2話

(豪華な宮殿……迷っちゃいそう)


 父王を説得した美蘭みらんは、身分を偽り後宮で下働きをする宮女として焔国ほむらこくへと送られた。

 長く伸ばした自慢の黒髪を切り、服も装飾のない地味な物に着替えた。

 問題は後宮に入る際の身分確認だったが、それは姉に「変化の魔術」をかけてもらうことで突破した。


「お前。名前は?」

「美蘭と申します。本日より、後宮で下働きをするよう命じられて参りました」

「……そう……か? まあいい。後宮の門は、向こうだ。さっさと行け」


 民に紛れ宮殿に入った美蘭は、役人に頭を下げると急いで後宮の門に向かう。


(一番目の姉様の魔法は三日で切れる。ここまで来るのに二日かかったから、今日中に入らないと)


 入ってしまえば、後はどうにでもなる。なにせ焔国の後宮には、寵姫とその世話をする宮女がひしめいているのだ。

 美蘭が紛れ込んでも、誰も気づきはしないだろう。

 そして上手く後宮に入った美蘭は、まず身分の高そうな寵姫を探し出し近づくことにした。

 当初は正妃の側仕えになろうと考えていたのだが、何故か正妃はおらず後宮内には寵姫しか住んでいないのだと親しくなった宮女から教えられた。


(予定が変わったけど、皇帝に近づけるなら寵姫でもかまわないわ)


 寵姫の側仕えになれば、後宮に渡ってきた皇帝と出会う確率は高くなる。運が良ければ一夜の戯れとして、宮女が寝所に呼ばれることもあるらしい。


(まあ、姉様達ならともかく。私は色仕掛けしたって振り向いてもらえないだろうし。堅実に事を進めなくちゃ)


 二人の姉は民から「天女」と呼ばれるほどの美貌だが、美蘭は特段目を引く容姿ではない。母譲りの黒髪は自慢できるけれど、それだけだ。

 けれどその黒髪も平民に偽装するために、肩口までばっさりと切ってしまった。

 少し悲しかったけれど、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。

 二番目の姉から貰った呪符を喉元に貼り、美蘭は教えてもらった寵姫の部屋に入った。


「何者だ。許可なく立ち入れば、死罪と知っての行いか!」


 室内には数名の宮女がいて、挨拶もなく入ってきた美蘭へ一斉に鋭い視線を向ける。

 一番奥の少し高い場所に置かれた長椅子に座る寵姫とおぼしき女性が、怪訝そうに問いかけてきた。


「そなたは?」


 美蘭は落ち着いてその場に平伏し、堂々と挨拶を述べる。


「新しく側仕えに任ぜられました、美蘭と申します。貴族の黄様から推挙されて、参ったしだいです」

「……ああ、そうであったな。皆、美蘭に仕事を教えてやれ。黄の紹介ならば、信頼できる」


 寵姫が表情を和らげ、美蘭を見つめる。


(よかった。これで変化の魔術が切れても、疑われることはないわ)


 二番目の姉は、言葉を操る呪符を作れる。この呪符を喉に貼って言葉を発すると、聞いた者はそれを真実として記憶する。そして一番目の姉とは違い、呪符が破れない限り効果が続くのだ。

 便利なようだが、この呪符は数回しか使えない。そして使用した時の言葉の重さや人数によって、劣化してしまうのだ。

 その場に居た全員が寵姫の言葉に頷いたのを確認して、素早く呪符を懐にしまう。

 寵姫の部屋を出た美蘭は、素早く人気のない建物の影に隠れて呪符を確認した。


(呪符の端が切れてる。やっぱり十人近くに使うと、劣化が早いわ)


 ボロボロになって呪符が崩れてしまう前に、何としてでも皇帝に接触しなくてはならない。

 予定では寵姫の側で情報を集め、皇帝の行動を探るつもりだ。

 ただし数カ月後には、再び焔国から使者が翠国を訪れる。そしてその時は、民を捕らえるために軍勢を引き連れているだろう。


(時間がないわ。ぐすぐずしていられない)


 大好きな両親と姉たち、そして馬に乗り一緒に草原を駆けた多くの民の顔が脳裏を過る。


「……そういえば、さよならの挨拶してなかったな……」


 翠国を発ってから、美蘭は初めて弱音を吐いた。

 ここには見知らぬ人ばかりで、頼れるのは自分だけだ。

 先月、結婚のできる歳になったばかりの美蘭にとって、家族と民の命運がかかったこの大仕事は自分から志願したこととはいえ、余りに重すぎる。


「それでも、私がやらなくちゃ」


 力を持つ美蘭が立ち向かわなければ、翠国は滅ぼされる。目尻に浮かんだ涙を拭い、美蘭は姿勢を正すと皇帝の住む正殿を睨みつけた。


*****


 数日後、美蘭みらんは夜になるのを待って正殿へと忍び込んだ。美蘭は皇帝の寝所の場所は、呪符を使って女官から聞き出してある。


(でもなんで渡りがないのかしら?)


