第19話「満月の夜」
冥界から迎えが来る、と言われる八月十五日に向けて、伽耶は陰陽師総本山に匿われることになった。
当日は火鼠の毛皮を配置した結界の中に入り、一夜を過ごすことになる。伝承によると、冥界の住人の血を引く伽耶をカギとして門が開くため、伽耶が結界から出ることなく、冥界からの迎えに応じなければ、冥界の門は開くことはない、ということだ。
但し、冥界からの使者は伽耶が結界内にいることが分かれば、いかなる手段を用いても結界を破壊しようと目論むであろう。そのため、総帥の指揮の元、陰陽師たちは日夜厳しい修練を積むことになり、また伽耶自身も不測の事態に備えて、自分の身を守るため陰陽師の基本的な修行も行なっていた。
そして、迎えの日の前日となる、八月十四日が来た。伽耶が陰陽師総本山に来たのが、七月の終わりだったので、約二週間、総本山で過ごしていたことになる。
毎日の修業を終えた夕方、伽耶は大浴場で汗を流していた。総本山の水は霊元ある山の湧水を使用しており、魔よけになると言われ、観光客に人気らしく、気のせいか、この湯に浸かるようになってから、肌の調子が良くなった気がしていた。
また、大きな浴槽に身を委ねながら、明日……八月十五日のことに思いを馳せていた。
(皆の言うことが本当なら、明日、冥界からの迎えが来るはずだ。陰陽師総本山に来て以来、月から自分を呼ぶ声は聞こえない。だが感じるのだ。誰かが私を見張っている。誰かが、私に何かをさせようとしている。それはきっと、この世とあの世を隔てる冥界の門を開けさせること……)
そう考えると、伽耶は自分という存在が、とてつもなく罪深い存在であるように思えてきた。
カラカラカラ……。大浴場に続く扉が開く音がした。陰陽師総本山に女性は少ない。伽耶は思わず浴槽に身を沈めたが、入ってきた人物を見て、ほっとした表情を浮かべた。
「……壱与さん」
「あ……伽耶さん、入ってましたか? ごめんなさい、私、後にしますね」
大浴場に入ってきたのは壱与だった。
「え? いいですよ。一緒に入りましょう」
伽耶はにっこりと笑った。
目の見えない壱与は慎重に浴槽まで歩き、手桶で湯をすくい身体を洗うと、長い髪を束ねて湯船に浸かった。そんな湯船に浸かる壱与の姿を見て伽耶は驚いた。
壱与の身体は服の上からは想像できないくらい、大きな胸と雪のような白い肌をしていた。若さで満ち溢れていて、水が肌を弾いていた。
伽耶はじっと壱与の身体を見つめた。女性の自分から見ても、惚れ惚れするくらい美しい身体だった。
「あ、あの……壱与さん……」
「ハイ、何でしょうか?」
伽耶が声を掛けると、湯船に浸かる壱与は、にこやかな顔で答えた。
「そういえば、壱与さんって、いくつなんですか?」
「あ、私ですか……? 今年で十六になります」
(じゅ、じゅうろく……? 若いとは思っていたが、まさか私よりよっつも年下とは……)
伽耶はかなり動揺した。
「どうかしましたか?」
「い、いえ……何でもありません……」
(あれ?)
その時、伽耶は壱与の右肩にある特徴的なほくろを見つけた。ほくろは星のような形をしていた。伽耶は反射的に自分の右肩を見た。そこには壱与と同じ形のほくろがあった。子供の頃に両親から、目印になるといわれていたほくろだった。
(同じような形のほくろがあるなんて、すごい偶然だなあ……)
伽耶がそう思っていると、今度は壱与が話しかけてきた。
「あの、伽耶さん……私も質問していいですか?」
「は、はい! 何なりと!」
急な質問に伽耶は慌ててしまい、思わず敬語で答えた。
「伽耶さんと麟さんは、どういう関係なんですか?」
「え? り、麟と?」
思いもかけぬ質問に伽耶は戸惑った。
(私と麟との関係……?)
「も、元々は私が通り魔に襲われていたところを麟が助けてくれたの……それで麟が日本に来たばかりというので、ウチで働いてもらっていて……」
「そ、そうなんですか……私はてっきり、おふたりは恋人同士なのかと……」
「ち、違うよ! 私と麟は、全然そういうのじゃなから! ……でも壱与さん、何でそんなことを聞くの?」
伽耶が壱与の方を向くと、壱与の白い顔が真っ赤になっていた。それは湯でのぼせたからではないように思えた。
「いえ……す、少し麟さんのことが気になりまして……あ! でも、好きとかそういうのではないですから」
そう言うと、壱与は湯をすくい真っ赤になった顔を洗い流すように、バシャバシャと洗った。
(ふう……)
先に風呂を出た伽耶は、着替えながらため息を吐いた。
(まさか、壱与さんが麟のことを、そういう目で見ていたとは……)
壱与が言うには、男の人に一喝されたのは、父親以外では初めてだと言う。何だかんだ言っても、陰陽師総帥の娘という立場である以上、今まで怒られることもなかったわけで、麟が気になっているという。
伽耶は再びため息を吐いた。
「伽耶様……」
不意に脱衣所の外から女性の声がした。壱与の生活のサポートをする、沙代、という若い女性の声だった。
「は、はい、何でしょう?」
「伽耶様のご両親が、お見えになっています」
「え!?」
伽耶は服を着ると、早足で応接室に向かった。
(お父さんとお母さんが来ている!?)
