第22話「九尾の狐」
「痛たたたた……」
闇に飲まれて、落下した堂島は腰を押さえて立ち上がった。
「こ、ここは?」
一緒に飲み込まれた壱与が、麟の服の裾を掴みながら口を開いた。そこには真っ白な風景が広がっていた。まるで巨大な白い部屋の中にいるようだったが、壁や天井の境目はなく、無限の空間がどこまでも広がっていた。
「こいつは、あの狐が作り出した結界だな……」
目に掛けていた眼鏡を外しながら麟が呟く。
「お、何だよ、麟? サングラスなんかしちゃって?」
「サングラスじゃない、コレは『魔眼鏡』だ。この眼鏡を通じて見ると、魔の正体が見えるんだ」
「え? 魔って?」
「鈍い奴だな、お前がさっき乳繰り合ってた女だよ」
「え? え──!? 沙代さんが!? じゃあ、本物はどこだよ!?」
「分からん……だが恐らく無事ではないと思うぜ」
「そ、そんな……沙代が……」
その時、背後からパンパンパン、と手を叩く音が聞こえた。全員が振り返ると、そこには沙代が笑顔で立っていた。
「ようこそ、私の結界へ」
「さ、沙代さん!」
近づこうとする堂島を麟が制する。
「近づくな、さっき言っただろう。アイツが魔だよ」
「え? いや……アレはどう見ても……うっ! な、なんだあ、こりゃあ!?」
堂島は口から何かを吐き出した。それは真っ白な動物の毛だった。
「わ……わ──! 何だこりゃ──!? ペッペッ!」
「だから言っただろう、それがアイツの正体だ」
堂島が口に詰まった毛を吐き出している間、壱与は麟にギュッとしがみ付いていた。
「おい、どうやって妖気を消しているんだ? お前の身体からは魔の気配が一切ない、どういうことだ?」
「ホホホ。あなたみたいな青二才の道士には永遠に分からないことよ」
沙代は口に手を当てて笑い声をあげた。
「……正体を見せろよ、この化け狐が」
すると、沙代の目が赤く光り、身体が崩れ出した。
麟は懐に右手を入れて臨戦態勢を取った。
……麟たちが、九尾の狐の結界に閉じ込められている頃、陰陽師総本山の本殿二階では、総帥をはじめとした陰陽師たちが月の異変に目を凝らしていた。
「総帥、あの月の亀裂は……?」
「ああ、冥界の門が開く兆しだ。竹村伽耶を媒介として門を開かせる気だな……だがあの女は結界に守られている。あそこから出ない限り、門は開くことはない。安心しろ」
総帥はそう言うと、口元に運んでいた杯をお盆に置いた。
「それより、壱与と沙代の行方はつかめないのか?」
「は、はい。連絡が取れません。しかし、沙代を殺した者は一体誰なんでしょう? もしかしたら、魔の仕業でしょうか?」
「……分からん。ただ一つ言えることは、厳重な結界が張り巡らされた陰陽師総本山に足を踏み入れることができる魔などいないはずだ」
その時、部屋にもうひとりの影が飛び込んできた。
「総帥! ご報告です!」
「どうした!?」
「壱与様と堂島、それと中国の小僧が魔の作った結界に飲まれました! 魔は沙代に化けていた模様です!」
「バカな……妖気を全く感じなかった。そんな魔が存在するのか?」
「は、はい……別の影の報告だと、壱与様が見たビジョンは、白い獣だと……」
「妖気を全く感じさせない魔、そして白い獣……?」
顎に手を当てて考え込んでいた総帥は、カッと目を見開いた。
「一匹だけ思い当たるヤツがいる……そいつは魔どころじゃない、大妖怪だ」
「な、何者ですか!? そいつは!?」
「そいつはかつて人間に化けて、中国とインドの王朝を滅ぼした伝説の大妖怪『九尾の狐』だ」
「きゅ……九尾の狐ですと!?」
「ああ……」
総帥は眉間にシワを寄せ、頷いた。
「し、しかし、なぜそんな大妖怪が、この現代に現れたのですか?」
「伝承によると、九尾の狐は冥界を寝ぐらにして、何百年単位でこの世に現れ、人々に災いをもたらすことを何よりの楽しみにしているという。となると、冥界の女王と手を組んで冥界の門を開き、この世を混乱させようとしてもおかしくはない」
「では、結界に飲み込まれた壱与様や小僧たちは……?」
「恐らく助からん……いくらあの小僧が四神獣を操ると言っても相手が悪すぎる。何せあの狐は、神獣よりも遥かに高い能力を持っているからな」
総帥は苦々しい顔で吐き捨てた。
その頃、九尾の狐が作り出した結界内では、沙代の身体が崩れ出し、新たな身体が現れていた。
その姿は人の姿をしていた。長い銀髪に中性的な顔立ち、目は真っ黒で身体は真っ白な服を着ており、尻尾が一本だけ生えていた。
「何だその姿は? 狐の姿にならないのか?」
麟は以前村を滅ぼされた時に巨大な狐の姿を見ているので、少し戸惑った。
「ククク、お前ごときに本気になる必要などない、この姿で十分よ」
狐は忍び笑いをもらした。しかし、その身体から溢れる妖気は圧倒的だ。麟は背筋が凍るのを感じた。
「お、おい、何だよ、アイツ……優(やさ)男のようだけど、こんな禍々しい妖気を感じるのは初めてだぜ」
