第21話「迎えの日」

 八月十五日が来て、伽耶は二十歳になった。本来なら成人になり、家族に祝福される日だが、今年はそうはいかない。なぜならこの日が予知にあった『迎えの日』だからだ。

 過去の文献からすると、千年前は深夜に月から迎えが来たという。そのためこの日、陰陽師総本山では伽耶の警護のため、全国から腕利きの陰陽師が集結していた。

 伽耶を守る結界は大広間に敷かれることになった。庭へと続く障子はすべて取り払われたので、結界内から空に浮かぶ月が見えることになる。また結界の中には火鼠の毛皮が置かれ、伽耶はこの結界内で一晩を過ごすことになる。

 結界内で月からの迎えに応じなければ、結果、冥界の門は開かず、この世の平安は保たれる、という見立てだった。


 陽が落ちてあたりが暗く染まると、庭にかがり火が炊かれ、伽耶は陰陽師の巫女が着る真っ白な衣装を身に纏い結界に入った。結界は大きく、伽耶の父と母も一緒に入ることができた。

「伽耶、大丈夫よ。お母さんが付いているからね」

「ああ、お父さんもいる。絶対にお前を守ってやるからな!」

 両親が両脇に付く。伽耶は黒須が残した毛皮を手元に引き寄せた。


 一方で伽耶の結界の真上に位置する建物の二階では、陰陽師総帥が庭全体が見渡せる場所に陣取り、ひじ掛けにもたれかかりながら、冷酒をちびちびと嗜(たしな)んでいた。

「総帥、全員の配置が終わりました」

 通称『影』と呼ばれる黒い服を着た男が総帥に報告を行なった。

「おお、ご苦労、ご苦労、それと、あの中国の小僧は……」

「はっ、指示通り、屋敷の裏に配置しています。あとなぜか堂島が側にいるみたいですが……」

「ああ、ほっとけ、ほっとけ、あの小僧の得体が知れないから、念のために堂島を付けているんだ」

 総帥が手をひらひらとさせた。

「お、お父様……いや総帥! 麟さんは、そんな得体の知れない人物ではありません!」

 総帥の隣に座る壱与が、怒ったように声を上げた。

「何だ何だ、壱与? あの中国の小僧の肩を持つとは、どうやら惚れちまったか?」

 総帥がニヤニヤしながら茶化すと、壱与は真っ赤な顔をして「そ、そんなんじゃあ、ありません!」と返し、頬を膨らませて総帥から顔を背けた。

 だが次の瞬間、壱与はあるビジョンをキャッチし、身体が強張った。

「さ、沙代……」

 壱与は身の回りの手伝いをする沙代を呼びよせた。

「どうしました? 壱与様」

 壱与が慌てて近寄ると、壱与は総帥に気づかれない様に沙代の耳に口を付けて、先程見たビジョンのことを小声で伝えた。その内容を聞いた沙代は顔色を変えた。

「ほ、本当ですか!? 壱与様!」

 壱与はコクリと頷いた。


 完全に陽が落ち、あたりは真っ暗になった。空には満月。世間ではスーパームーンと言われ、今日は月が最も大きく見える日ということだ。

 麟と堂島は屋敷の裏にいた。ここからは伽耶の様子を見ることができない。

「ていうか、何でお前、俺の側にいるんだよ?」

 呪術符の準備をしている麟が、堂島に話しかけた。

「へへ……まあ固いこと言うなよ、お前といれば安心だからな」

 軽口を叩く堂島を見て、麟はため息を吐いた。だが、麟自身は気付いていないが、堂島がいることで、気持ちが落ち着いていた。

 陰陽師総本山に来て以来、麟は組織の人間全員から疎まれているのだが、堂島だけはいつもと変わらず、麟に人懐っこく話しかけていた。そのことが、無意識に麟の心に平穏をもたらしていたのだ。