 女好きだと噂される皇帝がこの一年ほど、後宮に姿を見せていないらしい。もしかしたら気に入った寵姫を密かに正殿に住まわせているのかもしれないが、真偽は不明だ。

 美蘭は小首を傾げながらも広い正殿を進んでいく。

 幾つもの渡り廊下を通り、広間の奥にある寝所に漸くたどり着いた。


「……赤ちゃん?」


 部屋の中からは、赤子の泣き声とあやす声が響いてくる。

 しかし皇帝に世継ぎがいるという話は、聞いた事がない。それに乳飲み子の間は、後宮で育てられるのが慣例だ。


「もう、こんな馬鹿げた事は止めてほしいわ」

「大金貰ってるんだから、文句言わないの」


 乳母だろうか。数名の女が話す声が聞こえる。美蘭は呪符を喉元に貼ると、寝所へと入った。


「失礼致します。ご用があると伺ったので参りました。……その、私にできることはございますか? 何でも仰ってください」


 怪訝そうに顔を見合わせていた女官達だが、美蘭の言葉に口々に愚痴をこぼし始めた。


「あなた、新入りの乳母ね。聞いてよ! この赤ん坊、全然泣き止まないのよ」

「みんな寝不足なのに、この計画を立てた宰相は今頃ぐっすり眠ってるわ」


 仮にも皇帝の寝所に詰めている女官のはずだが、寵姫の元にいる女官達と比べてどうも言葉遣いに品がない。

 何より皇帝の子である赤子に対して、随分と無礼だと美蘭は思う。


「あの……この赤ちゃんて、皇帝のお世継ぎですよね?」

「一応血縁だけど、殆ど他人の子よ。別にどうでもいいの。あなただって、大金もらってここにきたんでしょう? 余計な詮索はしない方が身のためよ」

「赤ん坊の世話をすれば一生遊んで暮らせるお金を貰えるって聞いたけど、四六時中泣かれちゃ嫌になるわ」

「放っておく訳にもいかないし。早くなんとかしてほしいわよ」


 赤ん坊を抱いていた女官が、疲れ切った様子で椅子に座る。すると赤ん坊が更に大声で泣き出した。


「お乳がほしいんじゃないですか?」

「あ、そうかも! 忘れてた!」

「ちょっとー、この子が死んだら、面倒な事になるんだからちゃんとしてよね」


 けらけらと笑いながら一人の女官が赤ん坊を抱き上げて、乳房を口に含ませた。やはりお腹が空いていたのが、赤ん坊は夢中になって女官の胸に縋り付く。

 その余りに酷い扱いに、美蘭は怒りを必死に抑える。


(なんなの、この人達? それにこの子は他人だって言ってたけど、どういうこと?)


「陛下はどちらに、いらっしゃいますか?」

「何を言ってるの? 皇帝も皇后も、とっくに病死されたじゃない」

「だからこの子を代理として連れてきたのよ。宰相様は上手くやってるわ」


 ぼんやりとだが、美蘭は現状を理解する。

 そしてこのままでは、自分の計画は破綻すると気付いてしまった。


(こんな赤ちゃんじゃ、私の魔術は効かない……)


 美蘭の持つ魔術は、他者を意のままに操るものだ。

 けれど言葉もままならない赤ん坊では、操ったところで意味がない。


(ともかく、一度後宮に戻ろう。計画を練り直さなくちゃ)


 一礼すると、美蘭は寝室を出る。

 このままでは、翠国は焔国に滅ぼされてしまう。一体どうすれば国と民を守れるのか、考えながら廊下を歩いていると不意に背後から呼び止められた。


「誰だ!」


 あと少しで後宮の門にたどり着くというところで、美蘭は警備の兵士に見つかってしまった。

 内心慌てるが、喉元に貼った呪符を確認して堂々と答える。


「怪しい者ではございません。私は後宮で側仕えの仕事を任されている者です」

「そうか……ん?」

「待て。後宮の女が、勝手に正殿へ出入りできる訳がないだろう」

「怪しいな。捕らえて牢に入れよう」


 兵士達は美蘭の言葉に耳を貸さず、槍を構える。


「お待ちください! 私は怪しい者ではありません!」


 慌てて声を張り上げるが、喉元の呪符が剥がれてぼろぼろと床に落ちていくのが分かった。


(さっき女官達から色々聞き出したから、効力が切れたんだ)

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