第2章 お兄様とお兄ちゃん

第10話 おかえりなさい……?

「レイ兄様、初めまして! が良いかな? それとも、レイ兄様、こんにちは! が良いかな? うーん、どうしよう? エディスはどう思う?」


 昼食を食べた後のこの時間。いつもはまったりとしているが、今日はそうもいかない。

 レイ兄様に会った時の一言目を考えなければならないからだ。

 かれこれ30分は考えているがちょうど良い一言は考えついていない。


「レイ様からしてみれば、初めて会うわけではないと思いますが」

「そっか、そうだよね! じゃあこんにちはなのかなぁ?」


 こんなやり取りももう何回目だろう?

 エディスには同じような質問ばかりしている気がする。こんな私にも根気強く付き合ってくれて本当に感謝しかない。


 コンコンコン


「失礼致します」


 扉をノックして入って来たのはヴィクさんだった。

 ……もしかしてレイ兄様が帰って来たのかな!? 待って、まだ心の準備が……!

 そんな私の考えとは裏腹にヴィクさんはにこにこ笑顔で言った。


「ラナ様、レイ様がお帰りになりましたよ! レイ様はエントランスにてお待ちになっておられます」


 こ、心の準備が。……でもそうも言ってられないか! レイ兄様を待たせるわけにはいかない!

 すっと立ち上がり、ヴィクさんとエディスの顔を見る。


「今行きます」


 2人は笑顔で頷いてくれた。


 ヴィクさんの案内で階段を降り、エントランスへ向かう。

 私の心臓はばくばくと音を立てていた。

 一歩一歩進むごとに緊張が増している気がする。……よし、現実逃避をしよう、と、今考えなくても良いようなことを考えた。

 羊が1匹、羊が2匹、羊が3匹、羊が4匹、羊が5匹……、執事が13人、執事が14人、執事が15人……。

 あれ? いつの間にか羊が執事になってる。

 頭の中には10匹ほどの羊と15人のヴィクさんがいた。確かにヴィクさんは執事だからあっている。

 完全なる現実逃避をしていると、いつの間にかエントランスに着いていた。

 視線を上げるとそこには、少しクルっとした銀髪のショートヘアで、落ち着いた黄緑色の瞳を持つ子どもがいる。

 一瞬美少女にも見えたけど、うん、美少年だ。

 目が合ったと思ったら無表情だった美少年は目を見開き、驚いた表情かおをした。

 心の中で美少年と呼んでいたが、この状況からだとどう考えてもレイ兄様だ。

 ……え? この美少年がレイ兄様?


 うん、そうだよ。お兄様だよ。……ナナミ? 大丈夫?


 ……まじか。美少年、レイ兄様だった。うん、多分大丈夫。ただ、ラナとレイ兄様が並ぶと一枚の絵のようになるって言葉の意味がよく分かっただけ。……破壊力がやばすぎる。


 そ、そっか。大丈夫なら良いけど。


 うん、心配してくれてありがとう。


 きっと今、私も驚いた表情をしている。レイ兄様のところへ向かうための歩みもいつの間にか止まっていた。


「……ラナ様?」


 エディスの呟きで私の時間は動き出した。

 見つめ合っていたのはほんの10数秒だと思うが、随分と長い時間が経っている気がする。

 あ、レイ兄様の時間も動き出したようだ。


「……ごめんね、エディス。レイ兄様と目が合って、つい驚いちゃった」

「そうなんですね。執事長も待っていますよ。さあ、行きましょう」

「うん」


 私はレイ兄様に向かって歩き出した。


 話せる距離まで近づくと、レイ兄様はまだ驚いているようだった。

 ……えっと、一言目、何を言おうとしたんだっけ?

 ど忘れしてしまった。

 私たちの間に気まずい沈黙が流れる。

 な、何か言わないと。

 苦し紛れに出たのはこんな言葉だった。


「おかえりなさい……?」

「……ただいま?」


 それがレイ兄様との初めての会話だった。

 後ろを振り返り、エディスとヴィクさんの方を向くとガッツポーズをしていた。頑張れという意味だろう。

 私は頑張りますという意味を込めて頷いた。

 ……でも、何を話そうか? やっぱり近況を聞くとか?

 一言目以外考えていなかった過去の自分よ、話題考えてて欲しかったなぁ!

 今となっては仕方のないことだがそう思わずにはいられなかった。


「……あの、レイ兄様、お元気でしたか?」

「……あ、うん。元気だよ」


 頭をフル回転させて出した話題、撃沈。

 ……会話ってどうやって続けるんだっけ?


「……ラナ、は元気だった?」

「は、はい! 元気……ではなかったですね」

「何かあったの?」

「そうですね。三日三晩程寝込み、記憶がなくなりました……」

「……! それは、大丈夫なの?」


 会話が続いている! レイ兄様が続ける努力をしてくれているからだね! ありがとうです!

 レイ兄様は心配してくれた。心配かけてごめんなさいという自分と心配してくれてありがとうという自分、そして心配してくれて嬉しいという自分がいる。

 なんだか複雑な気持ちだな。


「お、おそらく大丈夫です! 心配してくださりありがとうございます」

「それなら良かった」


 レイ兄様はふわりと笑った。と同じ笑い方……! さすが兄妹!

 そして破壊力がすごい。

 落ち着いてきたと思ったのに、また心臓がドキドキしだした。

 思わず胸に手を当て、レイ兄様から視線を逸らす。

 まるで恋してるみたいだな。頭のどこかでそんなことを考えた。


「ラナ? 大丈夫?」


 突然の私の行動に驚いたレイ兄様はこちらに近づいて顔を覗き込んでくる。

 い、今は、今だけは離れてください……!

 近距離美少年は心臓に悪い。そしてこの方は実の兄だ。ただでさえ心臓に悪い要素? があるのに、兄という素晴らしい要素? まで……。

 レイ兄様は私をどうしたいんだ!?

 いやどうしたいわけでもないと思うけど。

 おっと、セルフツッコミをしてしまった。


「ダ、ダイジョブデス」

「そう? それなら良いんだけど」


 いかにも挙動不審な私の言葉を信じてくれたようだ。ありがたい。

 そういえば、第一印象は無表情な人だったけど、意外と表情豊かな人なんだなぁ。

 驚いたり、緊張したり、心配してくれたり、笑顔になったり。

 レイ兄様の笑顔を思い出すと、私も自然と笑顔になった。


「……可愛い。可愛すぎる」

「え?」


 誰かの独り言がやけに大きく聞こえた。

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