「なあ、麟、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」

「何だよ?」

 麟は横目で堂島を見た。

「お前が使役している四神獣だけど……」

 呪術符を確認している麟の動作が止まった。

「四神獣と言えば、『青龍』『朱雀』『白虎』……そして『玄武』の四匹だ。お前、玄武の札は持ってないのか?」

「それ……言う必要があるのか?」

「い、いや……ちょっと気になってな……あれ?」

 堂島が話の途中で振り返った。するとそこには、巫女の服を着た壱与と、付き人の沙代が立っていた。

「壱与様に沙代さん……こんな所に何の用ですか?」

 堂島が首を傾げると、沙代が堂島の元に駆け寄ってきた。

「壱与様が……ビジョンを見たそうなんです」

「そ、そうなんですか!? で、その内容は?」

「ちょっと……あまり良くない内容のようです」

「そうなんだ……」

 沙代が堂島の服を掴んだ。

「大事な話みたいなので、私たちは席を外しましょう」

「あ、ああ……そうだな」

 堂島と沙代は麟たちから離れて、ふたりから見えない物陰へ移動した。


「り、麟さん……」

「何だよ、どうしたんだ?」

 壱与は震える手で麟の服の裾を握った。

「さ、先程、見えたんです……ビジョンが……」

「何を見たんだ?」

「し、白い獣……」

 その言葉に麟は反応し、思わず壱与の両肩を強く掴んだ。

「白い獣だと!? 何を見たんだ!」

 いつも冷静な麟が狼狽する姿に、壱与は戸惑い固まった。


「沙代さん、壱与様は一体、何を見たんだろうね?」

 一方で、麟から離れた堂島と沙代は物陰に隠れてふたりの様子を見ていた。

「かなり危険な予知みたいです。だから総帥の許可を取って、ここに来ました」

「そうなんだ……え!? 沙代さん! 何やってんの!?」

 堂島は驚きの声を上げた。なぜなら、沙代が急に着ていた着物をスルスルと脱ぎだしたからだ。

「ふふ……」

「ちょ、ちょっと待ってよ、沙代さん!」

 着物を脱ぎ捨てた沙代は一糸まとわぬ姿になると、堂島の股間に手を伸ばした。

「え? ええ? 何? 何? 何――!?」

「堂島さん……実は私、前から堂島さんのことが気になってたんです……」

 沙代はとろんとした目で堂島を見つめた。

 豊満な胸が堂島の身体に押し付けられ、堂島は思わず生唾を呑んだ。

「い、いいんですか……?」

 沙代が妖艶な笑みを浮かべて頷くのを見て、堂島の理性は遥か彼方へ吹っ飛んた。


「おい、壱与のヤツ、遅いな」

 その頃、本殿二階に陣取っている総帥が壱与のことを気にして、影に声を掛けていた。

「そうですね……中国の小僧の元に向かったはずなので、堂島に連絡を取ってみましょうか?」

 影がそう話した時だ。突然、廊下の方から女性の悲鳴が響いた。

「キ……キャアアアア!」

 影がその声の方向へ走った。

「どうした!?」

「あ、あ、あ……」

 壱与のもうひとりの付き人の女性がガタガタ震えている。影はその目線の方を見て驚いた。

 何とそこには、壱与と一緒にいたはずの沙代の身体が転がっていた。目をカッと見開いて口からは血を流し、首は身体に対し真逆に曲がっていた。

「な、なぜ……? じゃあ、壱与様と一緒にいる女は一体……?」

 影は急いで堂島のスマホを鳴らした。


 同時刻──。麟は壱与の両肩を掴み、強く問いただしていた。

「白い獣を見たのか!? そいつはどこにいるんだ!?」

「ど、どこにいるかは分かりませんが、白い獣が現れて、女性の姿に変わりました……」

「それで!?」

「その後、麟さんが石になって……」

「石!? 何だ、それは!?」

 麟がそう言った瞬間、壱与の身体がビクン! と震えた。

「どうした?」

「み……見えました。新たなビジョンが……」

「何!?」

「その白い獣が近くにいます……」

「どこだ!? どこにいる!?」

 麟が問い詰めると、壱与はある方向を指さした。それは堂島が、沙代と消えた方向だった。


 プルルル……。

「いいの? スマホが鳴ってるわよ?」

 堂島に抱きしめられた沙代は妖艶な顔で微笑んだ。

「い、いいよ! 今はこっちの方が大事だ!」

