第115話 越後実枝には響かない

「仕事を抜けてきて損したわ」

 その言葉は越後さんに深く突き刺さったことだろう。

 母親が慌ててやってきた様子を見て越後さんは思ったはずだ。

 

 こんなウチのことをまだ心配してくれるんだ、と。

 

 そんな期待をこの母親は踏みにじったのだ。


「っ!」

「ダメ」


 咄嗟に二人の間へ割って入ろうとしたが、吉祥院さんに止められた。


「シロ君、落ち着いて。私もシロ君も見た目から誤解を受けやすいから」


 吉祥院さんの言葉で一気に冷静になる。

 そうだ。ここで僕が出て行ったところで越後さんの立場が悪くなるだけだ。

 僕の腕を掴んでいる吉祥院さんを見てみれば、彼女も悔しそうに歯を食い縛っていた。


「あの、リラのお母さん」

「ん、あなたは?」

「初めまして。リラの友人の英紅百合と申します」


 紅百合は即座に猫を被ると越後さんの母親に頭を下げて挨拶をする。


「あら、礼儀正しい子ね」

「そ、その、お母さん。クユリは学年一位で勉強も教えてくれてるんだよ」


 ビクビクと怯えながらも越後さんは捕捉する。


「まあ! そんなに凄い子がいたのなら早く紹介して欲しかったわ」


 すると、上辺でしか人を見ることのできない越後さんの母親は嬉しそうに笑顔を浮かべた。


「うちのダメな娘と仲良くしてくれてありがとうね」

「いえ、リラは良い子ですよ。スポーツ万能で努力家な自慢の友人です」

「うふふ……本当に良い子ね、あなた」


 大して自分の影響はないだろうに、何故あんなにも自慢げな表情ができるのだろうか。

 電話口だけでもそうだったが、こうして間近で見ていると反吐が出そうだ。


「リラは車に撥ねられそうな子供を助けて怪我をしたんです。みんなが動けなかった中、真っ先に動いていてすごかったんですよ」

「へぇ、そう」


 普通、娘が子供を助けたと聞けばもっと感じるものがあるだろうに、越後さんの母親は興味なさげに相槌を打っていた。この親からしてみれば、越後さんの功績なんてどうでもいいのかもしれない。


「でも、それで怪我してちゃ意味ないわよね」

「ごめんなさい……」


 越後さんは身を縮こまらせて謝罪の言葉を口にした。


『無駄よ。あの毒親には何を言っても響かない』


 悲し気な声に振り向くと、そこにはモモがいた。


『親は子供を愛するものなんて幻想もいいところだわ。この世にはどうしようもないクソ親が一定数存在する』


 誰に聞かせるでもなく、モモは淡々と言葉を紡ぐ。

 未来じゃ越後さんは父方の性を名乗るようになったと言っていた。

 それはつまり、一番親との関係を諦めたくなかった越後さん自身が諦めてしまったということなのだろう。


 そして、あの母親は生徒会長の人生をかけた復讐を受けて廃人同然になるのだ。


『だから、リラ。気づいて。一家団欒なんてあなたの夢はもう叶わないのよ』


 その言葉は、似たような家庭環境から愛を知って和解できた紅百合の未来の姿であるモモの言葉だからこそ、とてつもなく重く感じた。

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