《前期日程六日目・深夜二時・東大阪市の廃工場》(5/5)


 十五分もしないうちに、黒塗りのバンが五台やってきた。真田さんたちだ。

 そのとき、僕は気絶した二人の女子と十二人の信者たちを歩道に寝かせて、黒澤さんに貸した武具を回収し終わったところだった。


 いつも通りパンツスーツ姿の真田さんは、窓から煙が上がるビルを一瞥し、アスファルトの損傷と死屍累々の光景を順繰りに見て、最後に一人だけ地面に立っている僕をものすごい顔で睨みつけた。


「……私を釣りましたね? 狸穴さん、あなたは自分を餌に、私を釣った。ああもう、さすがに目の前にF案件の現行犯がいたら、捕まえないわけにはいかないじゃないですかッ!」


 そう。これが、愚かな僕の立てた、最高に馬鹿なプランだった。クスリ関係じゃ、真田さんはがんじがらめで動けない。動けるのは、担当である転生者僕らが明確な違反をしたときだけ。


 それならば、たとえばこんなのはどうだろう。仮に、もしも、真田さんが僕らを追いかけていった先で、隠れ転生者である白河さんを見つけたら、どうする?

 ドラッグ関係ではなく、F案件として。


 未登録の転生者による、現実を侵食する犯罪の現行犯だ。私人逮捕の要件をばっちり満たす。ありとあらゆるしがらみを断ち切って、真田さんは法務省公安調査庁F案件対策室職員としての義務を果たさなければならない。


 僕を餌にして、真田さんを現場に引っ張り出す。僕らが事態を収拾できる、唯一の道だった。

 ほんとうに愚かな方法だと思う。

 これはつまり、白河さんと一緒に僕らも逮捕されてしまうことに他ならないから。


「ごめんなさい。でも、これ以外に方法を思いつかなかったので」

「狸穴さん、あなたが封印処置されても文句は言えませんよ。F対東京ギルドの地下深く、私でも勝てない抗体反応たちが見張る牢獄に封じ込められてもおかしくない暴挙なんですよ?」

「でも、後悔はないです」


 真田さんはしばらく顔をしかめて不機嫌そうに唸ったあと、大きなため息を吐き出した。


「……ちなみに、うしろのビルに火をつけたのは?」


 薄かった煙が、どんどん濃くなっている。


「あ、僕です」

「放火はF案件関係なくシンプルに重罪なんですよッ! もうッ!」


 真田さんはいら立ちを隠さない荒い足取りでビルに向かって歩き出した。


「いいですかッ、私じゃなかったら、ほんとうに手遅れでしたからねッ!」


 スーツの懐から小さな棒を取り出す。緑色の宝石があしらわれた、かわいらしいステッキだ。


「第一種幻想、抜杖――」


 ビルに向かって、ステッキが振り下ろされた。そして、なにがどうなったのかわからないけれど、ビルの窓から上がっていた煙が音もなく掻き消える。突風がアスファルトの上を吹き荒れて、風に押された僕は縁石から転がり落ちてしまう。


「……え? な、なにしたんですかっ?」

「大気を斬って、ビルを丸ごと真空で包んだだけです。酸素がなければ燃焼は止まりますから」


 めちゃくちゃなことを言う。大気を斬った? どういうことだよ。ひとりだけ世界観が違う。


「……やっぱり、最初から真田さんがぜんぶやってくれればよかったのに」


 思わず言葉をこぼすと、真田さんは半目で僕をねめつけた。


「私だって、それができれば苦労はしません。大人にはいろいろあるんですよ。なくていい、面倒な手続きがね。そういう面倒くささがあるから、いろんな人間が生きていけるんです」


 それはもう、今回のことで重々教えていただきましたけれども。……いや、最後にもうひとつ、大切な手続きが残っているか。F対の職員たちが、倒れた信徒たちや白河さんに手錠をかけて、五台のバンに積み込んでいくのを、横目で見る。


「本来、現実の裏側に隠れていなければならないF案件の逮捕者がこんなに出るなんて。これから一ヶ月は残業ですね……」


 哀愁を漂わせる真田さんに、僕は両手を突き出した。


「どうぞ。僕にも必要でしょう?」


 真田さんは、ほんとうにつらそうな顔をした。普段は仏頂面ばかりの人なのに。いたたまれない気持ちになる。恩人になんてことをさせているんだろう、僕は。でも、それが選んだ道だ。


