3話

 こうなってしまっては、後宮へ戻っても美蘭は身分を偽り続ける事ができない。ともかく今はこの場を逃れることが最優先と考えるけれど、兵達は続々と集まってくる。


「顔はそここそだが、体つきはいいな」

「牢へぶち込む前に俺達が調べてやろう」


 逃げようとしても、兵士が美蘭を囲むように立ち塞がる。彼らは下卑た笑みを浮かべ、美蘭に手を伸ばす。


「嫌っ」


 捕まる寸前、悲鳴を上げると何故か兵士の動きが止まった。


(呪符は破れたのに、どうして?)


 おそるおそる周囲を見回すと、兵士達の視線は美蘭とは別の方向に向いていた。


「それは私の女だ」

月冥げつめい様」


 暗がりから現れたのは一人の青年だった。

 月光を浴びてきらめく淡い茶色の髪、恐ろしいほど整った顔立ちはまるで彫刻のようだ。青い瞳は氷のようで、視線を向けられた兵達は一瞬にして静まりかえる。


「問題無い。お前達は持ち場に戻れ、面倒をかけたな」


 皇族なのか、紫色の上品な衣を纏っている。何よりその堂々とした物言いに、兵士達は大人しく頭を下げるとそれぞれの持ち場へと戻っていく。

 周囲から人の気配がなくなると、青年は美蘭に近づき呆れた様子で肩をすくめた。


「全く、随分と無茶をする女だ。正殿に忍び込むなら、もっと慎重に行動しろ」

「女じゃなくて、美蘭みらんです」


 怯えていると気取られないように、美蘭は精一杯の虚勢を張って青年を見上げる。


「美蘭。顔と同じで、可愛らしい名だな」

「えっ?」


 そんなことは一度も言われたことがなかったので、美蘭は呆けてしまう。


「確か、翠国すいこくの皇女に同じ名の者がいたと聞いている。艶やかな黒髪をなびかせ、草原を馬で駆ける姿は美神のようだと噂されているが……」

「私、そんな噂になってるんですか?」


 思わず聞いてしまうが、これでは自分がその本人だと認めてしまったと同じだ。

 はっとして口元を抑えると、青年がくつくつと笑い出す。


「あ、あの……私……」

「本当の事を話せ。悪いようにはしない」

「貴方は誰なの?」

「失礼した。私は次期皇帝、月冥げつめい。とはいっても、次の満月まで生きているかは分からないが」


 月冥と名乗った青年はその場に片膝をつくと、美蘭の右手を取り額に当てる。これは焔国では、男性が女性に対して行う最上級の礼だと美蘭も知っていた。


「私は美蘭。月冥様ほどのお方が、どうして……」

「月冥でかまわない。――皇帝の寝室に、赤子がいただろう? あの子が暗殺されないよう、毎晩見張っているんだ。あの子は関係がないからね」


 こんな事に巻き込まれて、可哀想に。と月冥が呟く。


「一体なにが起こっているの?」

「そうだね。君になら話しても構わないだろう。また兵に見つかると厄介だから、こちらにおいで」


 確かに深夜の廊下で話していては、怪しすぎる。

 月冥に促され、美蘭は近くの書庫へと入った。


「私の父と母……先帝と皇后は昨年、宰相に暗殺された。あの赤子は、どこからか宰相が連れてきた子だ。母親から無理矢理引き離されたので、毎晩あのように泣いている」

「酷い……でも先帝が暗殺されたなんて、知らなかったわ」


 確か翠国にきた使者は、皇帝の命だと言っていた。


「大臣達は宰相が政を行ってると知りながら、彼の機嫌を損ねないよう振る舞っているからね。後宮にさえ、真実は知らされていない徹底ぶりだ」


 既に国庫も宰相の手の内にあり、賄賂が横行しているのだと月冥が続ける。


「けれど後継者の貴方がいるのに、どうして赤ちゃんを帝として置いているの?」

「私は政がままならないほどの病弱だと、噂を流されている。勿論、この通り元気だけどね。ただ成人しているから、お飾りとしても宰相からすれば私の存在は厄介なんだ。いずれは暗殺されるだろうけど、立て続けに皇族が死ねば流石に外聞が悪い。だから生かされているんだ」


 苦笑する月冥に、美蘭は心を痛めた。

 自分が暗殺の対象とされていることを知っているのに、月冥は血縁も無い赤子の命を心配して毎晩見回っているのだ。


「いつ殺されるかも分からないのに、赤ちゃんの心配をして見守っているなんて……優しいのね」

「私は自分で身を守れるけれど、赤子は逃げることもできないだろう? 機会を見て母の元へ帰してやりたいのだが、女官達が見張っていて上手くいかない」


 この優しい人が皇帝になれば、他国への非道な侵攻などしないだろうと美蘭は思う。


「君はどうして、ここへ来たんだ?」

「翠国への侵攻をやめさせるために来たの――」


 彼になら全てを話しても理解してもらえると美蘭は信じた。

 突然、焔国の使者を名乗る男が来て、無茶な要求を突きつけてきたこと。従わなければ、国が滅ぼされるだろう事も全て打ち明ける。


「従ったとしても、翠国は滅茶苦茶になるわ。だから私は、それを阻止するために宮女として後宮に忍び込んだの」

「そんな事になっていたのか。すまない」

「謝らないで。貴方が悪い訳じゃないんだから」


 全ては宰相が命じたことだと、今なら分かる。

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