堂島も震えている。また目の見えない壱与も、その恐ろしさを感じているみたいで、ブルブルと震え、怯えていた。
「り、麟……」
堂島が震える声で麟に話しかけた。
「どうした?」
「しょ、正直に言うぜ……実は俺、この陰陽師の軍団の中でも、あまり実戦経験がないんだよ。いつもゴマすりや要領の良さでうまく立ち回ってきてよ……だ、だから怖くて……」
「怖くて当たり前だ。アイツは伝説の大妖怪『九尾の狐』だぞ」
「きゅ……九尾の狐――!? 何だよそれ!? 陰陽師総本山が総動員しても敵わない位の大妖怪じゃねえか!? 何でそんな奴が出てくるんだよ──!?」
「分からん、だがこのままでは全滅する。だから逃げろ、アイツは俺が食い止めるから、壱与を連れて、とにかく遠くまで逃げるんだ」
その言葉を聞いた堂島は、ホッと安堵の表情を浮かべた。
「そうだよな! お前の足を引っ張っちゃいけねえしな! よし壱与様、逃げましょう!」
堂島は壱与の手を取り、逃げようとしたが、足がうまく動かないことに気付いた。
「あ、あれ? 何だ? 足が……動かない……」
そして、足元を見た堂島は絶叫した。
「な、何だよコレ──!? あ、足が石になってる──!」
堂島の両足が石になっていた。しかも、水がしみ込むように腰まで石化が進んでいた。
「な、何!?」
麟も自分の足を見た。堂島と同じで両足が石になっていた。ビキビキと音を立てて、石化が進んでいる。
「麟さん! これは……!?」
会話の内容から、ふたりが石になっていることを知り、壱与は青ざめた。これこそが、先程見たビジョンと一緒だったからだ。
「い、壱与……お前は大丈夫なのか?」
麟は自分にすがりつく壱与の姿を見た。壱与は麟たちと違い、石化していなかった。
「ククク……」
狐は不快な笑い声を上げた。
「我が能力のひとつ『石化』、我の目を見た者は石になる。その女が石化しないのは、目が見えないからよ」
麟はまだ石化していない右手を懐に突っ込むと、三枚の札を取り出したが、その札を見て青ざめた。
三枚の札……四神獣の札も石化していた。
「ハ──ッ、ハッハッハッ! 残念だったな、小僧! 我が石化能力の前からは、例え四神獣といえど逃れることはできん!」
「わ、わ──っ! 麟、助けてくれ──!」
堂島が悲鳴を上げた。胸まで石化が進んでいた。
麟たちが石化している頃、陰陽師総本山では、月から伽耶を呼ぶ声が響いていた。
「伽耶……私の可愛い娘……結界から出て……そして、大きくなったその姿をお母さんに見せて……」
伽耶は目をギュッと閉じると耳を塞いだ。
(やめて、お願い、やめて……私の名前を呼ばないで……)
伽耶の心は揺れていた。実の母が呼びかけているのだ。例え、その母が冥界の女性だとしても、伽耶もひと目、実の母親に会いたいという気持ちが抑えきれなかった。
「伽耶! 伽耶! 大丈夫よ! お母さんがいるからね!」
母が伽耶を抱きしめた。その時、月から声が響いた。
「伽耶……その人は本当のお母さんじゃないわ。それどころか、あなたをずっと騙していたのよ」
「だ、騙してなんかいない! 私のことを思って黙っていてくれたの! 血が繋がってなくても、私をここまで育ててくれたの!」
伽耶は耳を塞ぎながら、自分に言い聞かせるように叫んだ。
「分かってないわね、伽耶……」
月から悲しい声が響いた。耳を塞いでいても頭の中に直接響いてくる。
「そのふたりがあなたを育てたのは、私が渡したお金があったからよ。お金に目がくらんで、あなたを育てたのよ……」
「し、失礼なことを言うな!」
「そうです! 私たちは純粋に伽耶のことを愛してます!」
伽耶の両親が怒号を上げた。
「……じゃあ、なぜ金の延べ棒を使ったの?」
「そ、それは……」
伽耶の両親は何も言えなかった。
「伽耶……私はあなたを自分の手で育てたかった。でもそれは叶わぬ夢だった。あなたが人間の血を引いている限り、私の手元で育てることはできなかった……だから、私はあなたを人間界で育ててくれる人へのお礼として幸福をもたらしたの。その人たちが本当に望むものを調べてね……そのふたりが一番必要としていたのは『お金』だった」
「伽耶、そんなことないわ! 確かにお金は必要だったけど、今は違う! あなたが私たちに生きる希望をくれたの! 私たちにはあなたが必要なの!」
母は伽耶を力強く抱きしめた。
だが、伽耶は月からの言葉に徐々に心を奪われていた。
「伽耶、私、あなたをひと目見たいだけなの、ただそれだけなの。あなたの姿を見たら、私、この門を閉じるわ。お願い伽耶……あなたの成長した姿を、お母さんに見せて……」
その言葉に伽耶の心は陥落した。
「か、伽耶!?」
母が伽耶の姿を見て、戸惑いの声を上げた。
伽耶は月に向かって、一歩踏み出していた。
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