伽耶は、黒須が死んで京都に向かうとき、二度と竹村家に戻らないという決意をした。
いや、決意というより、両親にどういう顔をして会えばいいのか分からなかった。今まで、二十年近く一緒にいたふたりが実の両親でないと分かったのだ。どう接してよいのか分からなかった。そのため、もうふたりには会わないほうがよい、と決心していたのだ。
恐る恐る応接室を覗くと、ソファーに父と母が並んで座っていた。二週間ぶりに会うふたりは、心なしか痩せて、少し老いたようにも見えた。
「お父さん、お母さん……」
応接の障子の前で声を出すと、伽耶の姿を見つけた母が走り寄ってきた。
(怒られる……!)
目を閉じた伽耶だったが、怒られはしなかった。その代わり、母は泣きながら伽耶に抱き着いてきた。
「伽耶……伽耶……ごめんね……ずっとウソをついてて、ゴメンね……」
泣きながら謝り続ける母に抱きしめられた伽耶の目にも涙が浮かんだ。
カナカナカナ……。夕暮れ時の中、セミの声がやけに大きく聞こえてくる。昼間の熱気を冷ますような風が応接室に流れた。
テーブルを挟んで伽耶は両親と対面していた。母はさっきからずっと泣いている。そして、父が口を開いた。
「……総帥から連絡があったんだ。明日、伽耶を守るために結界を作る。その中に私たちも入ってほしいとな」
「え?」
「相手は恐らく伽耶を結界の外に連れ出そうとする。それを食い止めるには、身内の強い愛情が必要だそうだ……」
身内、という言葉を発するとき、父は苦しそうな表情を浮かべた。
「伽耶……もう知っているとは思うが、私たちはお前の本当の両親ではない……だが、お前のことを他人だなんて思ったことは一度もない。お前は私たちの娘だ。何があっても私たちの娘だ……」
父のその言葉を聞いた母は、ううっと嗚咽を漏らした。
「お前に真実を告げなかった自分たちのことを本当にひどい人間だと思っている……しかし、私たちはお前を離したくはない。私たちのエゴかもしれないが、明日、お前を家族として守らせてほしい……」
父の目にも涙が浮かんでいた。
母はずっと「伽耶……伽耶……ごめんね」と泣き続けている。
伽耶はそんなふたりの愛情の深さを感じ、涙を流しながらコクリと頷いた。
その夜、伽耶は両親に挟まれ、子供の頃のように布団で川の字になって眠りに付いた。
どれくらい眠っただろうか。真夜中に伽耶は目を覚ました。障子の向こうから月の明かりが見えた。
そっと布団を抜け出すと、廊下に出て縁側に腰を下した。満月だった。真昼のような月の光が縁側を照らしていた。
(私の本当の母親は月の住民……一体どんな人なんだろう……?)
ぼんやりと月を眺めていると、庭の陰からガサッと物音がした。思わず身構えたが、その音の主を見ると、笑みがこぼれた。それは麟だったからだ。
「麟……」
「どうした? 寝れないのか?」
「う、うん……月の光がとても明るいから、つい見とれちゃって」
「月?」
麟は月を見つめた。月は黄色に輝き、庭を昼のように照らしていた。
「ああ、もの凄い明るさだな」
そう言うと、麟は伽耶の隣に腰掛け口を開いた。
「……初めて」
「え?」
「初めて伽耶に会った時も、こんな満月だったな」
「あ、そ、そうだね」
伽耶は満月を見つめる麟の横顔を見つめた。白い髪は月の光に照らされ銀色に輝いていた。まつ毛は長く、女性のように美しい顔をしていた。
「どうした? 不安か? 明日のことが」
「え? う、うん……」
麟が突然話しかけてきたので、伽耶は思わず声が裏返った。
「明日は熟練した陰陽師たちが、お前の守護をする。安心しろ」
麟がそう言うのには理由があった。麟は伽耶の警護から外されていたのだ。
陰陽師総本山に来て以来、麟は常に監視されている。伽耶と違い、麟はまだこの組織から不審者として見られているのだ。
麟が警護する持ち場は屋敷の裏側で、そこは伽耶が待機する結界から、ちょうど真後ろの位置であった。
「うん……」
「まだ心配なことがあるのか?」
麟が伽耶の顔を覗き込んだ。伽耶は不意に今日の風呂場での壱与との会話を思い出していた。
「で、できれば……」
「できれば?」
「麟が近くにいてほしかった……」
あまりに大胆な告白に伽耶の顔は真っ赤になり、思わずうつむいたが、そんな伽耶の思いとは裏腹に、麟は相変わらず感情のない声で答えた。
「大丈夫だ。何かあれば俺を呼べ、どこにいても、お前の元に必ず駆け付ける」
「あ、ありがとう……」
伽耶は顔を上げて麟を見たが、麟の顔から真意は読み取れなかった。
「でも、麟……」
「何だ?」
「何で、麟はこんなに私を助けてくれるの?」
「そうだな……日本に来て、身寄りもなく困っていたところを助けてくれたそのお返し……それと……」
「それと?」
麟は月を見上げた。
「もう、誰も死なせたくないからかな……」
麟の表情は変わらなかったが、月を見つめる目はとても悲し気に見えた。
「麟……」
伽耶は手を伸ばして麟の手に触れた。
「私、麟のことを何も知らない。中国から来たということしか……教えて、貴方は一体何者なの? 誰を探して日本に来たの? 私、知りたい、あなたのことを知りたい……」
伽耶の目は潤んでいた。
麟は大きく頷くと、今まで話さなかった自分の事を語り出した。
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