《前期日程六日目・深夜二時・東大阪市の廃工場》(3/5)



 大阪市西区にある、三階建の小さな廃ビル。

 ピンク色のアプリによれば、白河さんのGPSはこの場所で止まった。あのアプリは本来、カップル用のもの。双方向性だ。こちらから白河さんの居場所も追いかけられる。僕と黒澤さん、二人のGPSもオンにしてあるから、彼女も気づいているだろう。この場に僕らが来ていると。

 スマート・ポーションを飲んで旅立つはずだった僕が、生きていると。


 だから、白河さんは教義に従って僕を殺さなければならない。旅立ちを拒んだ僕を殺し、事実を知った黒澤さんにも紫色の液体を飲ませるためにも、白河さんは逃げない。逃げられない。

 じっとりと湿った手のひらを太ももにこすりつけ、ピンマイクに話しかける。


「準備、いい?」

『いつでもいいぞ。貴様のペースで始めろ、狸穴蓮。……しかし、こんな装備がよくあったな。折れない剣に、魔法を弾く盾とは。転生具とは思えん。まるで本物の魔道具のようだが、どういうことだ?』

「珍しいこともあるもんだよね。剣と盾に、そんなに都合のいい継承術が宿るなんてさ」


 てきとうなことを言いつつ、僕は電柱の陰からこっそりと足を踏み出した。洗い立てのシャツの胸元をくしゃくしゃに抱き寄せて、深呼吸。


「それじゃ……、始めるよ」


 どくどく鼓動するうるさい心臓をうっとうしく思いながら、廃ビルの裏手のフェンスに飛びつき、なるべく音をたてないように登っていく。つい数時間前まで極彩色の景色に連れて行かれそうになっていた脳みそはとても万全とは言えないけれど、それでも時間は待ってくれない。戻ってもくれない。失ったものは戻ってこないし、やり直しの機会なんて二度とない。


 たとえ、前世の記憶があっても。僕の人生が二度目であっても。あるいは何度目であっても――、来世があっても。

 僕が鈴鹿とくだらない話をすることは、二度とない。


 だってそうだろ? 昨日という時間はもう過ぎていってしまったのだから。

 だから、行動する。歯を食いしばって、手足を動かすしかない。外魂格を展開。ねじくれた針金を取り出して、裏口のドアに押し付ける。かちゃりと小さな音が鳴る。


「入った」

『了解、こちらも始める』


 直後、小さなビルの表側から大きな破砕音が響く。がしゃあん、となにかを割り砕く音。黒澤さんが、ビルの表のドアをぶち破って突入した音だ。まだ生きていたらしい信徒どもが騒ぎ出す。でも大丈夫。マサル氏との戦闘で圧倒していたように、黒澤さんなら、外魂格を得ただけのジャンキーどもなんて、物の数じゃない。問題は白河さんだけ。


 逆に言えば、白河さんにとっての問題は、黒澤さんだけなのだ。黒澤さんが表にいれば、白河さんはそちらに行くしかない。名の知れたダーティーエルフだ。ふ頭でも戦闘した相手、自分が直接対応しなければいけない相手だと、わかっているはず。


 そして、僕は舐められている。ろくにナイフも振れない雑魚だと思われているだろう。実際、その通りだ。だから、室内にこっそりと侵入してもバレやしない。裏口側の狭い通路には段ボールだとかバケツだとかが所狭しと並んでいて、通りにくい。


 イヤホンを外して、聴覚に神経を集中させながら通路を歩く。もしラリった信徒と喧嘩になったら、僕なんてぼこぼこにされるに違いなかった。慎重に進む。


 部屋を覗き込みながら進んでいくと、黒いカーテンのかかった、中の見えない部屋があった。どういう部屋なのか、見なくてもわかる。耳をそばだててみれば、表から激しい怒号が響いてきた。信徒たちも白河さんも、見事に釣られてくれたようだ。まともな判断力を、神様に奪われてしまったのかもしれない。彼ら自身が望んだように。


 暗室の中には、たくさんの小さなプランターがきちんと整列していた。ねじくれた奇妙な植物が生えている。紫外線を照射する紫がかったライトが、部屋を妖しく照らしていた。


 部屋の隅には、ボストンバッグが二つ。ひとつは、鈴鹿の部屋で見たもの。もうひとつは、あの廃工場で見たもの。白河さんが拠点を捨てるにあたって、持ち出していたもの。手早く中身を確認して、うなずく。思ったとおりだ。


 振り返って、異世界のスキルでいじられた、いびつな草花たちに向き直る。存在することに罪はないけれど、それでも燃やさねばならない。


「……もう遅いし、やり直せないけどね」


 だれともなく呟いて、僕は灯油の詰まったタンクを取り出した。灯油タンクの中身をプランターにぶちまけてから、火を持っていないことに気づく。自分の準備不足に、変な笑いが漏れる。なにかないかとポケットを漁ると、アニメキャラが彫り込まれたジッポと黄色いたばこの箱が出て来て、一瞬、息ができなくなった。


 ……そういえば、たばこを吸ったことがない。今後の人生でも、吸う予定はない。そのつもりだった、けれど。

 細いたばこを一本取り出して口に咥え、息を吸いながら火を点ける。ぼう、と明るい色の炎が灯って、甘ったるいバナナのフレーバーに、げほげほとむせかえってしまった。よくこんなもん吸ってたな、アイツ。苦くて甘い。それに、めちゃくちゃ臭い。こんな煙、肺に入れるモノじゃなくないか?


 それでもなんとか一呼吸ぶん、健康を害する合法の煙を目いっぱい吸い込んで、目を閉じる。

 煙を、吐く。

 暗室の空気に溶けるように、甘ったるい香りは拡がり、散っていく。


「次は、ちゃんと禁煙しろよ」


 火のついたたばこを摘まんで、プランターの行列に投げ入れる。怪しい色の灯りが、少しずつ炎の赤色に塗り替えられていくのを、僕は最後まで見なかった。

 やることは、まだ終わっていない。これからが本番だ。



 表に出ると、死屍累々の光景だった。

 白河さんの信者たちが十人くらい、ごろごろ倒れている。痙攣しているやつもいた。それが殴られて気絶したからなのか、スマート・ポーションの飲みすぎで散魂した結果なのかはしらない。ともかく、アスファルトの上に立っているのは、二人だけだった。


 パステルカラーのパーカーの上から、魔法がかけられた軽鎧と、自前の外魂格を纏い、長剣と丸盾を構えた黒澤さんと。

 この状況に陥っても、いつも通りの笑顔を浮かべた黒いライダースーツと異形の外魂格を纏う白河さん。

 建物から出てきた僕に、二人の視線が投げかけられた。


「……やっぱり導きを拒否したんだね、まみくんは。でも、どうして? 確実に一本ぜんぶ飲ませたはずだし、噂に名高いくろちゃんの【治癒】でも、治せるもじゃないと思うんだけど」

「あいにく、フレーバーが合わなくてさ。もっと甘いのが好きだな、僕は」


 バナナの匂いを感じていなかったら、こんな軽口も出なかっただろう。白河さんを前にするだけで、胸が締め付けられてしまうから。


「それで――、くろちゃん。まみくんがビルから出て来たってことは、私の子供たちを処理するのが狙いだったの? それとも、やっぱりかたき討ちのつもり? 私はすずちゃんを導いてあげただけ。筋違いだよ、すずちゃんも私達の同志だったんだから」

「さてな。私は依頼を受けただけだ。要件は狸穴に聞け」


 黒澤さんは荒い息を整えながら、路上にしゃがみ込んだ。さすがに疲れている。体に傷はないけれど、アスファルトの穴と、べこべこに凹んだ盾が激闘を思わせた。やっぱり、白河さんは段違いに強いらしい。


「はやくしろ。真田が来る前に、おまえの用事を終わらせろ」


 うん、と頷く。白河さんに向き直る。彼女はやはり、どこか浮世離れしたふわふわとした笑顔で、あまりにもまぶしい。そのまぶしさが、彼女の脳みそのどこかにいる、ややこしいカタカナの成分のせいだと知った今も、見るだけで心がざわめいてしまう。

 そのざわめきを抱きしめて、まっすぐに白河さんを見つめる。


「僕、白河さんのことが好きだ」


 言葉はするりと零れ落ちた。投げかけた言葉は、だけど、ありとあらゆる感情の上っ面を滑って、だれにも受け取られずにアスファルトの上で砕け散る。


「……もしかして、告白しに来たの?」


 うなずくと、白河さんは眉をひそめて困った顔になった。


「ごめんなさい。私、だれとも付き合うつもりはないし……、だいたい、旅立ちを拒んだ人とは付き合えないよ」


 申し訳なさそうな顔で、白河さんは両手を合わせた。申し訳なさそうなだけで、ほんとうに申し訳ないなんて欠片も思っていないことは、僕にももうわかっている。

 彼女の行動のすべては。彼女の言葉のすべては。彼女の表情のすべては。

 大脳中枢神経系が生み出す神様を隠すための、あるいは彼女が感じた絶望を隠すための、普通のふりに過ぎない。


「でも、そのために命を懸けるなんて、やっぱりまみくんは素敵だね。異教徒じゃなかったら、揺らいじゃっていたかも」

「それは嬉しいセリフだけど……、もう終わりだよ。僕も、白河さんも」

「終わらないよ。あなたたちには、終わらせられない。私を導けるのは私だけだもん」


 ほら、噛み合わない。本質を知らないから。相手を見ていないから。


「そうだね。僕らに、白河さんは導けない。助けられない。もうどうしようもない。だって、神様なんていないんだから。頭の中にも、雲の上にも、どこにも――、いないんだから」


 だけど。


「だけど、さ。白河さんは知らないだろうけど、神様なんていなくても、僕達は生きていけるんだよ。だって」


 胸に手を当てる。頭じゃない。ううん、胸でもないかもしれない。だけど、だれにデザインされたわけでもない失敗作の僕らであっても、その存在の最奥、温かくて柔らかい場所に。


「心が、あるんだから」


 だって、そうじゃないと悲しすぎるじゃないか。傷つくために生みだされた欠陥品だとしても。僕たちは、痛み以外にもたくさんのことを感じられるはずなのだから。


「鈴鹿の中にも、僕の中にも――、それから、白河さんの中にも。だから、断言する。よくわかんない成分でどれだけトぼうが、きみはぜったいに辿り着けない。自然界だか神界だかなんだか知らないけれど、きみが目を逸らし続ける限り、白河さんはそこには辿り着けないんだ」

「……まみくん、私がなにから目を逸らしているっていうの?」

「生きる痛みから。生きる苦しみから。自分自身の血を流して感じる温かさからも。……白河さんも、僕らと同じなんだ。自分の血を流さないと前に進めない、不器用な馬鹿だ。だから、他人の血をどれだけ流しても、意味はないんだよ」

「……難しいことを言うね、まみくんは」


 ああ――、やっぱり僕の言葉は届かない。わかっていたけれど。人間という生き物は、もどかしくて、苦しくて、どうしようもないほどに痛々しい。

 顔をうつむける。ほんとうに、これで終わりだ。アスファルトに落っこちた言葉の欠片は、一つたりとも届いていない。そう思った。


「だけど、なんでだろう。私いま――、いま、ね? まみくんを殺したくて殺したくて、仕方がないや。どうしてだろうね」


 だから一瞬、なにを言われたのかわからなかった。それが白河さんのいら立ちだと、ほんの少しだけ届いた心の端っこだと気づいて、思わず笑ってしまった。

 なんだ。やっぱり、きみの中にもあるじゃないか。

 だったら、もう一度伝えよう。そこに届くと信じて、言葉にしよう。


「……ずっときみが好きだったよ、白河さん」

「私は今日できみが大嫌いになったよ、まみくん」


 言われてしまえば、それまで。

 大学二年生の春、僕は想い人にフラれて、ひとつの恋が終わった。

 それだけの、お話。



※※※あとがき※※※

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