第16話「籠の鳥」

「お、陰陽師総帥の娘なのか、アンタ……」

「はい……」

 壱与は力なく言葉を発した。

「ま。待って!」

 伽耶は牢屋の木枠に手を掛けた。

「お願い! 私と一緒にここを出て! 貴女なら私を助けてくれると、黒須さんが言ったの! 黒須さんの死を無駄にしたくないの!」

「で、でも……」

 壱与はまた下を向いた。

「私は父の……いや、総帥の命令に背いて、ここから出るわけにはいけないのです……」

「そんなに親父が怖いのかよ?」

 麟が問いかけると、壱与は両拳をギュッと握りしめ「はい……」と呟いた。

 壱与のそんな姿を見て、麟はため息を吐いた。

「牢屋に閉じ込められることを拒否する女もいれば、牢屋に閉じ込められることを望む女もいる。女ってのは分からないもんだな」

(牢屋に閉じ込められることを拒否する女?)

 麟の言い方に伽耶は違和感を覚えた。その言い様が、牢屋に閉じ込められている女性を見たことがある。と言ったような物言いだったからだ。

「何と言ってくれても構いません」

 壱与は見えない目で麟を見つめた。

「父の命令は陰陽師総本山の掟。私は父に逆らうわけにはいかないのです……」

「それで、アンタは一生、予知の力を親父に提供して、その見返りにずっと養ってもらい生きていくのかよ?」

 麟の言葉に壱与は力なく頷いた。

「仕方ないのです……私は空を飛べない『籠の鳥』、そしてこれが私の運命なのですから……」


 その言葉を聞いた麟は伽耶の隣に立ち、牢屋の木枠を掴んだ。

「違うな」

「え?」

「お前は逃げてるだけだよ。陰陽師の使命や親父のことを言い訳にして、現実から逃げてるだけだ」

「そ、そんなことは……」

 壱与の口調が変わった。苛立ちのような感情が見え隠れした。

「もう一回言ってやる。お前は逃げてるだけだ。大方、今回のことも、自分の予知があまりに大騒ぎになったのが怖くて、逃げだしたんだろう?」

「し、失敬な! 私はちゃんと父に進言しました! 伽耶さんを粛正するのは、止めてほしいと!」

「それなら、もう一度、伽耶を守るために、この牢屋から出れるはずだよな?」

「そ、それは……」

 壱与の声が小さくなった。そして大きく息を吐きだすと、言葉を絞り出した。

「麟さん、でしたね……確かに…あなたの言う通りです…」

 壱与は自分の目を触った。

「私は怖いのです。父に逆らうことが……私は目が見えない。幼い頃から父の言う通りにして生きてきました。ここで父にまた反抗して見捨てられたら、世間知らずの私はどう生きていけばいいのか分からないのです……」

「壱与さん……」

 伽耶は改めて壱与の姿を見た。そして気付いた。初めは薄暗かったのでよく見えなかったが、目が慣れてくると壱与の顔や体型がよく見えるようになってきた。

 壱与の顔は落ち着いた口調とは裏腹に幼く見えた。身体つきも、成熟した成人女性とは思えなかった。

(もしかして、壱与さんは私よりずっと年下なのかも……?)

 伽耶はぼんやりとそう思った。


「なあ、壱与さんよ」

 麟は落ち着いた口調で話しかけた。

「あんたの言い分も分かる。でもな、どう生きていけばいいのか分からないのは、ここにいる伽耶も一緒だぜ」

「え?」

「伽耶は、つい最近までは幸せに暮らしていた。だがお前の予知で生活は一変した。陰陽師総本山から命を狙われ、今まで両親だと信じていたふたりが実の両親でないと知らされた。そして、追い打ちをかけるように自分自身の存在がこの世を破滅に導く存在と知らされた」