「……初めて会った日、あなたがなんと言ったか、おぼえていますか。平穏に死にたい、ですよ。ほんとうに、もう……、馬鹿な子なんですから」


 僕の両手に、真田さんの手で、手錠がかけられた。金属の冷たさが、僕の両手首に重たくのしかかる。思っていたよりもあっさりと、僕は罪人になった。


「現行犯確保。狸穴蓮、重大なF対の規約違反により、あなたを現行犯で拘束します」


 そうして、僕も他の逮捕者と同様にバンへと詰め込まれた。罪を犯した者として。

 ダーティーを通り越して、黒に染まったものとして。


 疲れたな、と思った。とにかく、めちゃくちゃ疲れていた。そう自覚すると急に眠たくなってきて、現行犯逮捕で搬送中だというのに、図太くも僕はまぶたを閉じるのであった。



 真田さんによる、約四時間にわたる僕と黒澤さんへの聴取(という名のガチ説教)の内容は、筆舌に尽くしがたいものだった。ただ、真田さんが僕らを心配してくれているのだとわかっていたから、真田さんの心が狭いだとか、そんな風に小うるさいから行き遅れるのだとか、僕は言わなかった。黒澤さんは言った。こいつもたいがい図太い。


 真田さんと黒澤さんの壮絶な舌戦が、ついに猫同士が甲高い鳴き声でする喧嘩みたいになりかけたところで、その話題が出た。


「だいたい、なぜわざわざ燃やしたのですか! 原材料植物も貴重な証拠品だというのに!」

「燃やしたのは狸穴だろう。私もまさか燃やすとは思っていなかったが。というか、灯油なんていつの間に用意していたのだ、貴様。ビルに向かうまでそんなもの持っていなかったくせに」


 二人の凶暴な猫にじぃっと見つめられると、背中が汗でびっしょりと湿る。こわい。


「いや、その、暗室だけ燃やすつもりだったんですけど……。ほ、ほら。あの草が問題だった面もあるわけですし。ちょうど、ビル内部に灯油があったので」

「灯油が? 屋内に保管してあったのですか? 四月の大阪で?」


 答えに窮していると、真田さんが「まあそれはいいです」とジト目になった。


「火事なんか起こして、自分が燃えたらどうするつもりだったのですか」

「それは、そのう……、生きてたら痛いのは当たり前かなって」


 真田さんは地獄の底から響いてきていそうなため息を取調室の床にぶちまけた。


「いいですか、狸穴さん。平穏な人生を望む人は、命をそんな風に扱いません。こんなことをして、ご両親に悪いと思わないのですか。だいたい、あなたは――」


 真正面から説教されると、なにも言えなくなる。正論のマシンガンに耐えるしかない。


「あるいは、燃やしたいものが別にあったか、だな」


 ぼそりと黒澤さんが呟く。ぞぞぞ、と背筋が震えた。


「黒澤さん? なにか言いました?」


 真田さんが黒澤さんを伺うように見た。黒澤さんは卓上のお茶のボトルに手を伸ばして「喉が渇いた、と言ったのだ。すまない、もらうぞ」とうそぶいた。ボトルの蓋を回しながら、猛禽の視線が僕の顔面に突き刺さる。やばい。気づかれたか。


 ちょうどそのとき、真田さんの携帯電話が鳴り響いた。折り畳み式のモデルで、一見しただけで仕事用だとわかる旧式のもの。真田さんは「うええ」と嫌そうな声を喉から漏らしつつ、携帯電話をひっつかんで取調室の外に出た。

 チャンスとばかりに黒澤さんが口を開く。


「……思えば、不可解な点がいくつもある」

「不可解な点って? そうだね、たしかに不可解なところがたくさんあるクエストだったよね。うんうん、わかるよ黒澤さん、まだこのクエストには謎が残っている」

「貴様のことだ、狸穴蓮。ごまかそうとするな」


 あう。


「さっき気絶して、目覚めたときには武器がなかった。取り上げられたのかと思ったが、真田が一切話題に出さなかったあたり、気絶中に貴様が隠したのだろう。だが、どこに隠した?」

「そ、そのう……」

「そもそも、よく考えてみれば、貴様、大阪ふ頭で『倉庫から借りる』と言っていたが、あのあと一度もギルドに来ていないはずだろう。どうやって武器を用意したのだ」


 ダメだ、これは。僕はもう、てきとうなことを言うしかなかった。


「い、いやあ、偶然、持ってたっていうかぁ……」

「あと貴様、前世は荷物持ちだと言っていたな? 力仕事だ。なぜそんな力仕事を、十五歳の非力な子供が担当していた? 前世の貴様も非力だったのは外魂格の出力が証明している」

