第3話「黒い観察者」

「びっくりしたわ、麟をウチで雇うなんて」

「はは、伽耶の命の恩人だし、中国から来たはいいが身寄りは無く、住む場所も決まってないって言うからな」

 車の後部座席で伽耶が声を上げると、隣に座る父親が笑った。

 ふたりは黒須の運転する車に乗っていた。伽耶は大学に。父親は自身が経営する会社に送ってもらう途中でのやり取りだった。


 昨日、麟の腕を医者に診てもらった後、麟に、なぜ日本に来たかを尋ねると「人探しに来た」と答えたが、特に知り合いもおらず、お金も持っていないかったため、竹村家で住み込みで働かないか? と提案したところ、麟は了承したのだと言う。

 そんな会話を交わすふたりの姿を、黒須はバックミラー越しに見ていた。

「でも、お父さん、麟に何をやってもらうの?」

「ああ、庭の手入れや掃除、それと屋敷の警備をしてもらうよ。ちょうど先月、シゲさんが退職して、男手が足りないからな」


 車はまず伽耶の通う大学に着いた。伽耶を降ろすと、車は再び走り出した。

「ふう……」

 父親は大きく息を吐きだすと窓の外を見つめた。その姿を見て、ハンドルを握る黒須が話しかけた。

「旦那様、あの麟と言う男ですが……」

「ああ、どうやら、お前と同業のような気がするな」

 同業、という言葉を聞いた黒須は再びバックミラー越しに父親を見た。

「伽耶が襲われた時、あの麟という少年は暴漢の額に札のようなものを貼り、動きを止めたらしい。その札が何か分かるか?」

「話の内容から推測するに、その札は恐らく『呪術符(じゅじゅつふ)』という札かと思われます」

「呪術符?」

「はい。古代中国に伝わる不思議な力を持った万能札です。あの小僧は数日で日本語を覚えたと言いました。そんなことができるのは、呪術符の力以外にあり得ません」

「そうなのか?」

「ええ、また呪術符を使いこなせるようになると、宙に浮いたり、水の上を歩くこともできると言われています」

「まるで仙人みたいだな」

「そうですね……いわゆる中国古代の伝承に残っている仙人たちは、呪術符を使っていたと言われています」

「そうか……」

 そう呟くと、父親は大きく息を吐きだした。

「旦那様、他に何か心配事でも?」

「いや……昨日、医者にあの小僧の腕を診てもらったよな?」

「はい」

「その時、分かったのだが、あの小僧の左手は義手だった」

「え!?」

 黒須は動揺して車が少し揺れた。

「まさか……? あいつ普通に左手を動かしていましたよ」

「左手の包帯の上には無数の札が貼られていた。呪術符が何でもできる万能札だと言うのなら……」

「あの小僧は、呪術符の力で義手を本当の腕のように操っている……?」

 後部座席の父親は無言で頷いた。道路は渋滞しており黒須はブレーキペダルを踏んだ。

「義手を本当の腕のように、自由自在に操るとなると、かなりの使い手です。それと、あの小僧は昨日、伽耶様が襲われた現場にいましたが、それは偶然でしょうか? それとも、まさか目的は、伽耶様……?」

