第8話「黒須の秘密」

「え? 解雇って、どういうこと!?」

 朝食を目の前にして、伽耶は父親に対して驚きの声を上げた。

「ああ、お母さんとも色々話し合ったんだが、麟くんは、やはり家には置いておけないという結論になったんだ」

 伽耶の父親は神妙な顔で説明し、母親もコーヒーを飲みながら無言でうなずいた。


 伽耶が犬井に連れ去られた事件から、二週間が経っていた。

 麟が警察に匿名で通報したことで廃校が調査されると、気を失っている土屋と広瀬が保健室で見つかった。ふたりとも外傷はなく生命に別条はなかったが、事件の前後の記憶が抜け落ちており、警察からの事情聴取に何も答えることができなかった。

 また犬井の姿も、当然だが発見することはできなかった。屋上に焼け焦げた跡があったが、その焼け跡からは何も見つからなかった。結局、犬井が土屋と広瀬、それと伽耶を誘拐したが、そのまま姿をくらましたということで、失踪事件として扱われることになった。

 伽耶は屋上での出来事は口にしなかったが、屋上にバッグが残されていたことから取り調べを受けることになった。

 伽耶は、廃校にはいたが犬井の目を盗み逃げ出したと話し、また伽耶の父親が警察に手を回したことで、それ以上の嫌疑はかけられなかった。

 そして、両親には家の使用人である麟に助けられたと正直に告白したが、そのことが逆に仇となった。両親たちが麟を激しく疑ったのだ。

 あの日、深夜になっても帰ってこない伽耶を心配した両親は、麟が伽耶を連れて帰ってきたのを見て不信感を強めたのだった。

 特に、なぜ屋敷にいたはずの麟が、遠く距離の離れた廃校に短時間で移動できたのかを不審に思われ、麟と犬井は共犯ではないか、という疑惑まで生まれた。

 その結果、麟が何かこの事件に関係しているという結論に達し、解雇を言い渡されることになったのだ。


「お父さん……麟は私を助けてくれたのよ。彼はこの事件とは無関係よ……」

「そうは言うが、どうも行動が怪しい。やっぱり素性の知れない子を雇うんじゃなかった」

 父の言葉が終わらない内に、伽耶は椅子から立ち上がると、麟が寝泊まりしている宿舎に向かって走った。


「黒須さん!」

 伽耶が宿舎に向かうと、近くの車庫で運転手の黒須が車を洗っていた。

「どうしました? 伽耶様」

 伽耶は、ハアハアと息を弾ませながら、黒須に問いかけた。

「お父さんから麟が解雇になったって聞いたの。私、あの日以来、麟とちゃんと話していない。麟は……麟はどこ?」

 黒須は手に持っていた洗車用のホースを下に置くと、眼鏡の位置を直した。

「伽耶様……麟はたった今、出ていきました。もうここにはいません」

 その言葉を聞いた伽耶は呆然と立ち尽くした。

「な、何で……?」

「旦那様の命令です。一日でも早くこの屋敷から出ていくようにと」

「そ、そんな! 麟は何も悪くない! 私を助けてくれたのよ!」

「すいません。私にはこれ以上……」

 黒須が頭を下げると、背後から「伽耶!」と母親の声がした。

「お、お母さん……」

「伽耶、忘れなさい。あの子はやっぱり怪しい子だったのよ」

「ち、違うよ、お母さん! 麟は私を助けてくれたの! 何で……何で誰も信じてくれないの!?」

 取り乱す伽耶を見ながら、黒須は伽耶がさらわれた日から現在に至るまでのことを思い出していた。


 車で待機している黒須の元に、麟と伽耶が屋敷に現れたという連絡が入ったのは、日付が変わる頃だった。

(お嬢様は無事……)

 黒須は安堵したが、その気持ちは一瞬でかき消され、次に不安が襲ってきた。

 伽耶が無事ということは「組織」の計画が失敗したことを意味していたからだった。

 そして、事件の翌々日に宿舎の黒須の部屋に麟が訪ねてきた。聞きたいことがあるのだという。部屋に入るなり、麟は黒須に問いかけてきた。 


「今回の事件……なぜ伽耶の同級生の犬井が伽耶を襲ったと思いますか?」

「恐らく、お嬢様に思いが伝わらなかったから、凶行に走ったんだろう」

「そうですね。恐らく動機はそうだと思います。でも普通はあんなことはしない。ヤツがあんな犯罪じみた行動に出たのは、何らかの強大な力があったからだと思っています」

「何だ? その強大な力、っていうのは?」

「闇の力……率直に言うと、狗神の力です」

 黒須に額に汗が浮かんだ。

「俺……少し調べてみたんですけど、あの犬井って男は、代々狗神の血を引く家系の出身みたいですね」

 黒須は黙って麟の話を聞いた。

「狗神とは、低級な動物霊の力を借りる古代からの呪術。だが、その狗神の力はもう途絶えているにも関わらず、あの男は狗神の呪術を駆使していた。それはなぜか? そのことから導き出される答えはひとつです」