「……ひ、人手不足だったんだよ。児童労働なんて、どこの世界でもある問題だろ?」


 我ながら苦しすぎる言い訳である。


「私の見立てでは、貴様の継承術になにかしらのからくりがありそうだが――、と」


 黒澤さんが僕を問い詰める前に、聴取室の扉が開いた。戻ってきた真田さんは、いっそう疲れた顔をしている。


「マトリの……、近畿厚生局のお偉いさんからでした。F案件関係者と黒焦げのプランターはF対が確保したので、あとは向こうの管轄ですし、現場を受け渡したのですが」


 嘆息する。真田さんはほんとうにため息ばっかりだ。僕のせいだけど。


「あるはずのものがない、と怒鳴られました。燃え跡もないから、白河から他のアジトの情報をぜんぶ引っ張り出せ、と」


 黒澤さんが首を傾げた。


「あるはずのもの? なんだ?」

「拝金主義者の小娘の癖に、わからないんですか。お金ですよ、お金。この一年間、ポーションの製造と販売で儲けたはずの、莫大な現金が見当たらないんです。拠点を捨てて移動していた以上、白河本人か側近が運んでいたと思うのですが」


 猛禽の瞳がずばっと鋭くなって、僕を突き刺した。こっち見ないで。やめて。


「それが、一円たりとも見つからないらしくて。マトリの推定では、現金だけでも一億円ほどはあったはずなのですが」


 黒澤さんが、がたりとパイプ椅子を揺らした。


「それは……、そうか。大金だな。見つからないのはおかしいな、うむ。燃え尽きたんじゃないのか?」

「それだけの現金があれば、燃えがらくらいは残りますよ。だから、早く見つけろ、白河に吐かせろ、と。……もう帰って映画見てもいいですかね、私」


 真田さん、ほんとうにごめんなさい。いや、ほんとうに。


「お金なんて、私達F対には関係ないのに……、私達の仕事じゃないのに……」

「真田は金が大事ではないのか? 金だぞ?」

「どうせ私のお金じゃないですから。F対の仕事はF案件への対処だけです。違法なお金なんて知りません。ようは、これは白河を先に確保した私に対する嫌がらせなんです」

「嫌がらせ? マトリは現金を追っているのではないのか」


 眉をひそめた黒澤さんに、真田さんは仏頂面で応じた。


「拝金主義者のわりに、不勉強ですね。不自然な大金の流れがあれば、すぐに国税局が掴みます。日本国内のお金の流れは、一般人が思っているよりもはるかに正確に把握されていますから。パパ活娘相手でも根掘り葉掘り調べて問答無用で追徴する時代ですよ?」

「えッ?」


 僕はめちゃくちゃ間抜けな声で疑問符を飛ばしてしまった。


「どうしましたか、狸穴さん」

「い、いや、その、国税局っていうの、めちゃ優秀なんだなって……、びっくりして」

「そうです、優秀なんです。だから、悪い奴らは違法に得た汚いお金を使えるように資金洗浄、マネーロンダリングするわけです」


 冷や汗を流す僕に気づかず、真田さんは話を続ける。


「ともあれ、お二人はいろいろな省庁に目を付けられてしまいましたから。私がかばえる範囲にも限界があります。しばらくは大人しくすること。いいですね?」


 僕は黒澤さんと顔を見合わせてしまった。いま、かばうって言ったよね、このひと。


「ええと……、僕たち、普通に生活してもいいんですか? 現行犯ですけど」


 真田さんは、いつも通りの仏頂面で言う。


「転生者は実在しません。少なくとも公的な書類の中には。いま、あなたたちに対してなんらかの処罰を与えると、そこからマトリやら公安警察やらが食いついてくる可能性があるんですよ。まったく、目をつけられるというのも面倒な話です」


 どうやら、またしてもややこしいパワーゲームが働いた結果らしい。運がいいのか悪いのか。


「それに、あなたたちの行動は、結果としてはギルドの方針に従ったものでしたから。経緯は最悪でしたけど、ともかくファンタジーの浸食から現実を守ったことに、変わりはありません。厳重注意で済ませてあげます」

「あの、僕の放火については……?」

「火をつけたところは、見ていませんから。私は警察ではないので、現行犯以外での私人逮捕はできかねます」


 しれっとすごいこと言うじゃん。


「ただし、狸穴さんも黒澤さんも、当分はクエスト禁止です。クエストなんて怪しいことをしていたら、やっぱり他省庁の監視に引っかかりますので」


 黒澤さんがパイプ椅子を蹴倒して立ち上がった。


「ま、まてまてまてッ! 私は生活が厳しいんだぞッ? クエスト禁止は困る! 緊急クエストの報奨も出ないんだろうッ?」

「あたりまえじゃないですか、結局、白河を捕まえたのは私ですし。自業自得です。しばらくは真面目に大学へ行って、反省してください。それと」


 真田さんが、厚ぼったい眼鏡を外して、目頭を両指で揉んだ。


「もう馬鹿なことはしないでくださいね? 私はもう、あなたたちに手錠かけるなんて、金輪際お断りですから」

「……もちろんだとも。我々は賢いからな、きちんと学習したさ。二度と馬鹿なことはしないと約束しようじゃないか」


 僕も、うんうんと頷いておく。

 なお、言うまでもないことだけれど……、僕たちは馬鹿である。



※※※あとがき※※※

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