第1章 ブライト公爵家

第2話 ラナ・ブライト

 目が覚めた。

 子ども一人が眠るには広すぎる天蓋てんがい付きのベッド。

 可愛くて触り心地の良い真っ白なネグリジェ。

 天蓋は月明かりのある夜のような布で作られている。ところどころ細かいレースが使われており、一つの美術品のようだ。


 いつも見ているもの。いつも通りの環境だ。

 それにも関わらずあるこの違和感は何だろう?


 ベッドからゆっくりと降り、部屋をてくてくと歩く。

 足下にはふわふわなグレーと紺を基調とした絨毯。

 埃ひとつなく、部屋の雰囲気に合っている家具。

 この部屋にあるもの全て、超一流の職人が手ずから作っている。私はなぜかそれを知っていた。

 白と紺を基調としたこの部屋は、まるで貴族のお嬢様が住んでいるよう。


 実際、その貴族のお嬢様が住んでいるのだけれど。


 そうなの?


 そうでしょ。この部屋の主は私よ。


 え!? じゃあ、あなたが貴族のお嬢様?


 半分正解ね。正しくはあなたも私で私もあなたなのよ。ほら、鏡を見て。


 に促されるまま、鏡を見る。

 そこには、背中あたりまで銀髪を伸ばし、ブルーグレーのぱっちりとした瞳に驚きの色を浮かべるめちゃくちゃ可愛い幼女がいた。

 そっと手を伸ばし、触れようとすると、その幼女もこちらへ手を伸ばしてきた。


 この子もしかして、私……?


 そうよ。私であり、あなたである。


 ドサッ


 突然力が抜けて、その場に倒れた。

 だんだんと体温が上がっていくのを感じる。この身体は熱を出しているようだ。

 まるで、このよく分からない状況に耐えられないというように。


「ラナ様!? 大丈夫で——」


 誰かが私に駆け寄ってきた。そう思った瞬間、意識が途切れた。




「——ねぇ起きて。あなたとお話ししたいの」


 私は真っ白な空間に倒れていた。

 何が起きたんだっけ? 

 ぼーっと考えていると、美幼女が私の顔を覗き込む。


「……大丈夫?」


 しばらく見つめ合っていると、美幼女が心配してくれた。

 ……そうだった! なんかよく分からない貴族のお嬢様が住んでいるような部屋でなんかよく分からない状況になってたんだった!

 起き上がり、さっきの美幼女に向き合う。


「あの、あなたはさっきの状況……と、今のこの状況について知ってるの?」

「少なくともあなたよりは分かっているつもりよ。……ねえ、あなたの名前を聞いても良い? ずっと『あなた』と呼ぶのは寂しい気がするの」


 ……可愛い! ゼロ兄ちゃんがよく可愛いという理由がなんとなく分かった気がした。

 今考えなくても良いことは置いといて、確かにずっと「あなた」と呼び、呼ばれるのは寂しい。


「もちろんだよ! 私の名前は佳月七海かげつななみ。あ、七海が名前です」

「ありがとう。私はラナ・ブライト。あの部屋の主、そして、ポルアランド王国ブライト公爵家長女という肩書きがあるわ。よろしくね、ナナミ」


 ラナちゃんはふわりと笑った。

 その反面、私の心は忙しいものである。

 王国!? 公爵家!? あのファンタジーで聞くような!?

 まさかこの世にふわりと笑うという表現がぴったりな子がいるなんて……! なんか感動!

 驚き、はてなを浮かべている自分もいれば、現実逃避をするように感動している自分もいる。

 とりあえず、返事をしなければ。


「こちらこそよろしくね、ラナちゃん」

「ちゃん付けではなく、ラナと呼んでもらえると嬉しいわ」

「……分かった。よろしく、ラナ」


 そう答えるまでの数秒の間に、ちゃん付けも良いが呼び捨ても良い! 私はどうすれば? と考えていたことは秘密だ。

 今更かもしれないけど、どう見ても4、5歳ぐらいのラナが大人のように話すのには違和感がある。

 果たしてこれは突っ込んで聞いて良いものか……?


「ナナミ、聞きたいことがあるのなら聞いてくれると嬉しいわ。下手に勘繰られるより聞いてもらった方が私も安心できるから」

「……! そうだね。ありがとう。早速質問なんだけど、今ってどういう状況なの? 私は自分七海の部屋で寝ていたはずなんだけど……」

「そうね。……あの身体の持ち主はさっきも言った通り、ラナでありナナミなのよ。今日、目が覚めたとき、ナナミの記憶があることをラナの身体は思い出したの。今までラナとして生きてきた記憶とナナミの考え方等が少し混ざった状態が私。そして、ナナミの記憶があなた」


 なるほど、そうなのか。……そうなのか!?

 これって俗に言う転生!? え? 七海死んだの? でも死んだ記憶は全くと言っていいほどないんだけど?


「……あ、もしかして七海の考え方が混ざってるから大人っぽいの?」

「そういうことになるわね」

「……なんかさ、私より大人っぽくない?」

「ふふっ、そうかもしれないわね。私が考えるに、貴族として生きてきた記憶があるからではないかしら? ……4歳だけど、今まで色々とあったわ」

「そ、そっか。貴族って大変なんだね」


 ラナの色々とあったには様々な感情が含まれていた気がした。悲しみ、諦め、怒り、嫉み、などなど様々。少なくとも私が読み取ることのできた中に明るい感情は含まれていなかった。


「ええ、でももう良いの。ナナミがいるから」

「……つまりどういうこと?」


 あまり良くない予感がする。

 とんでもないことを言われるような、そんな予感。

 ラナは立ち上がると、私の肩を軽く押した。力はほとんど加えられてないはずなのに、床はあったはずなのに、私は落ちていく。


「ナナミ、ラナの人生を楽しんでね。私はここから見ているわ。必要な時には助言するから。そして時間が経つにつれ、ラナとナナミの記憶や考え、感情はまとまってくるわ。……3日ぐらいは動けないと思うけれど。頑張って——」


 ラナの声が、姿がだんだんと遠くなっていく。

 くすぐったいような浮遊感に包まれて、私は暗闇へ落ちていく。

 最後に見せたあの表情かおは何だったのだろう? 苦しそうな悲しそうな笑い方がまぶたの裏に焼きついた。


***


 七海が落ちていった後、そこには二つの人影があった。


「……わたくしの判断は正しかったのでしょうか?」

「それはまだ分からないな。だが、我は正しい判断をしたと信じておるぞ」

「……! ふふっ、そうですね。わたくしたちが信じなければ、良い方向に進むものも進まない。そしてあの子たちに面目が立たない。……信じましょう。あの子たちは必ずやってくれる」

「ああ、そうだな」


 二人は同じ方向を向いた。

 かつては美しかったあの世界がある方を。

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