第7話「朱雀」
(だ、誰? 何で空に人が浮かんでいるの!?)
伽耶は空に浮かぶ真っ赤な髪の女性を見て呆然としていた。
女性は、ゆっくりと地上に向け降下すると屋上に着地した。伽耶は空から降りてきた女性の姿を見つめた。
細面で美しい顔をしていた。体型は細く、腰まである長い髪は赤色。着ている服も真っ赤で地面に着きそうなくらい袖や丈が長く、まるで鳥の羽のようだった。またミニスカートのような丈の短い衣装からは白い足がのぞき、足元にはヒールが高い、真っ赤なサンダルのような厚底の靴を履いていた。
「……おせーんだよ、さっさと降りて来いよ」
「この建物の周りの結界の札を焼いていたのよ、結構な数の札があったわ」
女性は悪びれる様子もなく、長く真っ赤な髪をかきあげながら答えた。
「ね、ねえ、麟……その女性(ひと)は誰? お知り合い?」
伽耶がおずおずと麟に話しかけると、麟は驚いた声をだした。
「伽耶! こいつの姿が見えるのか!?」
「う、うん……」
「へえ……」
赤髪の女性は、麟と同じく少し驚いた顔を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。
「……私の姿が見えるなんて、貴女、かなり高い霊力を持ってるわね」
そして、コツコツと厚底の靴音を鳴らして伽耶に近づいた。
「私は、四神獣のひとり『朱雀』(すざく)よ、よろしくね」
「は、はい……?」
(ししんじゅう? すざく? )
「伽耶、心配しなくてもいい。こいつは俺の『式神』だ」
戸惑う伽耶に麟が話しかけた。
伽耶が更に混乱する中、麟の背後から犬井が襲い掛かるのが見えた。
「あ、危ない!」
犬井は大きな口を開けて麟に襲い掛かって来た。
「朱雀!」
しかし、襲い掛かる犬井に少しも慌てることなく、麟は朱雀の名前を呼んだ。
「はいはい」
朱雀は面倒くさそうな顔で麟の前に立つと片手を大きく振った。すると、手から火が吹き出して、目の前に炎の壁が現れた。
再び現れた炎の壁に行先を阻まれた犬井は、後ろに飛び去ると唸り声を上げた。燃えさかる炎の壁を前に、いら立つ様子を見せているようだった。
「な、何で、手から炎が……?」
驚く伽耶を前に、麟が口を開いた。
「この炎が朱雀の能力だよ」
「能力?」
「ああ、魔を滅し、浄化させる炎だ」
当の朱雀は涼しい顔で腕組をしながら、炎の壁の前に立っていた。
一方で、伽耶はあまりに非現実的な出来事が続き混乱していた。だが、ひとつだけ明確な疑問があった。それは、なぜ犬井があのような姿になってしまったか? ということだった。すると、麟は伽耶の心を見透かしたかのように口を開いた。
「伽耶……なぜアイツがあんな化け物みたいな姿になったのか、教えてやろうか?」
伽耶は黙って頷いた。
「この世の中には、目には見えない悪意が充満している。妬み、恨み、欺瞞……それらの負の感情が積もると人の心は『魔』に取り憑かれて悪霊に変化する……」
伽耶はかつて犬井であったはずの巨大な化け物を見つめた。真っ黒な犬の姿をしていた。目は赤く不気味に輝き、耳まで裂けた口には鋭い牙が並び、口元からはボタボタとよだれを垂れ流していた。
「呪術符が剥がれたってことは、恐らくアイツには人並み以上の霊力が備わっていたと思う。そこに強大な負のエネルギーがかかったことで、魔に身も心も乗っ取られて、あのような化け物になってしまったんだ」
犬井がしゃがみ込むのが見えた。どうやら助走をつけて炎の壁を飛び越そうとしているようだった。
「もう、あいつには人間の心はない。本能のまま暴虐の限りを繰り返す、ただの化物だ」
犬井が勢いよく炎の壁の前で跳躍した。その跳躍は高く、壁を飛び越して伽耶達に襲い掛かってくる。
「あいつを救う方法はただひとつ……」
落雷のように上空から襲い掛かる犬井。だが、朱雀が麟と伽耶の目の前に立ちはだかると、犬井に向けて手のひらを突き出した。
「朱雀の炎で焼き尽くし、身も心も浄化することだ」
麟の言葉が終わると同時に、朱雀の手から先程の火とは比べ物にならない位の大きな爆炎が放出されて、犬井は空中で炎に包みこまれた。
「ギシャアアアアア!」
耳をつんざくような犬井の悲鳴が轟いたので、伽耶は思わず耳を塞いだ。
犬井は地面に落下すると、そのまま炎に焼かれていった。
「私の炎に包まれて、生き残るヤツはいないわ」
朱雀は炎で焼かれる犬井を見ながら、そう呟いた。やがて炎に包まれる犬井の身体から、真っ黒な煙のようなものが天に昇っていくのが見えた。
犬井の身体は朱雀の炎で焼き尽くされ、床には真っ黒に焼け焦げた跡だけが残された。骨の欠片一片すら残っていなかった。
「麟……犬井くんは、どうなったの?」
「どうもこうも見ての通りだ。朱雀の炎に焼かれて浄化した。日本式な言い方をすると、『成仏』した、ってとこだな」
その言葉を聞いた伽耶は両手を口に当てた。それは即ち『死』を意味していたからだ。
「犬井くん、何で……何でこんなことに……」
伽耶の目から涙が落ちた。
「まあ仕方ないな。さっきも言ったが魔に堕ちた以上、もう人間には戻れない。それなら、いっそ浄化して身も心もまっさらにしてしまったほうが、ヤツのため……」
「麟、そんな冷たい言い方はないわ。彼女、友達が亡くなり傷ついているのよ」
朱雀が腕組みをしたまま、麟に近づいてきたので、麟はそれ以上話すのを止めた。
「まあ、アンタには感情がないから、仕方ないけどね」
(……感情がない?)
