第39話 どうして、そんな風になっちゃったんだよ

「おう、戻ったか」

「おかえりー」


 家に帰ると、父さんと母さんが酒を飲みながら海外ドラマを見ていた。この二人が揃って家にいるのを見るのも久しぶりだ。

 その姿を見て、何となくクロと未来の英さんもこんな関係性だったんじゃないかと思ってしまった。


「ご飯食べてきたから」

「さっき聞いたわ。こっちはピザ頼んだから、残ってる奴は明日チンして食べなー」

「わかった」


 どうやら明日の朝ご飯はピザに決まったようだ。

 それから特に会話もなく部屋に戻り、問題集を広げる。


『勉強会終わっても勉強なんて真面目だな、おい』

「せっかく英さんが試験範囲から先生の出題傾向まで教えてくれたんだ。高得点を取るチャンスを逃したくないだけだよ」

『ったく、勉強なんて将来なんの役にも立たないってのに』


 呆れたように鼻の頭を掻くと、クロは勉強が出来ない人がよく言う台詞を口にする。そんなんだから将来借金を背負う生活をすることになるんだ。


「クロはともかく、英さんはコミュ力もあって勉強もできるのに、どうして安定した仕事に就かなかったんだろ」


 別にコンカフェ嬢がダメというわけではない。

 ただ英さんならもっとバリバリキャリアウーマンとして働いててもおかしくないと思ってしまったのだ。


『紅百合は大学を出てそこそこ有名な企業には就職してたぞ』

「じゃあ、何で……」

『簡単なことだ。長く続いてる企業ほど古くさい風習が付きもんだ。それでいろいろあって病んで会社やめたんだよ』


 何その罠。有名な企業に入れば安定しているなんて嘘っぱちじゃないか。


『ま、俺はヘアサロン勤めだからその辺はよくわかんねぇけどな』


 どうでもよさそうに肩を竦めていたクロだったが、僕にはその表情がどこか寂しげなものに見えた。


 その表情を見て、ふと思った。

 最近いろんなことがあって忘れていたが、こいつが過去に戻ってまで僕に取り憑いたほどの未練。それは一体何なのだろうか。

 その日暮らしで毎日を謳歌し、英さんという気の合う端正な見た目の女性と体を重ねる。

 ここまで刹那的に生きていたこいつに未練などあるのだろうか。


「お前の未練ってさ、やっぱり英さんに関係してるのか?」

『まさか、紅百合はただのセフレだ。死んだところで何か思うわけもねぇよ』


 鼻の頭を掻きながらクロは呆れたように嘆息する。

 英さんじゃないとなると、やっぱり家族仲に関することだろうか。

 僕は何不自由ない生活をさせてくれている両親に感謝しているが、クロは以前に二人のことを〝ただのATM〟呼ばわりしていた。


「なあ、クロ親孝行してみないか」

『はぁ?』

「だって、お前の未練ってもうそれくらいしかないだろ」


 僕はずっとクロのことを嫌っていた。反面教師としてこうはなるまいと必死に頑張ってきたくらいだ。

 最低な未来へと進んだ怠惰な自分自身。それがクロだった。


 でも、最近はクロもただのクズじゃなかったんだと気づけた。

 職に就いたきっかけは不純でも、仕事自体には真っ当に取り組んでいた。

 そして何よりも、こいつがいたから英さんの心を救うことができ、堕ちていく越後さんを救うことができた。

 英さんを偏見から嫌っていたように、クロのことも偏見だけで見ていたのではないか。そういう風に思うようになったのだ。


「僕はちゃんとお前の未練を晴らしたいんだ。鬱陶しいのもあるけど、消えるのならちゃんと後悔なく消えてほしい」

『ハッ、そいつはお優しいこって』


 吐き捨てるように言うと、クロは僕に背中を向ける。


『何が親孝行だ、くだらねぇ。前にも言ったろ、俺にとっちゃあの二人はATMでしかねぇ』


 憎まれ口を叩いているが、あんなに良い両親に対してそんな風に思うことなんてあるのだろうか。僕にはとてもそうは思えなかった。


「そう言うなって。とりあえず、父さんも母さんも下にいるから、僕の体に入ってマッサージの一つでもしてこいよ」

『お断りだ』


 あれだけ好き勝手に人の体を乗っ取ってきたクロが、僕から体を差し出したのに断った。

 その事実だけ、クロにとっては父さんや母さんが本当にどうでもいい存在なんだと思い知らされた。


 どうして、そんな風になっちゃったんだよ。

 幼い頃にクロと出会ってから抱き続けた疑問。それを今更ながら問い質したくなった。

 だが、そんな言葉を口にする前に、視界からクロの姿は忽然と消えた。


「どうして僕は死んじゃったんだよ……」


 僕の呟きに返事はなく、静寂だけが部屋に広がっていく。


 結局、答えは出ないまま睡魔に襲われてしまい、僕はそのまま眠りに落ちてしまった。

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