 麟は黒須を見据えた。

「何者かが犬井に狗神の力を使う術を教えた。狗神の力は、他者の身体と精神を意のままに操る呪術。その狗神の力を借りて、犬井は伽耶を自分のモノにしようとしたが、逆に動物霊に取り憑かれて、魔に堕ちた」

 麟の話を聞いた黒須は薄ら笑いを浮かべた。

「……バカバカしい。何が狗神だ。こんな近代社会にくだらない」

 だが、黒須の言葉を無視して麟は話を続けた。

「今回の事件は犬井という男の衝動的な犯行ではない。もっと計画的なものだ。犬井に狗神の力のことを教えた者がいる……そいつが事件の黒幕ですよ」

「何だよ、その黒幕ってのは?」

「とぼけるのはやめませんか?」

「何?」

「黒幕は黒須さん、あなたですよ」

 その言葉に黒須の顔が強張った。

「正確に言うと、あなたは恐らく共犯者だ。あなたが伽耶の情報を誰かに流し、その誰かが犬井に呪術を教えた。犬井を利用して伽耶を亡き者にするために」

 一瞬、部屋に静寂が訪れたが、黒須はうすら笑いを浮かべながら口を開いた。

「バカ言え、何で俺が伽耶様を……」

 その言葉が終わらない内に麟が口を挟んだ。

「黒須さん……あなた一般人を装っているけど、本当は『陰陽師』の組織に属する人間なんじゃないんですか?」

 窓の外からセミの鳴き声が聞こえて来る。麟の口から出た『陰陽師』という言葉に、黒須は更に動揺した。

「陰陽師とは中国の道教から派生した宗派であり、人々に災いを成す『魔』を退治する存在。今回の事件の黒幕は、あなたたち陰陽師の組織の仕業だ。陰陽師なら、この国に伝わる呪術を表から裏まで網羅している……その証拠に、あの日廃校に貼られていたのは、日本の陰陽師が使う札だった。いわゆる結界札といって、あの廃校に伽耶を閉じ込める札だ」

「な……何が陰陽師だ! バカバカしい! 俺はただの運転手だ!」

 黒須は大声を上げ激高したが、息を整えると冷静に話した。

「……話はそれだけか? もういいだろう」

「いえ、それだけでは、ありません」

 麟は黒須をじっと見つめた。

「陰陽師の連中が伽耶の命を狙う目的は、伽耶が『魔』そのものだからですか?」

 黒須の表情が更に強張った。

「思えば、初めからおかしかったんですよ」

 麟はゴソゴソと懐から、羅針盤のようなものを出した。

「何だ、それは?」

「魔を感知する『魔針盤』という道具です。俺が初めて伽耶に合った日、コイツは強大な魔の気配を察知しました。だから、俺はあの場にいたんです。そして、俺は犬井に操られた通り魔が伽耶を襲うのを見つけて退治した。だが俺はずっと疑問に思っていた。操られていたあの通り魔は小物の魔だった。なぜそんな魔に、この魔針盤が反応したのか?」

 麟は黒須を見据えた。

「その答えはただひとつ……あの日、この魔針盤が反応したのは、通り魔じゃない。『伽耶』だったということだ。伽耶の強大な魔の気配が俺をあの場に導いたんだ。その証拠に、犬井に拉致されたときも魔針盤は伽耶の魔の気配をキャッチした」

 黒須は平静を装っていたが、血の気が引くのが分かった。

「黒須さん、教えてくれ。伽耶は一体何者なんだ? なぜあいつから強大な『魔』の気配が出ている? そして、陰陽師の組織が伽耶の命を奪おうとしている本当の理由は何だ?」

「知らん……それはお前のただの妄想だ……それに、何で一般人の俺にそんなことを聞く?」

「あなたが陰陽師の命令に背いて、伽耶の命を救おうとしているからですよ」

 麟は、黒須の引きつった顔の先に一枚の黒焦げた紙を掲げた。それは黒須が伽耶のために作った四葉のクローバーの栞だった。

「……何だ、これは?」

「伽耶が襲われた時に持っていた栞です。この栞は、あなたが伽耶に渡したものですよね?」

「それが何だ?」

「これは栞に見せかけた『人形(ひとがた)』です。陰陽師の連中がよく使う、魔に対抗するお守りです」

 黒須の身体からドッと汗が吹き出した。

「恐らく、あなたが所属している陰陽師の組織と伽耶の命を狙っている組織は同じはずです。でもあなたは迷っている。伽耶の命を奪うという命令と、伽耶を守ろうとする感情の狭間で葛藤している」

