第21話 その努力は純粋に尊敬できる
ふと、僕は未来での英さんとの関係が気になった。
クロはただの肉体関係だと言っていたが、一緒に出掛けたり普通の友達のように遊んでいたとも言っていた。
未来でも僕達は、こんな風にお互い気兼ねせずに穏やかな時間を過ごすこともあったのだろうか。きっとそんな時間もあったに違いない。
クロから詳細を聞いたわけでもないのに、僕の中にはそんな確信めいた予感があった。
それから特に会話らしい会話もなく、ゲームのBGMだけが聞こえる心地良い時間を過ごすとお開きの時間がやってきた。
「それじゃ、お邪魔しました」
「気をつけて帰ってね」
「ええ、ありがと」
玄関でスッキリとした表情を浮かべた英さんを見送る。表情から察するに、今日も程よく良い気分転換になったようだ。
「あっ、そうだ」
何かを思い出したかのように英さんは振り返り、僕をじっと見つめてきた。
なんだろう、また何か気に障ることをしてしまったのだろうか。
身に覚えはないが万が一ということもある。ここは素直に謝った方がいいのではないだろうか。
僕が思考を巡らせていると、英さんはふっと肩の力を抜いて告げた。
「ゴールデンウイーク、楽しみにしてるから!」
花が咲いたような笑顔を浮かべると、英さんは帰っていった。
演技じゃない素での満面の笑み。その笑顔を見て、僕は心のどこかで安心している自分に気づいた。
毎日のように押しかけられるのは迷惑ではある。
ただそれ以上に、こんな関係も悪くもないと思い始めている自分がいたのだ。
「いやいやいや、ないない……」
あくまでも僕は適当な気持ちで英さんに素を出したらいいと、いい加減なことを言った責任を取っているだけ。他意はない。
きっと学年一の美少女とどこか特別感のある関係になっていることに浮かれているだけで、本当に他意はないのだ。ないったらないのである。
『おー、どうした。とうとう紅百合に惚れたか?』
「黙れ悪霊。そんなことはあり得ない。それにお前が全ての元凶じゃないか。もっと反省しろ、このクズ」
こいつが余計なことさえ言わなければ、英さんとの奇妙な関係が始まることもなかったはずだ。……それはそれで寂しいと思ってしまうのはどうしてだろうか。
『酷ぇ言われようだ』
クロは悪びれた様子など微塵も見せず、ケラケラと笑っている。本当に腹立たしい限りである。
相手にするのもバカバカしくなり、僕は自室へと戻る。
「これは、ノート?」
すると、散らばっている英さんの私物の中に一冊のノートが紛れていることに気がついた。
表紙には高校名と年月日が記載されている。何の教科用のノートかはわからないが、おそらく英さんのノートだろう。
「どんな風にノート取ってるんだろ」
完璧主義の英さんのことだ。要点だけがまとめられた見やすいノートのなっているのだろうと思い、参考にするため少しだけ見させてもらうことにした。
「えっ」
しかし、そこに書かれていたのは授業内容などではなく、クラスメイトや他クラスの生徒、先輩などに関する情報がびっしりと書き込まれていた。
『紅百合の奴、すげぇな。こうやって一人一人の特徴とかまとめてたのか』
「クロ、何か知ってるのか」
『おう、あいつは学生時代に生徒一人一人の特徴をノートにまとめてそれを暗記してたんだ。コンカフェ嬢になってからも客相手にそういうことはしてたみたいだけどな』
それは確かに凄まじい努力だが、英さんがそこまでする理由が僕にはわからなかった。
他人の情報を事細かに覚えるなんて労力に見合わないし、何より面倒臭いことだと思う。
英さんは一体何のためにこんなことを続けているのだろうか。
疑問に思いながらもページをめくっていく。
すると、僕のことが書いてあるページに辿り着いた。
[白純:隣の席の男子。高校デビューを試みるも失敗した模様。不良っぽい見た目に反して中身は意外と普通だった。高校入学二日目からあたしに対する態度が冷たくなる。要注意人物]
『だっっはっは! 高校デビューって言われてんぞ!』
「うるさい。お前のせいじゃないか」
横で爆笑するクロを黙らせて、更に読み進めていく。
[意外と鋭いから油断できない。あたしの素を知られたからストレス発散要因として使うことにした。両親は多忙のため、家には基本一人。漫画とゲームの趣味が合う]
その他にも好きなコンテンツの傾向や好きな食べ物、苦手なタイプなど英さんから見て僕がどういう人間かが綴られていた。
[一緒にいて居心地いいからって気を許しすぎないようにすること!]
そして、僕の項目の最後にはさらっと気まずくなる一文が書いてあった。
「居心地がいい、か」
『何だかんだで気は許してるよな。いつもベッドに寝転んでるのもそういうことだろ』
「……個人的には自分の匂いが染みついてそうなとこにいて欲しくないんだけど」
英さんはやたらと僕のベッドを占領したがる。僕の匂いも気になるが、何より寝るときに英さんの匂いがして気になってしまうのだ。
『安心しろ紅百合は匂いフェチだ』
「匂いフェチ?」
『どうにも俺の匂いが好きらしいぞ。ヤったあととか俺のパンツ嗅いでるレベルだ』
「待って、それは聞きたくなかったんだけど」
さすがにそれは引く。僕のパンツを嗅いで恍惚の笑みを浮かべる英さんなんて想像もしたくない……こともないけど。
「というか、つい読んじゃったけど、これ見ちゃまずいやつだ」
頭を振り、邪念を追い出すと僕は慌ててノートを閉じる。こんな個人情報の塊、赤の他人の僕が読んでいいものじゃない。
「……英さん、ただ媚びを売ってちやほやされてるだけじゃなかったんだな」
英さんはただ他人に取り入って甘い汁を吸っている性格の悪い人だと思っていた。
しかし、その裏には確かな努力があったのだ。彼女がここまで徹底しているとは思いもしなかった。そうやって人知れずに努力を続け、今の立ち位置を築いたのだ。
理解できなくとも、その努力は純粋に尊敬できるものだった。
『俺も美容師やってるから客の特徴メモしちゃいたが、紅百合には遠く及ばねぇな』
狂気的とも言える英さんのノートを見てクロは苦笑していた。
「えっ、美容師ってそんなこともしてるの?」
『美容師にとっちゃ客とのコミュニケーションも大事だからな。こういうノートは普段から自分で使うのにも必要だが、急に休んだりしたときや、店をやめるってなったら引き継ぎにも必要なんだよ』
「意外だ。チャランポランなクロがそんなことしてたなんて」
『アホ抜かせ。こちとら金貰ってるプロだぞ。仕事に手は抜かねぇよ』
どうせ仕事も適当にやっているのだろうと思っていたが、クロも何だかんだで真面目に働いていたようだ。
『俺も見習わないとな。いや、もう死んでるから意味ねぇか』
クロがクズであることは疑いようもない事実だ。
未来の自分がこんなクズになるなんて信じたくない。そんな思いで、彼に良いところがないなんて決めつけていた。
英さんが人に好かれるために努力をしていたように、クロもまた美容師としてプライドを持って仕事をしていたのだ。そこは未来の自分の可能性として誇れる部分かもしれない。
「クロ、どうして僕は美容師になったの?」
『手に職をつければ食いっぱぐれないと思ったし、女の子と接触する機会も多そうで遊び放題だと思ったからだ』
前言撤回。やっぱりこいつクズだ。
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