「分からん」

 外の風景を眺めながら、父親は口を開いた。

「だから、当面手元において様子を見る。伽耶にはウソをついたが、奴を雇い入れたのは監視するためだ。もし、奴が伽耶にとって害を成す存在ならば……」

 父親はミラーに映る黒須の顔を恐ろしい顔で見つめた。

「……始末しろ」

「分かりました」

 前の車がようやく動き出したので、黒須はゆっくりとブレーキペダルから右足を離した。


「わ──、このご飯、すごく美味しい!」

「本当ね、ちょっと辛いけどクセになる味だわ!」

 その日の夜、竹村家の食堂では伽耶と母親が麟が作った夕食に舌鼓を打っていた。

「おふたりの口に合って良かったですわ。麟に賄いを作らせてみたら、思いのほか良い味だったので、作らせてみましたの」

 初老の小柄な女性がニッコリと笑った。竹村家の厨房を取り仕切る、トメさんという名前の総料理長だった。

「ほら、奥様と伽耶様がアンタの作った料理を、美味しいって言って食べてるよ。少しは嬉しそうな顔をしたらどうだい?」

 トメさんが隣に立っている麟の腕を肘で突いたが、麟はニコリともしなかった。

「麟の作った料理、とっても美味しいよ。どこかで料理を習ったことがあるの?」

 伽耶がそう尋ねると、麟は「村では、いつも作っていた」と答えた。

「村?」

「生まれ故郷の村だ」

「そう言えば、麟くんはいくつなの?」

 ナプキンで口を拭きながら、母親が質問した。

「十八です」

「じゅ、じゅうはち!? 若――い! 私より年下なのね!」

 伽耶が驚いた声を出した。

「アンタ、そんなに若いんだ。それなのに中国からひとりで日本に来て、ご両親は心配してないのかね?」

 トメさんが、そう尋ねると麟は「両親は亡くなった」と、顔色ひとつ変えずに答えた。

「そ、そうかい、悪かったね。変なことを聞いて……」

 トメさんが謝るも、麟は相変わらず感情のない顔で「気にしていない」と答えた。


 夕食が終わり、伽耶は風呂に入ると髪を乾かし、パジャマを着て部屋の窓から庭を見つめていた。

 庭には街灯が付いていて芝生を照らしていたが、その庭の一角にひとりの男性の姿を見つけた。それは麟だった。

 麟はひとりで庭の大きな石に腰掛けて、じっと夜空を見上げていた。空には昨日と同じ大きな満月が浮かんでいた。

 伽耶はパジャマの上に薄いカーディガンを羽織り、ドアノブに手を掛けた。


「麟」

 庭に出た伽耶は麟に話しかけた。夜空を見上げていた麟は伽耶に振り返った。

「どうしたの? 部屋に戻らないの?」

 笑顔で話しかける伽耶に対して、麟は無愛想に答えた。

「ああ、月を見ていた」

「月?」

 伽耶も空を見上げた。月は昨日と同じ満月で、黄色く輝いていた。

「月と言えば……」

 伽耶は口を開いた。

「最近、満月の夜に不思議なことが起きるの」

「不思議なこと?」

「うん。声が聞こえるの。私の名前を呼ぶ声が」

「声?」

「女性の声なの。空耳だと思うんだけど……」

「ふうん」

 麟は素っ気なく答えると、再び空を見上げた。

「ねえ、お父さんが話していたけど、麟は人を探しに日本に来たんだよね? それは誰なの?」

 伽耶の質問に対し、麟は答えなかった。その代わり、伽耶の方をじっと見た。その目はびっくりするくらい暗く闇に染まっていた。

「り、麟……?」

 聞いてはいけない質問のように思えた。ふたりの間に沈黙が訪れた。だがその沈黙は足元から聞こえてきた猫の鳴き声で破られた。


「ジジじゃない、どうしたの?」

 鳴き声を上げたのは真っ黒な小さな黒猫だった。伽耶は黒猫を優しく抱き上げた。猫を腕に抱く伽耶を見ながら、麟が口を開いた。

「黒須さんが言ってた」

「え? 何を?」

「伽耶は動物に慕われているって。だから、皆、伽耶の元に集まって来るって」

「え? あはは、そんなことないよ──」

 伽耶は照れ笑いをした。腕の中の黒猫は安心しているのか、気持ちよさそうに目を閉じていた。

「その猫も、お前が拾って来たのか?」

 麟の言葉を聞いた猫は、パチッと大きく目を開けた。

「ううん、ジジは黒須さんが拾って来たのよ」

「そうか……」

 麟はジジをじっと見た。大きな目を見開いて麟を見ていた。

 少し冷たい風が吹いてきたので、伽耶はブルっと震え、ジジを優しく地面に降ろした。

「それじゃあ、私、部屋に戻るね。おやすみ」

「ああ」

 地面に降りたジジは、じっと麟を見つめている。

「伽耶……」

「なあに?」

「この家に住まわせてくれて、感謝している」

 麟はうつむいたまま、ボソリと呟いた。

「ううん、私のほうこそ助けてくれてありがとう。また明日ね」

 伽耶は笑顔で麟に手を振ると、屋敷の玄関に歩いて行った。


 麟は伽耶が玄関に入るまで、その後ろ姿を見届けていたが、伽耶が屋敷に入ると、再び夜空を見上げた。空には大きな満月が浮かんでいた。

 ふと足元に目を落とすと、黒猫のジジはまだそこにいて、麟を見つめていた。

「変わった猫だな。俺から逃げずにいるとは。オマエ、本当に猫か?」

 そう猫に話しかけると、ジジはフ──ッ、と威嚇するような声を出した。

「ご主人様によく言っておけ。俺に干渉するな、とな」

 麟はジジに背を向けて、宿舎に歩いて行った。だがその時、麟は強烈な獣臭を感じた。気のせいかジジの唸り声が大きくなった気がした。麟は後ろを振り返った。するとそこには……。

 まるで熊のように身体が巨大化したジジがいた。目は爛々と赤く光り、口の中には鋭い牙が見えて、唸り声を上げていた。

「……それが、お前の正体か?」

 麟は少しも動じずに、ため息を吐いた。

 ジジは唸り声を上げてにじり寄って来ると、大きな口を開けて麟に襲い掛かってきた。すると、麟は懐から一枚の札を取り出して、ジジの鼻先に突き出した。


「グルル……」

 その札を見たジジは、何かに脅えるかのように後ずさりした。

「そうだな。それが賢明だぜ」

 ジジの目付きが脅えに変わるのを見た麟は、札を再び懐に入れた。

「いいか? もう一度言う。俺に干渉するな。分かったな?」

 そう言うと、麟はジジに背を向けて、再び宿舎に歩き出した。


 ジジの姿はいつの間にか元の子猫の大きさに戻っていた。そして、宿舎に向かう麟の後ろ姿をずっと見つめていた。

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