第2話「風水の家」

「だから大丈夫だって、怪我なんてしてないから」

 包丁を受け止めた銀髪の少年は、伽耶と一緒に迎えの車に乗っていた。

「ううん、何かあったらいけないから、お医者さんに診てもらったほうがいいわ。ね、黒須さん」

「ええ、伽耶様の命の恩人ですから」

 後部座席から同意を求める伽耶の言葉に、黒須、と呼ばれた運転手は同意した。眼鏡をかけており痩身の体型。髪はオールバックで固めていて、見たところ四十代くらいの容姿をしていた。


「それにしても伽耶様、危険に気づかず、申し訳ございませんでした」

 バックミラーを見ながら、黒須が頭を下げた。

「ううん、全然。それより黒須さん、警察が来てたけど、このまま帰っても大丈夫だったかな?」

「問題ありません。旦那様にも連絡しておきましたので、警察にも手を回していただけるみたいです」

「そう……あ、そういえば、あなた、お名前は?」

 伽耶が隣に座っている自分を助けてくれた銀髪の少年に問いかけると、少年は気だるそうに口を開いた。

「……麟(りん)」

「りん? それは名前? 名字は?」

 伽耶が顔を覗き込むも、麟と名乗る少年は、伽耶から顔を背けて窓の外を見ていた。

「あの、失礼ですが……」

 黒須が話しかける。

「もしかして、日本の方ではないのでは?」

「……ああ、俺は中国から来た」

 麟は窓の外を見ながら答えた。

「へえ、中国から来たのね。日本にはずっと前からいるの?」

「いや、日本には数日前に着いたばかりだ」

「え!? 数日前? それにしては日本語が上手ね!」

「数日あれば、覚えるには十分だよ」

 そう言うと、麟はもうこれ以上話しかけないでくれ、といった表情で、腕組みをして目を閉じた。

 黒須はその様子をミラー越しに不審そうに見ていた。


 市内から走ること約十分、黒須が運転する車は、山の高台にある大きな屋敷に着いた。

 周りに民家はなく、森に囲まれた城のような洋館で、入り口は高い門で阻まれていた。

 黒須がリモコンを操作すると、機械の音がして門が開いた。門の中には、これまた広い庭が広がっていて、街灯が緑の芝生を照らしていた。庭の木々は剪定され、手入れが行き届いていて、大きな池まであった。


「でかい家だな、庭も広いし、アンタ金持ちなんだな」

 麟が物珍しそうに庭を眺めた。

「伽耶様は竹村コーポレーションのご令嬢です。竹村コーポレーションと言えば、日本でも有数の大企業ですよ」

 黒須は車を車庫に入れながら、挑発的な口調で答えた。

 車から降りた麟は、キョロキョロと広大な庭を見渡していた。それは、まるで何かを鑑定しているかのような眼つきだった。

「どうしました?」

 黒須が訝しげに麟を見た。

「いや……」

 その時、ダダッ、と走って来る音が聞こえた。走ってきたのは、庭に放し飼いになっている犬や猫たちだった。

「きゃ──! みんな、ただいま──!」

 動物たちが嬉しそうに伽耶に飛びついてきたので、伽耶も嬉しそうに動物たちに抱きついた。

「ここにいる動物たちは、すべて伽耶様が拾って来たんです」

 黒須が麟に説明する。動物たちは十匹近くいた。皆、尻尾を振り、伽耶に飛びついて甘えている。

「皆、伽耶様のことが大好きです。動物たちも分かるんでしょうね。伽耶様の優しさが」

 そう言うと黒須は目を細めた。麟に向ける眼差しとは対照的な優しい眼をしていた。


 伽耶は着ている服が汚れるのも構わずに動物たちと戯れていたが、麟のことを思い出すと、慌てて立ちあがった。

「あ! 麟、待たせてごめんね! 家の中に入ろうか?」

 その時、動物たちが一斉に麟を見た。

「え? みんなどうしたの?」

 それは異様な光景だった。動物たちは麟を見ると一斉に後ずさった。ブルブルと尻尾を股に挟んで脅えている犬もいれば、毛を逆立てて目を見開き、唸り声を上げている猫もいた。

