第20話「過去」

 月明かりに照らされた縁側で、麟は自身の過去を話し出した。


「……俺が生まれ育ったのは、中国の山奥の小さな村だ。そこは道士を育てる村だった」

「道士?」

「中国における魔を退治する退魔士のことを道士と呼ぶ。日本の陰陽師も道士もルーツは同じ、陰陽五行を基本として、この世にはびこる魔を滅することを生業(なりわい)としているんだ」

「そうなんだ……」

「村の人口は五十人ほど。住民は全員退魔業の心得があり、俺は物心つく頃から、退魔業の知識、それから武術や呪術を徹底的に叩きこまれた。式神に対する知識も、その中のひとつだ」

「式神……朱雀さんや青龍さん、白虎さんのことね?」

「ああ、強力な魔に対抗する手段として道士や陰陽師は式神という妖獣を使役する。だが、魔の中には並大抵の式神じゃあ歯が立たない奴もいる。それに対抗するためには、更に強力な式神を使わなければならない。その中でも最強の能力を有するのが『神獣』、名前の通り、神の使いの獣。あいつらは、そのカテゴリーの中でもトップクラスに属する『四神獣』なんだ」

「じゃあ、その村で朱雀さんたちと出会ったの?」

「……違う、あいつらは村が滅びてから出会った」

「ほ、滅びた?」

「ああ……滅ぼされたんだ。悪魔のような妖怪と女にな……」

 麟は月を見上げた。

「あの日も、こんな満月の日だったよ……」


 月を眺めながら、麟の告白は続いた。

「村は美しい自然に囲まれていた。春には桜が咲きほこった。夏には冷たい川で水浴びをした。秋には村の田んぼを金色の稲穂が彩った。冬には真っ白な雪が村を包んだ。俺には兄弟はいなかったが、優しい両親がいた。同年代の友達もたくさんいた。修業は厳しかったが、楽しいこともいっぱいあった。だが、村にはひとつ不思議なことがあった」

「それは何?」

「女性がいなかった」

「え?」

「正確には同年代の女性がいなかった。何世帯かあった家庭に女性の子供がひとりもいなかったんだ」

「ど、どうして?」

「分からん……だが、ひとりだけ女性はいた。歳は俺よりふたつ上だった。その女性の名前は『太鳳(たお)』。少し明るい髪をした女性だった」

「何で、その娘だけがいたの?」

「それも分からん……でも太鳳は俺たちと同じではなかった」

「?」

「太鳳は孤児だった。そして、牢屋に閉じ込められていた」

「え……!?」

「村の外れに家があり、家の中の牢屋があった。そこに太鳳は閉じ込められていた。牢屋の屋根には天窓があり、陽の光だけが唯一の明かりだった。太鳳は鎖に繋がれていて、文字通り幽閉されていた」

「い、いつからそんなところに……?」

「俺が物心ついた時には既にそこにいた。そして、俺たちは親から固く言いつけられていた」

「何を?」

「『太鳳には指一本触れるな。そして太鳳の声に耳を傾けるな』と」

「な、何、それ!?」

「子供心にも太鳳という女性が接触してはいけない女性だと感じていた。だが俺が十五歳の時に変化があった。太鳳には毎日食事が届けられていたが、ある日、その食事を俺たち子供たちが作ることになり、審査が行われた。そして、その審査の結果、俺が太鳳の食事係に任命されたんだ」

 伽耶は以前、麟が家で食事を作ったことを思い出した。麟の作った料理は、確かにとても美味しかった。

「俺はその日から、太鳳のために食事を作り、牢屋まで運んだ」


 麟は初めて太鳳と会った日のことを話し続けた。

 家は質素な一軒家だった。扉を開けると生活感のない土間があり、その奥に頑丈な鉄の格子が見えた。まるで刑務所の牢屋のようだった。天窓からは夕暮れの太陽の光が差し込んでいた。牢屋の中は思ったより広かったが、片隅にベッドが置いてある以外は何もなかった。太鳳は頭から毛布をかぶって、ベッドに横たわっていた。顔が見えない代わりに明るく長い髪が見えた。