 堂島が血走った目で沙代の唇を吸った時だった。足音が聞こえてきて、麟の声が響いた。

「堂島!」

「ゲッ! り、麟と壱与様!?」

 堂島は慌てて沙代から唇を離した。

「何やってんだよ、お前!?」

「い、いや……これは……」

「あの、麟さん……」

 麟の後ろに隠れていた壱与が口を開いた。

「沙代は……沙代はどこです? そこにいるのは、沙代ではないですよね?」

 麟はその言葉を聞くや否や、懐からサングラスのような眼鏡を取り出して顔に掛けた。

 そして息を呑んだ。その眼鏡を通して見えたのは沙代ではなかった。それは一匹の白い狐だった。口が耳まで裂けていて、九つの尻尾が見えた。

「て、テメエ……テメエは……!?」

「え? どうした麟?」

「り、麟さん。まさかあそこにいるのは、私が見た……」

 堂島と壱与が混乱し、麟が懐に手を入れて札を出そうとした瞬間だ。

「ほ──っ、ほっほっほっ!」

 その沙代であった者は笑い声を上げ片手を上げた。と同時に真っ暗な空間がそこにいた全員を包んだ。

「え? 何、何!?」

「り、麟さん!」

 壱与は麟にしがみついた。

「き、貴様――!」

 麟の声が闇夜に消えた。黒い闇が麟たちを包んで、そこにいた全員が煙のように姿を消した。


 そして、大広間の結界では、伽耶の父が手元の時計に目を落としていた。

 時計の針は午後一一時五五分を示していた。あと五分で八月一五日が終わる。月を見上げると、月は相変わらず真昼のような光を放っているが、何かが起こる予兆は何もない。

(間違いだったんじゃないのか?)

 父の脳裏にそんな思いがよぎった。

(何かの間違いだったんじゃないのか? 月から人が来るなんてあり得ない。すべて自分たちの勘違いだったんじゃないのか? 伽耶は月からの使者……かぐや姫なんかじゃなく、ただ単に本当に捨て子だった。確かにその場にあった金の延べ棒に手を付けたが、その後の事業の成功は偶然ではなく自分の実力であったに違いない。間違いない、伽耶は普通の人間だ……)

 父は一分一秒でも早く時間が進むよう願った。その思いは母も同じだった。手元の時計の長針は五十八を指していた。

 あと二分……。伽耶の手を握りしめ伽耶の横顔を見た。脳裏に伽耶との思い出が浮かんだ。

 哺乳瓶で美味しそうにミルクを飲む姿、初めて歩いた日、初めて自分のことを、お母さん、と呼んでくれた日。そんな伽耶との大切な記憶が浮かんでは消えた。

(渡さない……血が繋がっていなくても伽耶は私の娘……絶対に伽耶は渡さない……)

 だがその時、母の頭にある不安がよぎった。

(自分たちは伽耶のことを本当の娘だと思っている。だが、伽耶の本心はどうなのだろうか? 伽耶はもしかしたら、本当の母に会いたいのではないか?)

 母は思わず伽耶を見つめた。だが伽耶は何か思いつめた表情をしていて、その表情からは伽耶の本心は読み取れなかった。

 時計の秒針が刻一刻と進む。

 あと少し……。皆の緊張が緩んだ、その時だった。伽耶の耳に女性の声が飛び込んできた。それは満月の夜にいつも聞こえた声と同じだった。


「伽耶……」

 伽耶は顔を上げた。月は光り輝いている。

「伽耶、伽耶……」

 声が頭の中に直接飛び込んできた。空耳ではなかった。声は以前聞いた時よりも大きく、はっきりと聞こえた。

「だ、誰……? 誰なの!?」

 伽耶がそう叫ぶと同時に、庭で警護していた陰陽師たちから大声が上がった。

「お、おい! あれを見ろよ! 月が!」

 その声を合図に全員が月を見上げると言葉を失った。

 月に亀裂が入っていた。バリバリと不快な音が聞こえてくる。

「な、何だよ、アレ!? 月が……月が割れてるぞ!」

 警護している陰陽師は、あまりに非現実的な光景に言葉を失った。


「伽耶……」

 再び伽耶を呼ぶ声が聞こえた。しかし、その声が聞こえたのは伽耶だけではなかった。その場にいた全員がその声を聞いた。

「伽耶、お母さんよ……会いたかった。迎えにきたわ……」

 時計の針は丁度、午後一一時五十九分を指していた。

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