麒麟がとおる

鈴木 涼介

第1話「竹村伽耶」

「伽耶(かや)……」

 街を歩いていた伽耶は、不意に女性から自分の名前を呼ばれて振り向いた。

 しかし、振り向いた先に知り合いと思える人物はおらず、会社帰りらしき疲れた様子のサラリーマンや、スマホを操作しながら歩く女性の姿しかなかった。

 ふと空を見上げてみると、空には大きな満月が浮かんでいた。月は真昼のような輝きを放ち、光り輝いていた。

(空耳かな? 何か最近おかしなことが多いなあ……)

 伽耶はため息をつくと、待ち合わせ場所である、駅近くの居酒屋に足早に向かった。

 六月の初めにしては、蒸し暑い夜の出来事だった。


 竹村伽耶は名古屋市内の大学に通う女子大生だ。

 ロングでストレートの黒髪。身長は一般女性とほぼ一緒だが、肌は雪のように白く、整った顔立ちをしており、街を歩けばかなりの確率で男性が振り向く容姿でもあった。

 また、白い夏用のワンピースを着て、某有名ブランドのカバンを手にして歩くその姿は、どことない優雅さと、気品さを醸(かも)し出していた。


 お目当ての居酒屋に着き、伽耶が店内に入ると、心地よい冷房の風が火照った身体を冷やした。

 店内を見渡すと、隅のテーブル席に知った顔の男女の姿が見えた。大学のゼミの同級生である土屋正樹と広瀬加奈だった。

「遅いよ、伽耶――」

 巻き髪で派手なネイルを付けた広瀬が、伽耶の姿を見つけて手を振った。

「もう、始めてるぞ──」

 土屋がビールジョッキを片手に笑いかけてきた。こちらは色黒で茶髪のパーマにピアス、といった今風の男子の容姿だ。

「ごめんなさい」

 伽耶は笑顔で謝ると、ふたりの席に向かった。


 伽耶が席に着き、ウーロン茶を注文すると「何だよ竹村、ビールじゃねえのかよ」と、土屋がからかってきたので「私、まだ十九歳だから」と、伽耶は、はにかみながら答えた。

「真面目だなあ、伽耶は。まあ、そんなところが、伽耶らしいんだけどね」

 ふたりのやり取りを見た広瀬がレモンチューハイを片手に笑った。 

 土屋と広瀬は伽耶と同じゼミの同級生だが、土屋は浪人しているので、歳は伽耶よりひとつ年上の二十歳。広瀬も四月が誕生日なので同じく二十歳、とアルコールがOKの年齢だ。

「そういえば、伽耶って、誕生日いつだっけ?」

「八月の十五日だよ」

「じゃあ、その時はハタチのお祝いで、俺が酒の飲み方を教えてやるよ」

 土屋がビールジョッキを片手に大笑いした。


 今日は大学のゼミの仲間同士で親交を深めたい、と土屋が企画した飲み会だった。こういう場に慣れていない伽耶は参加するのを迷っていたが、仲がいい広瀬からも誘われたので、参加することにした。

 しかし、飲み会が始まってみると、明るいふたりのペースに引きずられて、アルコールは無くても楽しい時間を過ごすことになった。そんな中、とある男子の話題になった。


「ねえ、伽耶、犬井くんから、まだ連絡は来るの?」

「ううん……最近は、もうないよ」

 広瀬の問いかけに、伽耶はウーロン茶が入ったグラスを置いて、うつむきながら答えた。

 犬井、というのは、伽耶たちと同じゼミの同級生だ。

 犬井は四国から上京しており、小柄で小太りの男子学生。口数が少なく大人しいため、人とあまり積極的にコミュニケーションを図るタイプではなく、ゼミの中でもぽつんとしていたが、この春に行われたゼミの合宿で伽耶と一緒にペアを組み、グループ討論を行ったことを機に伽耶に好意を抱き、必要以上に接触を図るようになっていたのだ。

「伽耶が優しいから、勘違いしちゃったんだよね……一方的に彼氏ヅラした挙句、しつこくLINEを送って……ああキモ!」

「ははは、だから俺がガツンと言ってやっただろうが」

 赤い顔した土屋が得意気に笑った。

 そう……犬井の伽耶に対する付きまといが度を越したため、心配した広瀬が土屋に相談し、土屋が犬井に注意したことで、しつこい連絡や付きまといは無くなっていたのだった。


「私、犬井くんを勘違いさせちゃったのかなあ……」

 伽耶は暗い表情で目を伏せた。

「そんなことないよ! アイツが女性に免疫ないから、勝手に勘違いしただけ! 伽耶は何も悪くないよ──!」

 広瀬が伽耶を擁護するように、笑いながら抱きしめた。

「そうそう、竹村は悪くないって。それにまたアイツが付きまとうようなら、もう一回、俺がガツンと説教してやるからよ!」

 土屋も赤い顔してビールを飲み干して笑った。伽耶はそんなふたりの気遣いに感謝し、少しだけ笑みを浮かべた。


 飲み会は予定していた時間よりも、三十分ほど遅れて終わった。

 二次会でカラオケに行こう、と土屋が誘ってきたが、伽耶は丁重に断った。迎えの車が来ているのが理由だった。

 今日は楽しかったよ、と、満面の笑顔でふたりに手を振って、伽耶は歩き出した。


「しかし、迎えが来るって、どんだけお嬢さまなんだよ、アイツ」

 伽耶が立ち去るのを見て、土屋がタバコに火を点けながら、呆れたように呟いた。

「仕方ないよね。あの竹村グループのひとり娘なんだから……でも、そんなところを鼻にかけないのが、あの娘の良いところなんだけど」

 広瀬は優しい目で、駅前のロータリーに向かう伽耶の後ろ姿を見つめていた。


 商店街のアーケードを歩きながら、伽耶は腕時計に目を落とした。時計の針は十時を指していた。

(ちょっと遅くなっちゃった。黒須さんに悪いなあ……)