 食事の受取口に食事を置いたが、太鳳は少しも反応しなかった。

 翌朝、食器を下げに再び家に向かった。牢屋の受取口に食器が置いてあった。食器を覗き込むと器はどれも空になっていた。

 食器をさげようとすると、食器の向こうに女性が立っているのが目に入った。そこには、明るい髪の大きな目をした美しい顔の女性が立っていた。小柄で質素な黒い中国服を着ていた。それが太鳳だった。

「キミが作ったの?」

 思わず「うん」と言い、うなずいた。

「美味しかったよ、ありがとう」

 太鳳はにっこり笑った。辺りを照らすような太陽のような笑顔だった。


「それがきっかけだった。俺は決まりを破って、太鳳と少しずつ話をするようになった。太鳳は両親を知らず、幼い頃にこの家に閉じ込められるようになったが、不思議なことに、それ以前の記憶がない、と言っていた。そして……」

 麟は目を閉じた。

「運命の……あの日が訪れた……」


「ねえ、麟、お願いがあるの。私ね、一度でいいから、ここから出てみたい。ここから出て外の空気に触れてみたいの」

 麟と太鳳が出会って一年目の夏の日の出来事だった。麟は十六歳、太鳳は十八歳になっていた。

「だ、ダメだよ、太鳳……父さんたちや母さんたちからもきつく止められている。こうして話しているのも内緒にしているんだ。それなのに外に出るなんて……それだけは絶対にダメだよ」

「そんなこと言わないで……私ね、昨日村人たちの会話を聞いたの。私は一生この牢屋の中にいなければいけないって。そして、村の誰かの子供を産まなければいけないって……」

「え……!?」

「私、もうあきらめている……外に出ることをあきらめている。でもね、その前に思い出がほしいの。外の世界の空気を、この身体で感じてみたいの!」

「で、でも……」

「お願い、麟!」

 太鳳は牢屋越しに麟の手を握った。

「十分……いえ五分だけでいい! 一度だけでいいの! 自由がほしいの! 他の誰でもない麟だからお願いしてるの! 私、この村で麟しか信用できないの! お願い……!」

 今までも外に出たいという願いはあったが、この日の太鳳の願いは今までとは様子が違っていた。何か鬼気迫るものがあった。麟は渋々了解した。


 その日の深夜、麟はこっそり自宅を抜け出すと、太鳳が幽閉されている家に向かった。空には満月が浮かんでいた。月は明るく夜道を照らしていた。田んぼから蛙が鳴く声が聞こえた。麟は真っすぐに太鳳の元に向かった。

 毎日食事を届けていたから、家の鍵の場所は分かっていた。麟が家に入ると太鳳は天窓から降り注ぐ月の光を浴びていた。その姿は神々しく、そして美しくもあり、麟の鼓動は高鳴った。

「待ってたわ……麟」

 太鳳は今まで見たことのないような笑みを見せた。牢屋の鍵を開けて中に入り、太鳳の足に付けられている鎖の鍵を外そうとした時だ。麟は牢屋の中の異様な光景に気付いた。

 牢屋の中を埋め尽くすように呪術符がびっしりと貼られていた。それも上級以上の魔に対する特級の札だ。札を見た麟は、何か嫌な予感がした。だが突然、太鳳が麟に抱き着いてきた。

「た、太鳳……?」

「ありがとう、麟……私……麟を信じて、本当に良かった」

 そして、太鳳は麟に唇を重ねた。麟も太鳳を抱きしめた。麟が鎖を外すのに、もう何の迷いもなかった。


 鎖から解き放たれた太鳳は外に出た。空には満月。月の光は舞台の照明のように太鳳を照らした。

「キレイ……これが……これが外の世界……?」

 裸足のまま太鳳は地面を踏みしめた。そして、両手を伸ばすと軽やかに走り出した。

「た、太鳳!」

「何?」

「ご……五分だけだよ! 約束だよ!」

「分かってるわ!」

 太鳳は幸せそうに外の世界を満喫し、身体いっぱいで喜びを感じているように見えた。

そんな太鳳を見て麟は微笑んだ。その時だった。


 ズン! 