 その言葉に、壱与はハッとした顔をした。

「自分だけ不幸を背負いこんでるって思うなよ。お前の予知で、ひとりの女性がこんな目に遭ってるんだ。お前はその責任を取らなきゃいけないんだよ」

「で、でも、私が牢屋から出たところで何も……」

 その時、伽耶の手から黒須の毛皮が落ちた。その毛皮は意思を持っているかのように壱与のひざ元にフワリと舞った。ひざ元の毛皮に触れた壱与は急に顔色が変えた。

「こ、この毛皮は!?」

「黒須さんが獣になったときの毛皮です」

 伽耶は、そう言葉を発した。

「こ、これは!? もしかして、この毛皮はあの……!」

 壱与は両手でその毛皮を握った。

「この毛皮が本当にアレだとしたら、確かに伽耶さんを救えるかもしれない……で、でも……」

「チッ」

 麟は舌打ちすると左腕の袖をまくり上げた。腕は包帯に巻かれていて、何枚もの札が貼られていた。

「その毛皮が何を意味するか分かんねえが、恐らくお前はこう思っているだろうな。本当に冥界の迎えから、伽耶を守れるだろうかと……」

 そう言うと、麟は包帯の腕の札を剥がし始めた。

「お前は目が見えないため、霊気で人の判別をしてるんだろう。特別サービスだ。その心の目で俺を見てみな」

 壱与はその言葉を聞くと、麟をじっと見た。そして驚いた。

「そ、その光は!? あなたは……あなたは一体……!?」

「おっと」

 麟は剥がした札を再び左手に張り出した。

「ここまでだ」

「り、麟……今のは何? 一体、何をしたの?」

 不思議そうな顔をする伽耶だったが、麟は何も答えなかった。その代わり、麟は壱与に対して言葉を続けた。

「お前、さっき自分の事を『籠の鳥』って言ったよな。でもな、それ間違ってるぜ。お前は籠から出る翼を持っているくせに、その翼を使わない臆病な鳥なだけだ」

「麟さん……」

 壱与は大きく息を吸って、見えない目で麟を見つめた。

「……確かにその通りです。私にはここから出る翼があります。どうやら私は籠から出ることができない、ただの臆病な鳥だったみたいです」

 壱与はスッと立ち上がると、牢屋の内側に貼られていた札に手を掛けた。

「伽耶さん……申し訳ございませんでした……ここから出ましょう。そして一緒に運命に抗いましょう」

「壱与さん……」

 壱与は牢屋の中の札を一枚一枚、剥がし続けた。


 その頃、屋敷の外では堂島が青龍の操る木の縄で縛られ、地面に転がっていた。

「あ、あの~……青龍さん……自分は一体いつまで、この状態でいるんでしょうか……?」

「そうですね、麟たちが、あの家から出てくるまでですね」

 車の屋根に腰掛けた青龍が、家の方を見ながら答えた。

「そ、そんな!? さっきも言ったが、あの家自体が式神なんだよ! 一度中に足を踏み入れたら外には二度と出れない! 俺にずっとこのままでいろってかよ!?」

 青龍が堂島を睨んだ。

「ホント、うるさいですね、あなたは……何で麟が私をここに残したかのか、分かっていますか?」

「へ?」

「もし、この場に短気な朱雀か、粗暴な白虎がいましたら、あなた縄で縛られるくらいじゃすみませんでしたよ」

 その言葉に堂島は震え上がった。

「それに四神獣、最後のひとり『玄武』がいたら、それこそ……ん?」

 青龍が話をやめて屋敷の方を見ると、屋敷が大きく揺れていた。その光景を見た堂島は驚きの声を上げた。

「ば、バカな!? 結界が崩れるだと!?」

 グラグラと揺れていた屋敷は、突然崩れ出した。と同時に屋敷から赤い光が走った。

 赤い光は矢のように屋敷から飛び出すと、堂島の近くに着地した。


「ようやく脱出できましたか」

 青龍が笑みを見せる。

 赤い光の正体は朱雀だった。右半身に麟が。そして左半身に伽耶と壱与がしがみ付いていた。

「……ああ、重かった。三人も抱えて飛ばせるなんて、ホント、罰当たりな使役者だわ」

 朱雀が眉間をしかめて麟を睨んだが、麟はそしらぬ顔をしている。

「い、壱与様!? 自ら結界を出たのですか!?」

 壱与が朱雀から身体を離し、よろけながら地面に足を着けると、堂島が驚いたように叫んだ。

 壱与は静かにうなずいて前を見据えていた。その見えない目の奥には覚悟という光が灯っていた。

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