泣きながら伽耶は麟を見た。麟はいつもと変わらず無表情だった。
「それより、早くこの場から立ち去ろう」
麟が話題を変えるように口を開いた。
「え? 土屋くんと広瀬さんは……?」
「もうヤツの洗脳は解けたから大丈夫だ。それに結界も解けたから、後は警察に任せればいい。面倒なことになるのはごめんだ」
「でも、どうやって帰る気なの? こんな山奥だから携帯の電波も繋がらないし、歩いて帰るにも……」
「問題ない」
麟は空を指した。
「空から帰ればいい」
「そ、空って?」
「朱雀、俺たちを伽耶の家まで連れて行ってくれ」
麟がそう言って朱雀の方を見ると、朱雀は心底嫌そうな顔をした。
「……嫌よ」
「は?」
「アンタねえ……簡単に言うけど、空を飛ぶのは結構な労力を使うのよ。だから絶対に嫌、何で私がふたりも抱えて飛ばないといけないのよ」
朱雀は腕組みしたまま、プイ、とそっぽを向いた。
「な……何、言ってやがる! 俺はお前の使役者だぞ! 使役者の言うことを聞かない式神が一体どこにいるんだ!?」
「ここにいるわよ! 絶っ……対に嫌! 私は天を守護する神獣様なのよ、それを毎回毎回乗り物みたいに扱って……この罰当たりが!」
「な……何だと!?」
麟に悪態を付く朱雀だったが、伽耶が青白い顔をして心配そうにしている姿を見ると、言い合いをやめて、大きなため息を吐いた。
「仕方ないわね……」
そう言って、伽耶を手招きした。
「伽耶……だったわね、こっちに来なさい」
伽耶は朱雀に近づいた。
「私の身体を掴みなさい」
伽耶は言われるがままに、朱雀の身体にしがみついた。その身体は柔らかく、人間と同じ温もりだった。
「麟、アンタもよ」
麟も朱雀の身体に手を掛けた。
「今回だけだからね」
「ブツブツ言うな、それより早く飛べよ」
麟がそう言うと同時に朱雀の身体がゆっくりと宙に浮かび上がった。伽耶は朱雀の身体にしがみつきながら足元を見ると、地面から遠ざかるのが分かった。
「え? え? 何なのコレ!? そ、空を飛んでいる!?」
伽耶は大きな声を出した。
「朱雀は鳥の神獣だから、空を飛ぶことができるんだよ」
驚く伽耶に麟が声をかけた。
「伽耶、もっとしっかり掴まって。そうしないと振り落とされるわよ」
伽耶は朱雀の身体を強く抱きしめた。
「さあ、行くわよ」
朱雀の言葉を合図に、一気に身体が上昇していった。そして、見る見るうちに先程自分たちがいた屋上が遠くなり、次の瞬間には朱雀は鳥のように街の明かりのほうへ飛んでいった。
先程までいた屋上と違って、上空は涼しく不快な汗が引くのが分かった。眼下には街の明かりが見えた。いつか飛行機から見た街の夜景そのものだった。伽耶は、なぜ麟が短時間の内に街と屋敷を往復できたのか、その理由が分かった気がした。
振り落とされないよう、伽耶は朱雀の身体にしがみついていたが、それは杞憂だった。朱雀は片手で伽耶の身体をしっかりと抱きしめていてくれた。その力強さに伽耶は安心を覚えた。
一晩の間に、非現実的な出来事が次々と起こり、伽耶の頭は混乱していた。今、こうして空を飛んでいることも同じだ。だが、朱雀が伽耶を抱くその腕は、人間と同じで温かかった。その温もりだけが、伽耶にとっての現実だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます