《前期日程六日目・深夜二時・東大阪市の廃工場》(4/5)



「……おい、狸穴蓮。フラれた直後で申し訳ないが、もう終わりでいいか?」


 黒澤さんが僕の前に立って、盾と剣を構えなおした。


「うん。ありがと、黒澤さん」

「礼はいい。真田が来るまで、もう少し時間がある。その時間は私がもらうぞ」


 剣の切っ先を、白河さんに向けた。


「白河。貴様に一騎討ちを申し込む」

「一騎討ち?」

「私のうしろの狸穴蓮は、貴様も知っているだろうが、ただのへたれで、戦闘能力も皆無だ。ならば、代行として貴様の相手をするのは私の仕事だろう」

「まみくんを殺させたくないってこと? でも、受けると思う? せっかく、黒澤さんに弱点が出来てラッキーな状況なのに、狙わないわけないでしょ。殺したいし」


 僕という、雨後の野良猫みたいに弱々しい存在がノコノコ表に出てきてしまったので、なるほど、白河さんにとってはラッキーな状況だろう。

 だけど、黒澤さんは猛禽みたいな瞳で、一直線の言葉で、白河さんのど真ん中を射抜いた。


「私は鈴鹿の代行でもある。貴様、あいつの魂の色を知らないだろう。急いで逃げたのだから」


 白河さんは黙り込んで、笑いもせずに黒澤さんを見た。


「私はあいつの色を知っている。一騎討ちで勝ったら、教えてやる」

「……いいよ、わかった。受けてあげる。どうせ、旅立たせる前にひと手間増えるだけだし」


 白河さんが両手と外魂格の触手を、ゆるりと持ち上げた。

 僕は邪魔にならないよう後ろに下がる。僕の番は終わったから。ふと焦げ臭いにおいを感じて振り向くと、背後のビルの窓のすき間から、薄く煙が上がり出していた。乱闘もそろそろ通報されている頃だろうし、すぐに消防車が来てくれるかな。


「ねえ。いちおう聞いておくけど、くろちゃんは神様を信じてる?」

「信じているとも。渋沢栄一だろう? 次が津田梅子。時代によって変わるがな」


 それは紙様だ。馬鹿みたいな答えに、白河さんも呆れ顔になる。


「お金なんて、なんの価値もないのに。くろちゃんはどうしてそうなの」

「違うぞ、白河。資本社会では金だけが価値を保証するのだ。換金可能なものだけが資本社会で価値を証明できる。神すらも金には届かない。貴様だってわかっているはずだ」


 挑戦的な物言いで、黒澤さんは言い切った。


「信仰は金で買える、とな」


 僕も言われた言葉だ。神様は、お金で買えると。お布施とか、免罪符とか。


「……どういうこと?」


 白河さんが首をかしげる。


「貴様自身が証明したじゃないか。白河、貴様は薬を販売した。脳内体験を量り売りした。メタンフェタミンだかメタンハイドレードだかなんだか知らないが、おまえは脳内の神と交信する手段を販売した。私はそれが神だとは思わんが」


 黒澤さんは長剣の切っ先をゆらりと揺らす。


「貴様は、貴様の神に会うためのクスリを有料で販売した。活動資金を得るためだろうが、その時点で、貴様の神はもう換金可能になったんだよ。貴様の神は、貴様自身の手で、紙ぺら以下の存在にまで貶められたのだ」

「……そんなの、詭弁だよ」

「ああ、詭弁だ。この理屈でいけば、逆説的に金で買えないものは、すべて無価値になるからな。例えば命だ。どれだけ金を積んでも、死人は蘇らん」


 黒澤さんは堂々と大阪のアスファルトの上に立ち、唇の端を歪めて、ニヒルに笑った。


「だからこそ、命は大事なのだよ。金でも、金で買える神でも取り戻せない、数少ないものだから」


 命は大事。取り戻せない。


「……あ」


 その言葉に膝が砕けて、僕は路上にへたり込んでしまった。こんなにも当たり前な短いフレーズでよかったのか。こんなにもシンプルでまっすぐな言葉でよかったのか。


 そうだ、命は大事だ。神様だって取り戻せない。

 ……黒澤さんはずるいな、と思った。ずるくて、汚い。こんなにシンプルな言葉で、ぜんぶ持っていってしまうんだから。拝金主義者の、ダーティーエルフがさ。


「だから、これは私の自己満足だよ。かたき討ちなんてしたところで、鈴鹿の魂が戻るわけではないし。私は――、いや、私達はわがままで強欲なだけさ。なんせ、痛みなんていらないと言いながら、なにかしら言い訳をして、すぐに一番痛くて苦しい道に飛びこんでしまうのだから。あとさきなんて考えずに。貴様もそうだろう、白河。狸穴蓮に言い負かされて、珍しくご立腹じゃないか」

「……もういい。なにも言わないで。くろちゃんはまみくんの隣に埋めてあげる」


 合図もなにもなく――、一騎討ちが、始まった。

 白河さんが両手をゆるりと動かすのに合わせて、大量の触手が黒澤さんに迫る。黒澤さんは高速で盾と長剣を振り回し、触手を振り払いながら走った。まるでいなずまみたいだ。黒い外魂格が、ぎざぎざの残像を残して路上を駆ける。


 僕が提供した、魔法に抵抗を持つ盾と耐久値に補正がかかった長剣。間違いなく最上級の代物だ。大阪湾ふ頭で、一度は黒澤さんを軽々と拘束した白河さんの外魂格が、簡単に弾き飛ばされて、大阪の空に消えていく。


 僕がビルの内部でいろいろやっているあいだ、信者たちをあっさりと昏倒させたうえで、ずっと白河さんの足止めをしていたのだ。武器を持った黒澤さんは、ほんとうに強い。


「このっ」


 槍みたいに射出された触手が、黒澤さんの頬を裂く。鮮血が舞う。けれど、黒澤さんは止まらない。【治癒】の光が頬に宿って、すぐに修復されていく。白河さんの紫色の外魂格と、黒澤さんの真っ黒な外魂格が入り乱れて、僕にはもう目で追いかけることすら難しかった。


 だから、最終的に黒澤さんが長剣を白河さんの首筋に突き付けてからも十秒くらいは、僕は黒澤さんが勝ったのだと理解できなかった。

 だって、黒澤さんの腹には一際太い触手が突き刺さっていたのだから。鮮血をぼたぼた垂らして、ねじくれた外魂格の先端が、背中から飛び出している。


「黒澤さんッ?」


 黒澤さんは顔をしかめて、獰猛に唇の端っこを釣り上げた。


「騒ぐな、狸穴蓮。そして――、首に届いたぞ、白河。私の勝ちだ。色は教えてやらん。ざまあみろ、ばーか」

「……どうして寸止めなの? 一騎討ちでしょ? かたき討ちなんでしょ? これじゃ、まるでくろちゃんも――」


 白河さんは僕を見た。今まで見たことがないような顔をしていた。笑顔でも、眉を寄せた困り顔でもない。母親を見失ったと気づいた迷子の子供が、泣く寸前に一瞬だけ見せるような無表情。どうしていいかわからない、そんな顔だった。


 黒澤さんが円盾で白河さんの頭をぶん殴って意識を刈り取るまで、その瞳は僕と黒澤さんの間を揺らいでいた。なにかが届いたのかもしれない。あるいは、彼女は僕らではなくて、知らない色の魂の光を、大阪の街の中に見つけていたのかもしれない。


 紫色の外魂格が解除され、白河さんの中に戻っていく。黒澤さんは崩れ落ちる白河さんを支え、そっとアスファルトの上に横たえた。腹の穴を埋めていた触手が消えて、どくどくと血が流れてパーカーを汚す。【治癒】の光が灯って、傷が修復され始めた。心臓が止まっても五分以内なら治せると豪語したスキルが、致命的に見えた大けがをあっという間に癒してしまう。

 傷が治っても、黒澤さんの表情は痛々しくて、寂しそうだった。


「……私も貴様が好きだよ。私だけではない。みんな、貴様が好きだったよ。当然だろう。友達なんだから。失いたくないから、ここにいる」


 たぶん、きっとその言葉こそが、黒澤さんの痛みだったのだろう。

 失いたくないから、ここにいる。たとえ友のかたきであろうとも。

 僕はそっと、彼女の肩を支えた。痛みを分かち合えるのだ、僕達は。そうやって、生きていくのだ。――それで、いいのだ。僕達は。


 それから、黒澤さんは気絶してぶっ倒れた。いくら【治癒】といえども、怪我したときの痛みや出血までがなくなるわけではないと、あとから知った。

 つまり、ほんとうは相打ちで……、魂の色を伝えなかったのは、たぶん、ただの意地だろう。



※※※あとがき※※※

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