてしまった。私が結界から出たせいで……)


「おい! 何をしている。早く結界に戻れ!」

 呆然とする伽耶の背後から、男の野太い声が響いた。振り返ると、二階から降りてきた陰陽師総帥がいた。

「早く結界に戻れ! 貴様のせいで、とんでもないことになってる!」

 そんな総帥に向かって、月から声が飛んだ。

「ホホホ……久しぶりね」

 総帥はキッと月を睨んだ。

「何が、久しぶり、だ? 貴様のような穢れた冥界の住人なんぞと面識はないぞ」

「あら、冷たいのね。あれだけ私を求めたくせに」

 月からの声色が変わった。まるで少女のような甘えた声だった。

「な? その声は……!?」

 何かを思い出したかのように、総帥の顔色が変わった。

「伽耶……そこにいる男が誰か分かる? その男こそが、あなたの本当の父親よ」

「え!?」

 伽耶は驚き、総帥を見た。

「陰陽師総本山の総帥こそが、私と交わった人間の男よ。即ち、あなたの父親……その男は二十年前に冥界に迷い込み、私と恋に落ちた……」

「ま……まさか、あの時の女性が貴様!? うっ!」

 そこまで言うと、総帥を黒い闇が包んだ。

「ホホホ、あなたの力は厄介だから、少し大人しくしてもらうわ」

「クッ! しまった! 俺としたことが!」

 黒い結界に閉じ込められた総帥を見て、伽耶は呆然としていた。

(こ、この人が私の本当の父親……?)

「ギャアアア!」

 庭を守る陰陽師たちの悲鳴が轟いてくる。冥界の門からは続々と黒い魍魎たちが這い出している。

「く、クソ! ここから出せ! このままだと、この世が終わっちまう!」

 総帥が黒い結界の中でもがいている。

(ど、どうすれば……?)

 その時、伽耶の頭に月の女性の言葉が頭に浮かんだ。『お前が門を閉じろ』という言葉が。

(そうだ、まだ方法はある。私が門を閉じるのだ。門の内側から……)

 伽耶はキッと顔を上げて月を見上げた。

「どうした、伽耶? そんな怖い顔をして」

 月から声が響く。

「と、閉じさせてもらうわ……冥界の門を……」

「そうはさせん。さっきも言っただろう。門が開いた以上、もうお前に用はないとな……」

 その言葉が終わるや否や、冥界の門の奥の闇が怪しく光り、目にも止まらぬ速さの光の光線が、伽耶に向かって飛んできた。


「危ない!」

 光線に身体を貫かれたと思った瞬間、伽耶は誰かに突き飛ばされて地面に転がった。

 突き飛ばされた伽耶は先程まで自分が立っていた場所を見た。そこには伽耶をかばった母がうずくまっていた。

「お……お母さん!」

 伽耶は母に駆け寄り、そして青ざめた。母は胸からドクドクと血を流していた。

「お……お母さ──ん!」

 伽耶の絶叫が庭に響いた。


 その頃……九尾の狐の結界の中では、麟と堂島の石化が進みつつあった。

「麟さん! 麟さん!」

 壱与が麟にすがりつくが、石化は止まらない。麟の身体は胸まで石化している。右手と四神獣の札は完全に石化していた。

「ま、まさか、四神獣の札まで石化するとはな……!」

「や、やだ──! こんな死に方、嫌だよ──!」

 堂島は首元まで石化している。

「ククク……安心しろ。石化すれば死なない。意識をもったまま石になり、未来永劫、石として生きるのだ」

「そ、そっちのほうがイヤ……だ……」

「堂島!」

 堂島は一気に頭の先まで石化し、後には何かにすがるような顔の石の彫刻が残された。

「ククク……霊力の低い奴ほど石化が早い。それに比べて中国の小僧の石化は遅いみたいだな」

「チッ!」

 麟は何かを呟くと左手を握りしめた。

「ん? なぜだ? なぜ左手だけ石化しない?」

 狐は怪訝そうな顔で麟の左手を見つめると、納得したかのように笑い声を上げた。

「ハハハ! そうかそうか! 左手は我が切り落としたんだったな。義手のため石化が遅れているわけか!」

「お、覚えていてくれて光栄だぜ……クッ!」

 麟の石化が首まで進み、義手の左手も徐々に石化し始めた。

「お、おい壱与……頼みがある」

 麟は壱与を呼んだ。

「な、何ですか!?」

「お……俺の左手の中にある札を取ってくれ」

 壱与が手探りで麟の左手を触ると、どこから取り出したのか分からないが、一枚の黒い札が握られていた。

「こ、これは……?」

「……最後の切り札だ。その札を取って天に掲げてくれ……うっ!」

 ピキピキ、と音がして麟の顎まで石化が進んだ。

「は、はい! こうですか!?」

 壱与は麟の左手から札を取ると天に掲げた。

「ん? 何だ? なぜその札は石化しない?」

 狐が怪訝な顔で黒い札を見た。

「ほ、本当は使いたくなかったんだぜ、コイツはよ……い、出でよ……」

 石化が進む中、麟は必死で声を振り絞った。


「出でよ! 『玄武』!」


 麟が叫ぶと同時に身体は一気に石化したが、黒い札が強烈な黒い閃光を放ったので、狐は思わず腕で目を覆った。

 やがて、狐の目の前で、シュウウウ……という音とともに黒い煙が晴れた。

「は?」

 狐は目を疑った。

 そこには、ひとりの幼い少女が立っていた。

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