 黒須の眉間にしわが入った。

「屋敷の結界、それと黒猫のジジはあなたの式神だ。どちらも伽耶を守っている」

 黒須はもう何も話さなかった。部屋には再び静寂が訪れた。

「黒須さん……」

 麟は沈黙を破るように立ち上がった。

「陰陽師の掟は絶対です。でもあなたは葛藤している。だから俺に電話を掛けたんでしょう? 俺なら、伽耶を救えると思って」

「知らん……俺は何も知らん」

 黒須はうつむいて首を振った。その姿を見た麟は、これ以上話しても埒(らち)があかないと判断したのか、部屋の出口に向かっていった。

「ちょっと待て……」

 今度は黒須が呼び止めた。

「お前も陰陽師なのか?」

 だが、その問いには答えずに麟は部屋から出ていった。


 この日を境に、今日に至るまで黒須は麟とひと言も会話を交わさなかった。そして、組織からの連絡も一切途絶えている。

 取り乱す伽耶を母と使用人たちが取り押さえて屋敷に連れて行くのが見えた。庭からはセミの鳴き声が聞こえ、テレビのニュースで、この後、何日も猛暑日が続くと伝えている。季節は八月になっていた。組織の連中が話していた『迎えの日』まで、あと少しだ。

 黒須は眼鏡を外し汗を拭うと、夏の青空を見上げた、その時だった。

 懐に入れていた携帯が鳴った。画面は非通知。

「はい」

 ためらいもせず、ワンコールで電話を取った。

「……黒須さん、俺だ」

 あの日、伽耶が犬井に連れ去られた日に掛かってきた電話の主と同じ声が聞こえた。

「黒須さん、まずいぜ。総帥はお怒りだ。今夜にでもケリをつけろとの命令だ」

 黒須は何も答えずに電話を握りしめていた。

「聞いてるのか? 黒須さん。総帥が極上の式神を貸してくれた。コイツなら万が一、あの中国の小僧の式神が出てきても、絶対に大丈夫だ」

「ああ……」

「黒須さん、俺は近くで待機している。やるのは今夜だぜ」

 黒須は返事をしなかった。

「何を迷っている?」

 電話の向こうでため息が聞こえた。

「あの女は、この世を破滅に導く『悪』なんだぞ」

 そして、電話が切られた。

 ミーン、ミーン……。黒須の耳には、セミの鳴き声だけがやけに耳に残っていた。


 その日の深夜。伽耶は寝室のベッドの中で寝返りをしながら、考え事をしていた。

(絶対に間違っている。麟は私を助けてくれた。その麟が解雇だなんて……しかし、麟は一体、何者なんだろう?)

 犬井の事件の後、麟が口にした『式神』と言う言葉が気になり、スマホで検索を掛けた。そこには『式神とは、陰陽師が使役する鬼神のこと』という記述があった。

『陰陽師』といえば一時期テレビでも話題になり、有名な芸能人を主人公にして映画も作られていた。自分も見たことがあるが、確かその内容は、平安時代を舞台に陰陽師と呼ばれる主人公が『式神』と呼ばれる鬼を操り、悪霊たちと戦っていくストーリーだった。

(ということは麟の正体は陰陽師? そしてあの女性……朱雀さんは麟が操る式神?)

 考えれば考えるほど、麟のことが分からなくなってきた。伽耶が眠れずに再び寝返りを打った時だ。窓ガラスが、ガンガンと大きな音を立てた。

(何だろう? 風の音にしては大きい。でも、外から誰かが窓を叩いているとしても、ここは二階だ……)

 伽耶はベッドから身を起こした。窓を叩く音は段々と大きくなっている。


「キャア!」

 突然、窓ガラスが割れて、巨大な黒い物体が部屋に飛び込んできた。そして、その黒い物体にはひとりの人間がしがみ付いていた。

(だ、誰?)

 伽耶は目を凝らしてその人物を見た。こっちへゆっくりと歩いてくる。伽耶が悲鳴を上げようとした時だ。その人物が伽耶の口を塞ぎ身体を拘束した。


 自分の口を塞ぐ人物の顔が薄明かりの中、ぼんやりと見えた。

 伽耶は驚きのあまり硬直した。それは黒須だったからだ。

 黒須は白い道着のような衣装を着て、苦悶の表情を浮かべていた。

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