 突然、麟はその頭上に怪しげな妖気を感じ、身体中に悪寒が走った。

 修行と称していくつかの魔と対峙したことがある。だが上空から感じた妖気は、いまだかつてない想像を絶するものだった。麟は恐る恐る空を見上げた。

「う……うわあああああ!」

 麟は恐ろしさのあまり絶叫した。

 夜空に巨大な白い狐の化け物が浮かんでいたからだ。その巨大な身体は夜空を覆いつくしていた。赤い眼光、耳まで裂けた口、そして丸太のように太く長い九つの尻尾が空に乱舞していた。

「な……何だ、このバケモノは……!?」

 そして、更に驚愕の光景を目にすることになった。


 太鳳が空に浮いていた。

 空に浮かぶ太鳳は、吸い寄せられるように狐の化物の元に向かっていた。

「た……太鳳!」

 麟が太鳳に向かって手を伸ばすと、狐の尾が一閃した。

 麟は一瞬の出来事に、何が起こったのか分からなかった。ふと気が付くと、空に伸ばした左手が肘のあたりから無くなっていた。そして、すぐ目の前の地面に自分の左手が転がっているのが見えて、続いて焼けつくような痛みが襲ってきた。

「あ……あああああああ!」

 左腕を押さえて、その場に倒れ込んだ。と同時に狐が耳まで裂けた口を大きく開けた。

 狐は口から爆炎を吐いた。あまりに強大な炎は村を一瞬にして包んだ。

 痛みと出血で薄れゆく意識の中、麟は太鳳の姿を見た。空に浮かぶ太鳳は麟を見ていた。太鳳は今まで見たことがないくらい、悲しい顔をしていた。


 次に目覚めた時、麟は家の中にいた。

「麟! 麟!」

「母さん……」

 目の前に母の顔があった。左腕の血は止まらず、意識は朦朧としていた。

「麟、気が付いた!? 誰かが太鳳の牢屋の鍵を開けたみたい! それと同時に九尾の狐も現れて……」

(九尾の狐……?)

 村の講義で習った妖怪の名前だった。古代中国の王朝とインドの王朝を滅ぼし、中国全土を恐怖の渦に叩き込んだという、九つの尾を持つ狐の化物……伝説の大妖怪だった。

「ギャアアア!」

 外から悲鳴が聞こえてきた。

「お父さんや村のみんなが力を合わせて戦っている。狐の目的は太鳳だったみたい……誰が……誰が太鳳の牢屋の鍵を!?」

(お母さん! 僕だ! 僕が太鳳の牢屋の鍵を開けた! 僕が悪いんだ!)

 必死で声を上げようとしたが、口は魚のようにパクパク動くだけで、声にならなかった。その間も、外では悲鳴が聞こえてくる。麟は自分がしでかした事の重大性を激しく後悔した。

「麟……多分、村はこのまま滅びるわ……でも大丈夫、お母さんが、あなただけは守ってみせる……」

 そう言うと、母は麟に抱きつくように上から覆いかぶさってきた。

(お母さん! お母さん!)

