第38話 この笑顔を見られるのならば

 リビングに戻り、食事の準備を手伝っていると玄関の方から扉を開く音が聞こえてくる。


「ただいまー」


 見知らぬスーツ姿の男性がリビングへと入ってくる。きっと彼が英さんのお父さんだろう。

 僕はすぐに立ち上がって挨拶をする。


「お邪魔しています。紅百合さんのクラスメイトの白純です」

「ああ、妻から聞いているよ。ゆっくりしていってくれ」


 そう言うと、英さんのお父さんは朗らかに笑った。……普通、家に娘のクラスメイトの男子生徒がいるって心中穏やかじゃなさそうな案件なのに、随分と平然としている。


「それじゃ家族全員揃ったことだし、食べましょうか」


 僕と英さんの前にはご両親が座り、向かい合う形となった。

 そして、全員揃っていただきますをした後、英さんのお母さんが口を開いた。


「それにしても驚いたわ。紅百合がお友達を家に連れてくるなんて」

「確かに中学のときから友達を家に連れてきたことはなかったな」


 英さんのお母さんは意外だと言わんばかりに呟き、英さんのお父さんが同意するように言った。


「そうだっけ?」


 当の英さんはとぼけたように愛想笑いを浮かべていた。

 まあ、英さんがわざわざ仮初の友人を家に招くようなことはしないだろう。ただでさえ現状にストレスが溜まっているのに、自分の首を絞めるような真似はしない。

 納得しつつ、目の前に置かれた料理を口に運ぶ。あっ、この肉じゃがおいしい。

 手作りの料理なんて久しぶりに食べた気がする。家じゃ基本的にスーパーの総菜しか食べてないから新鮮な気分だ。


「そうだ、紅百合。ゴールデンウイークは空いてるの?」

「えっと……どうして?」


 唐突に話を振られて、英さんは少し戸惑っているようだった。しかし、それも一瞬のことですぐに表情を取り繕う。


「せっかくだから家族でどこかに出かけようと思って」


 横目で英さんを見てみると、一瞬だけ口元が引き攣ってしまっていた。

 家族仲は悪いとは思えないが今までの英さんを見るに、どうやら家族水入らずの時間というのは彼女にとって苦痛のように思えた。


「あの、話に割って入ってしまってすみません。ゴールデンウイーク、英さんとは約束していまして……」


 だから助け船を出すことにした。きっと、英さん自身じゃ優しいお母さんの提案を断ることはできないだろう。


「あら、そうなの?」

「ええ、結構前から決めていたので」


 少しばかり語気が強くなってしまったが、このくらい言わないと英さんは断れない。

 多少僕の印象が悪くなろうと構わない。英さんが辛い思いをするよりはよっぽどマシだ。


「あらあらあら、そうなのねぇ……」


 英さんのお母さんはしばらく僕を見つめた後、ふわりと微笑んだ。


「そういうことならしょうがないわね」

「ああ、これはしょうがないな」


 何故か、ご両親は僕と英さんの顔を交互に見てニヤニヤしていた。


「い、っ……!?」


 そして、英さんはテーブルの上では笑顔を浮かべたまま、僕の足を踏んできた。助け船を出したのに何故……。

 それから夕食を食べ終えて帰るまで、ご両親はずっと満面の笑みを浮かべていた。


「絶対誤解されたじゃん……!」


 家の前まで送ってくれた英さんは、ご両親に声が届かない位置についた途端に本性剥き出しで怒ってきた。


「誤解って?」

「どう考えても付き合ってると思われたでしょうが!」


 どうやら僕達は付き合っていると思われたらしい。


『結局、どの時間軸でも俺は紅百合の両親に彼氏と思われるのか……』


 何やら神妙な表情でクロが呟いていたが、クロも彼氏と思われたのか……。


「ごめんて。でも、家族で出かけるの嫌だったんでしょ?」

「それは、そうだけど……」


 やはり英さん自身も家族との時間は息苦しいと感じているようだ。


「どうして、そんなに家族との時間が嫌なの?」


 正直、僕にはその感覚がよくわからない。少なくとも僕から見れば、ご両親は優しくて心の広い人達に見えた。だからこそ、英さんの気持ちはよくわからなかった。

 すると、英さんはバツが悪そうに目を逸らすと小さく呟いた。


「……お母さん、再婚してるの」

「じゃあ、お父さんの方は再婚相手ってこと?」

「うん、だからちょっと気まずくて」


 つまり、英さんにとっては義理の父親になるわけか。


「小学生のときは男子と混じってやんちゃばっかりしてたけど、お母さんも女手一つであたしを育てて苦労してた。だから、もう苦労はかけたくないの」


 英さんは俯きがちにポツリと言った。僕は黙って英さんの言葉を聞いていた。


「あたしからすれば、あの人は良い人だけどお父さんと思えない。感覚的にはお母さんが彼氏を家に連れ込んでる感じ」


 きっと、僕なんかでは想像できないほどの葛藤があったのだろう。英さんの瞳は複雑な感情が入り混じったような色をしていた。


「だから、父親とは思えないけど、お母さんを幸せにしてもらうためにあたしは良い子でいなきゃいけないの」


 蓋を開けてみれば、なんてことはない。英さんが猫を被るきっかけは、驚くほど優しい理由だった。

 彼女としても、お母さんの再婚には思うところがあるのだろう。それでも、お母さんの幸せのために自分を押し殺した。


「ごめんね、こんな重い話しちゃって」

「何言ってんの。ストレス発散には付き合う約束でしょ。いくらでも聞くよ」


 僕の言葉を聞いて、英さんは僅かに目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがと。あたし、白君と出会えて良かったわ」


 この笑顔を見られるのならば、わがままくらいいくらでも聞いてあげよう。

 柄にもなくそんなことを思った。

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