 迎えの車が停まっている場所に向かって歩く途中、伽耶は不意に犬井のことを思い出した。

 先程の居酒屋で、犬井から連絡は来ない、とふたりに話したが、それはウソだった。実は昨日、犬井から連絡が来ていたのだ。しかも、それは『キミは近々、トラブルに巻き込まれる。でも大丈夫、僕が守ってあげる』という意味不明な内容であった。

 そのため、伽耶は広瀬と土屋にこれ以上、心配を掛けたくなくて、そのことを黙っていた。

(でも何だろう。トラブルって……?)

 伽耶は不安な気持ちを抱えながら、歩く速度を速めた。

 目の前にはアーケードの出口が見える。出口を出ると駅のロータリー広場があり、そこに家からの迎えの車が待っているはずだ。


 その時、伽耶は向こうから歩いてくる男性の姿が目に入った。男性は真っ黒なコートのような服を着ていた。

 身長は百六十センチある伽耶より頭ひとつ高く、均整の取れたモデルのような体型をしていた。顔立ちはまるで女性のように整っており、見たところ若そうな感じで少年のあどけなさを残していた。

 ただ異質だったのは、髪の毛が真っ白ということだった。染めているのであろうか? 銀髪、という表現がピッタリの髪色で、アーケードの照明に照らされて光り輝いていた。

(綺麗な顔の男の人だなあ……でも暑くないのかな? あんなコートみたいな服を着て……)

 伽耶はすれ違いざまに少年の顔を横目で見たが、甘いマスクとは裏腹に眼つきがあまりにも鋭かったため、思わず目を逸らした。

 銀髪の少年とすれ違った後、伽耶はアーケードの出口まで歩いた。目の前には駅前の大きなロータリーが見える。迎えの運転手である黒須に電話をしようと、カバンの中を見た時だった。


「キャアアアア!」

 突然、女性の悲鳴が聞こえた。

 驚いて声の方向を見ると、ロータリー広場に一人の男が包丁を持って立っていた。三十代位の容姿で、着ているTシャツは汗でべったりと身体に張り付いており、髪の毛はボサボサで前髪が額に張り付いていた。視線は焦点が定まっておらず、ブツブツと何かを呟いていた。

(え? な、何?)

 伽耶の思考は一瞬停止した。あまりに非現実的な光景は、ドラマかニュースの出来事の様だった。

 男はうつろな目で周りを見渡していたが、伽耶を見つけると口元に怪しげな笑みを浮かべた。

 駅前のロータリーにはかなりの人がいた。周りが騒然とする中、包丁を握りしめた男は、血走った目で伽耶を目掛けて襲い掛かってきた。

 だが、あまりの恐ろしさに、伽耶は悲鳴を上げるわけでもなく、その場に立ちすくんでしまった。

「キ……キャアアアア!」

 ようやく悲鳴を上げることができたのは、男が伽耶に向かって包丁を振り上げた時だった。伽耶の目には、男が包丁を振り下ろそうとする瞬間がまるでスローモーションのように見えた。その時だ。


 ガキン! と、鈍い音がロータリー広場に鳴り響いた。

 先程すれ違った銀髪の少年が、いつの間にか伽耶の目の前に現れると、左手で男が振り下ろした包丁を受け止めていた。

 そして、少年はすぐさま男の腹に強烈な蹴りを放った。男は包丁を握ったまま後ろに吹っ飛んだ。伽耶はその光景を呆然として見ていた。


「おい、大丈夫かよ?」

 少年が伽耶に振り返った。伽耶は驚きながら少年の顔を見た。女性と見間違うくらい整った顔をしていたが、その顔には感情というものが見当たらなかった。無表情で能面のようだった。


「あ……危ない!」

 伽耶は再び大声を上げた。

 包丁を持った男が、今度は少年に向かって包丁を振り上げるのが見えたからだ。

 だが、少年は素早く振り向くと、右手を服の懐に突っ込み、一枚の札のようなものを取り出すと、男の額にペタッと張り付けた。

 すると、札を額に張り付けられた男の目がグルンと回転し白い目になり、糸が切れた操り人形のように、バタッと前のめりに崩れ落ちるのが見えた。

 また、不思議なことに男の背中から何か黒い煙のようなものが宙に上っていくのも見えた。


 ガヤガヤガヤ……。騒ぎを聞きつけて、野次馬たちが集まって来た。

 伽耶はその場にペタンと座り込み、呆然としていた。誰かが呼んだのであろうか? 警察官たちも駆け寄ってきた。包丁を持った男は、前のめりに崩れ落ちてからは、ピクリとも動かなかった。


 座り込んでいる伽耶の目の前に、銀髪の少年の手が差し伸べられた。先程と同じく顔は無表情だった。伽耶は少年の右手を取って立ち上がった。

「あ……ありがとうございます……」

 伽耶がお礼を言ったが、少年は言葉を発さず、倒れて動かない暴漢をじっと見ていた。

 空には大きな満月が浮かび、眩い光が少年を照らしていたが、その表情には全く変化がなく、少年が何を考えているのか分からなかった。


 伽耶はまだ知らない。

 この出来事が始まりだということに。

 伽耶の呪われし出生を巡る舞台の幕は、上がったばかりだった。

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