 必死で母を呼んだ。しかし、その声は母には届かなかった。

 母は麟の右手に何かを握らせた。

「この地図に書かれた場所に行きなさい……あなたなら……あなたなら、きっと使いこなせるはずよ……」

 母が泣いているのが分かった。麟の目からも涙がこぼれた。

 そして次の瞬間……とてつもなく大きな音がしたかと思うと、巨大な火炎が目の前に見えた。

 あまりの恐ろしさに麟は目を閉じた。身体中を熱風が包んだ。そして、麟は再び気を失った。


 次に麟が目を覚ました時には、夜が明けていた。家は屋根を吹き飛ばされ全壊。そして、身体の上には焼け焦げた母親が覆いかぶさっていた。

 母親の身体中には、無数の呪術符が貼られていた。そして麟の左手には義手が装着されていて、その義手にも母親が貼ったと思われる札があった。

 麟が身体を起こすと同時に、真っ黒に焼かれた母親の身体はボロボロと崩れた。よろよろと立ち上がると、目の前には村の無残な光景が広がっていた。村はすべて焼き尽くされており、至る所に無数の焼死体が転がっていた。

 麟は地面にひざまづくと、両手を力の限り地面に叩きつけた。失くしたはずの左手は今までと同じように動いた。母親が貼った呪術符のおかげだ。口からうめき声が漏れた。

(俺は騙されたのだ。太鳳に……)

 麟は悔しさのあまり歯をくいしばった。

(村は滅ぼされた。両親をはじめとして、皆、殺された。あの大妖怪、九尾の狐によって……)

 麟はキッと顔を上げた。

 後悔しているヒマはない。これから自分が成すべきことは分かっていた。

(太鳳を探しだして問い詰めるのだ。なぜ自分を騙したのか? そして復讐するのだ。九尾の狐に)

 いつも綺麗だと褒められていた艶のある黒髪は、一晩で真っ白になっていた。

 麟は再び地面に両拳を強く叩きつけると顔を上げた。涙は出なかった。その代わり、焼けつくような怒りの感情が心の奥に渦巻いていた。麟は空に向かって絶叫した。

「許さない……! 必ず……必ず探し出してやるぞ、貴様ら!」

 だが、その時、右手に何か紙が握らされていることに気付いた。

「これは……?」

 それは意識を失う前に母が握らせた紙だった。


「母が残した紙は『四神獣』の存在を示す地図だった。俺はその地図に従い、二年に渡り大陸を周ると、四神獣を探し出して式神の契約を結んだ。そして今年に入り、九尾の狐が日本にいるという気配を掴んだので、俺は貨物船に忍び込んで日本に上陸した。そして、お前に出会ったんだ」

 あまりに凄惨な麟の過去に、伽耶は言葉を失っていた。

「これが俺の過去……そして日本に来た理由だよ」

 麟は大きく息を吐きだした。

「り、麟は……」

 伽耶は震える声で言葉を絞り出した。

「麟はいつも笑わない……表情も変わらない……それはまさか、その時のことが原因で……?」

「ああ……あの日以来、俺は笑い方や泣き方を忘れちまったようだ。心の奥底には怒りが渦巻いていて、怒り以外の感情が麻痺しているんだ」

 麟は月を見上げた。

「まあ、いいさ、感情なんて俺には必要ない」

「だ、ダメだよ! 麟!」

 伽耶は思わず麟の腕を握った。

「そんな……そんなこと言わないで! 麟は私をずっと助けてくれた。そ……それはまだ優しさっていう感情が残っている証拠だよ! 麟の感情はまだ生きているよ!」

 伽耶の目に涙が浮かんでいた。

「私ね……太鳳さんが逃げたのには、何か理由があると思う。どうしても村から逃げなきゃいけない理由が……だ、だから麟……」

 伽耶は目元を拭うと麟の目を見つめた。

「明日のことが終わったら、私も太鳳さんを探すのを手伝う! 麟はいつも私を助けてくれた。今度は私が麟を助ける番だよ!」

 伽耶はそう言ってにっこり笑った。

 

 麟は黙って月を見上げていた。明るい月が空に浮かんでいた。

 麟は相変わらず無表情だった。だが伽耶には麟の目が今まで以上に優しい目をしているように見えた。

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