「みんな怖がらなくても大丈夫よ。麟、って言うのよ。私を助けてくれたのよ」

 伽耶が動物たちをなだめるが、皆、一様に脅えたり威嚇をしている。

「気にすんな、慣れている」

「え?」

「動物たちは、皆、俺のことを恐れている」

 麟はそう吐き捨てると、動物たちから目を逸らした。


 玄関から家に入ると、長い廊下を通り応接室に入った。

 応接室には、伽耶の両親であるスーツ姿の白髪の男性と小綺麗な服を着た女性がいた。ふたりの歳は六十代前半っぽく上品な感じだった。

「伽耶、大変だったな。無事で良かった」

「伽耶! 大丈夫? ケガはない!?」

 母親が伽耶を心配して駆けつけてきた。

「大丈夫だよ、麟が助けてくれたから」

 伽耶は笑みを浮かべて、隣に立つ麟を紹介した。

「黒須から話を聞いている。娘を助けてくれて、ありがとう」

 と、父親が頭を下げたので、麟も軽く頭を下げた。

「伽耶を守るために、素手で包丁を受け止めたと聞いた。怪我をしているといけないから、診てもらおう。医者を呼んでいるんだ」

「いや、俺は……」

 遠慮する麟だったが、伽耶の父親に強引に連れられて隣の部屋に入り、応接室には伽耶と母親が残された。


「……随分、若い子ね。中国から来たみたいだけど、何しに日本に来たのかしら?」

 母親は麟のことを警戒しているようだった。

(そう言えば、何で日本に来たのか聞いてなかったな……)

 伽耶もそのことを不思議に思った。


 伽耶と母親が麟のことを話している間、隣の部屋では、待機していた医者が麟を椅子に座らせていた。

「さあ、左腕を診察するから、上着を脱いでみようか」

 医者に促され、麟は渋々と黒いコートのような服を脱いだ。そして、その上半身を見て伽耶の父親と医者は息を呑んだ。

 麟の身体は無数の傷に覆われていた。

 また、先程までは気付かなかったが、左腕には包帯が巻かれ、包帯の上には無数の札のようなものが貼られていた。

「も、元々、怪我をしていたのかな?」

 医者の質問に、麟は首を横に振った。

「じ、じゃあ、左腕を診せてもらおうか……」

 医者が麟の左腕を触ると、顔色が変わった。

「こ、これは!?」

 驚く医者とは対照的に、麟はずっと無表情だった。


 数十分後、伽耶と母親がいる部屋に父親が入ってきた。

「お父さん、麟の腕は大丈夫だった?」

「あ、ああ……」

 父親は呆然とした顔をしていた。

「お父さん、何かあったの?」

 不思議そうな顔で伽耶が尋ねる。

「ちょっとふたりに話がある。麟くんのことでな」

 ふたりは首を傾げた。


 屋敷は広く、敷地内に使用人たちが住む宿舎がある。

 医者に腕を診てもらった後、麟はその宿舎に荷物を持って歩いていた。宿舎の玄関に着くと、入り口に黒須が待ち構えていた。

「旦那様から聞いたぜ、怪我はなかったみたいだな」

 麟は軽く会釈をする。

「伽耶様は、よく犬や猫を拾ってくるが、人間を拾って来たのは初めてだぜ」

 黒須は薄笑いを浮かべ嫌味を言ったが、麟は全く気にしない様子で、宿舎に入ろうとした。

「おい、ちょっと待て」

 急にドスの効いた声に変わった黒須が麟を呼び止めた。麟は面倒くさそうに黒須の方に振り向いた。

「お前、なぜ今日、あそこにいた?」

「……どういう意味ですか?」

「あそこにいたのは偶然か? それとも必然か?」

「関係ないでしょう。あなたには」

 無機質な声でそう言うと、今度は麟が黒須に話しかけた。

「この屋敷は……」

「この屋敷が何だ?」

「完璧な配置ですね」

「は?」

「風水の五原則が完璧に守られている。この配置なら並の『魔』は侵入できない。誰が監修したかは分からないですけど」

「小僧、貴様、何者だ……」

 しかし、麟はその黒須の問いには答えずに宿舎の中に入っていった。

 黒須は忌々しい顔で、麟の後ろ姿をじっと見つめていた。

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