第5話 真珠田水仙という女 壱

「……普段はなにをしてる部活なんですか?」


俺は、素朴で、核心的な疑問を彼女らにぶつけた。カラカラカラ……と、『ハムちゃん』が回し車を軽快に転がす音が、シンとした部室に響いた。


「……時に、夏瑪なつめくん。きみは中学時代、私と同じく美術部に所属していたね。」


俺の質問はどうやらお気に召さなかったようだが、青蓮せいれんはまっすぐこちらに視線を据えて話し出した。手前のテーブルに突っ伏すかたちで身体からだを預けている水仙すいせんが、視界の端でピクリと反応した気がした。


「……まあ、そうですね。」


「うん、だよね。君が熱心に絵を描いていたことを、私は覚えているよ。」


「あぁ、ありがとうございます……なんですかね?」


彼女がそこまで見ていたとは、本当に驚きだ。俺が美術部時代に制作していた場所はと言えば、部室のすみも隅。一方の彼女はというと、部室のど真ん中が定位置だった。というのも、部室の物の配置と、常にまとわりつく取り巻きの人数を加味した結果、最もスペースの広い場所に位置せざるを得なかったからだろう。その位置関係と、さらには360度を取り巻きによって塞がれていることによって、彼女に対する俺の位置は完全な死角となっていたハズなのだ。彼女は一体、いつ俺を見ていたのだろう。あるいは、超人すぎるあまり、死角をも超越した視覚によって見ていたのだろうか。


「では、なぜ今君はここにいるんだい?」


「……というと?」


なぜ俺がここにいるか。そんなものは決まりきっている。それは『なぜ彼女がこんな部活をしているのか』を知るためだ。……いや、そうだったか?


「夏瑪くん。私はね、絵を描くことは嫌いではなかったよ。」


「……! じゃあなんで……


「『なんでこの高校で美術部に入らなかったか』、だろう? だから、君と同じなのさ。」


……まさか。


「『面倒くさい』。理由なんてそれに尽きるよ。」


まったく。今日きょうこの数十分の間に、彼女に何度驚かされるのだろう。俺の中で、あるしゅ神話的な存在でさえあった彼女は、またたに等身大の人間に近づいていく。いまだ超人的であることに変わりないが、どこか親近感が湧いてくるようだ。


「しかし残念極まりないね。私は君の描く絵が好きだったのに。」


「……! はは……そう、ですか。……ありがとうございます。」


恐悦至極きょうえつしごくとはこのことを言うのだろうか。それを心より思えることなんて、無いと思っていた。


「それで言うなら、俺も同じですよ。安藤さん……いや『部長』のほうが良いですかね。部長の描く絵、すごいと思ってました。」


「ああ……いいよ。お世辞は好きじゃない。」


「いや、お世辞なんて……


「私の描くものなんて、実物をただ上手く写してるだけさ。それに比べて、君のあの独創的な抽象画……言葉に尽くせない感動があったよ。」


彼女は少しだけ遠い目をして、『ハムちゃん』の走る、回し車を見つめていた。彼女が高校で美術部に入部しなかった理由は、ただ『面倒くさい』だけではなかったのかもしれない。しかし、俺にはそれ以上を訊く理由も勇気もないのだった。


「……っっったく!! なにひたっちゃってんの!? なに2人の世界に入っちゃってんの!!?」


俺のかたわらのテーブルで突っ伏していた水仙は、両手をテーブルにバンと叩きつけ、勢いよく立ち上がって言った。と同時に、彼女が飲んでいたのであろう、ストローが挿さった1リットルの紙パック飲料がバランスを崩し、その身をテーブルにあらわにした。


「あーーーーっっっ!!??」


溢れ出るミルクティーはテーブルをベージュに染めあげるにとどまらず、床をももうとしていた。あ、いま呑み込んだ。


「おやおや、床まで……。」


「あああっっ!? あ……ああ……。」


テーブルと床に広がる液体は、彼女が必死になって拭くもの探して視線を泳がせているそのあいだに、完全に浸食を停止していた。


「少し待っていてくれ。準備室から拭くものを取ってくるよ。」


「ごめ……いたっ!? っ~~!? あっ……!?」


なにか、顔の前などで『ごめん』とジェスチャーでもしたかったのだろうか、水仙は、下ろしていた腕を上げようとした途端、テーブルの縁に思いっきりぶつけて右手を負傷。痛みに耐えかねて上半身を若干かがめた際、胸ポケットに入れていたスマホが落ち、そのままテーブルに広がるミルクティーのプールへダイブ。水浸みずびたしな上に、元々バキバキの画面にさらにヒビが刻まれたのだった。


『泣きっ面に蜂』なんてレベルでは無い。『弱り目に祟り目』、ついでにギャルの涙目であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る