《前期日程五日目・深夜一時・大阪ふ頭コンテナ置き場》(8/8)



「どうして、って聞かれてもなぁ。むしろ、私からしたら、作らないほうがヘンだよ。前世を思い出したのは最近だから、まみくんの気持ちも理解できないわけじゃないけど」


 うーん、と白河さんは首をひねった。なんて言ったらいいのかな、なんてほわほわした顔で悩み始めたので、僕は自分が白河さんに昨日の晩飯のメニューを聞いたのだっけと、そんな気さえした。


「あのね。私達の一族は、自然と同一化するのが悲願だったの。外魂格を見ればわかるよね? 魔力によって変質した、人間と植物と菌類のキメラだったの。私は、一族で一番の巫女だった」


 白河さんは困ったように眉を寄せた。


「私達が神の賜りと呼ぶ植物やキノコ類から生成、結晶化した薬液を体内に取り込み、数日間にわたる儀式によって自然界に住まう神々と交信するの。私達には世界の真理が、窓の向こう側が見えていたんだよ」


 前世の話だ。想像よりもぶっ飛んだ、違う世界の誰かの話。「だけどね」と白河さんはいつも通り、花の蕾がほころぶみたいにふわりと笑った。僕の困惑なんて、知ったことじゃないらしかった。


「去年、前世の記憶を取り戻したとき、十八年間の地球での記憶と照らし合わせて、気づいちゃったの。私達に見えていたのは、自然界でも神々でも世界の真理でもなんでもないって。魔力で強化されたメタンフェタミンが血液脳関門を通過して、大脳中枢神経系を過剰に刺激していただけだった。フェネチルアミンが見せる極彩色の風景を、神の世界だと錯覚していただけだったの。わかるでしょ?」


 わかるわけないだろ。どうして共感されると思うんだ?

 いつも通りの笑顔からこぼれる言葉の数々は、空気を振るわせて僕の耳に届いているはずだった。なのに、どうしてだろう。なぜだろう。僕には、その言葉たちが、からからと音を立てて床に落ちていく姿しか見えなかった。なぜ気づかなかったんだろう。一年前にはもう、白河さんはこうだったのだ。出会ったときには、すでに遅かった。気づこうと思えば、気づけたはずなのに。


「化学というものを知って、私は前世の五百年の祈りが、嘘になったような気がしたよ。私の世界が嘘だったと言われたみたいで。でも、同時に気づいたの。地球には神様がいないんだ、って」


 白河さんが僕に近づいて、柔らかい指で頬を撫でた。


「なにかあったらすぐ神様に祈るくせに、科学で神を否定する。自ら否定しながら、だけど、それでも神に縋りたいから、馬鹿みたいなことで争い合う。授業でやったとこだよね。まみくんは途中で出ていっちゃったけど。ID説、おぼえてる?」


 おぼえている。インテリジェント・デザイン説。『科学的に生物が進化してきたと見えるように、生物をデザインした何者かがいる』とする、唯一神を崇める宗派がダーウィンの進化論を呑み込むためにすがった屁理屈。


「神はいない。だけど、人々は神を求めている。その矛盾を、私なら解消できる。神を作ってあげられる。たかだが百年程度の命しか持たない人間を、五百年の祈りを積み重ねた私だけが、導いてあげられる。神々を破壊し、人類を否定し、ひとつ上の階梯へ連れて行ってあげられる。旅立ちを夢見る人々に、真なる旅路を提供できる」

「……もしかして、自分のこと神だって言ってる?」

「いいえ。私は神じゃない。だけど、神がどこにいるかは知っているの」


 白河さんは右手を拳銃の形にして、自分のこめかみに押し当てた。


「ここだよ、まみくん。神様はこの中にいるの。脳の奥、大脳中枢神経系に、神様はいるんだよ。気づいたの。どの世界かは関係ない。ヒト型生物にとって都合のいい神様は、いつだってここにしかいない。ドーパミンがもたらす多幸感だけが、私達を神様のいる場所へと導いてくれる」


 でも、それは。自分で言ったじゃないか。


「……それは妄想だよ。それは神様なんかじゃなくて、ただの妄想なんだよ」

「違うよ、まみくん。そして、その通りだよ、まみくん。――妄想こそが、神様なの。サイケデリックでエンセオジェンな脳の働きこそが、人類が追い求めるべき神様なんだよ」


 僕はもう、目の前の女がなにを言っているのか、わからなかった。ひとなのか、神なのかもわからない。あるいは悪魔なのかもしれないし、前世の記憶を取り戻したとうそぶくサイコな思想犯なのかもしれない。ひとつだけ確かなのは、これこそが白河さんを白河さん足らしめる、魂の根幹なのだということ。


「幻聴こそが神様なの。幻覚こそが神様なの。あるいはメタンフェタミンこそが、フェネチルアミンこそが、もっと多種多様な脳みその働きこそが、神様なの。すべての神様は、ずっとここにいたんだよ、ここに」


 ぐりぐりと、白河さんの指がこめかみに突きたてられる。彼女の整えられた爪の先端が、皮膚を裂いて真っ赤な血を垂れ流し始めた。


「人類は到達できるの。人体構造の内面、肉と骨に守られた神経の塊の中央に、神様は住んでいるの。それなら、会える。脳を刺激すれば、私達はいつでも神界の扉を開いて、神様に謁見できる」


 僕を捕らえる外魂格の触手が、ぎりぎりと四肢を締め付けてきて、骨が砕けそうなほど痛い。白河さんの興奮が反映されているようだった。


「おあつらえ向きに、私の継承術は【植物に祈りを込めて別のものにする魔法】だったから。地球にはネットがあって、植物に関する研究もたくさんあった。簡単だったよ。カナムグラっていう、ただの雑草に手を加えて、私が思い描く通りの植物……、地球にない魔法植物を作り出すのは。最初はね、ただトぶための植物を生成したつもりだったんだけど。使ってみると、意外な副作用があったの」


 意外な副作用? ……ああ、そうか。元銀行員のマサル。鈴鹿。二階で折り重なって倒れているいくつもの肉塊。転生者じゃないのに、魂を拡張されてしまったひとたち。


「散魂、だね」

「そう! 前世の記憶がない人間に種子の抽出液を飲ませると、魂が拡張されちゃうの! そして、原液の摂取量が一定値を超えると――、魂は自然へと還る。自然界との一体化を目指した私が、正しい信仰の形を掴んだ瞬間だったよ」


 白河さんはうっとりと頬を紅潮させた。


「ほんとうの意味で自然との一体化を為すの。脳内の神様と交信して、自然と一体化する。私の五百年ぶんの記憶と十九年間の人生は、ついに到達したの」


 ……なんて。なんて身勝手だ。果てたはずの憤りが、ふつふつと湧いてくる。何人殺したと思ってんだ? 僕は締め上げられたまま、言葉を絞り出す。


「それなら、ひとりで勝手にやってれば、よかっただろ。他人にポーションを飲ませる意味が、どこにあったんだよ? 二時間じっと外魂格を展開してれば、魂は勝手に拡散する。それでよかったじゃないか」

「言った通りだよ。神様を否定する。人類が信じる神様なんて、いないんだって、教えてあげる。そのうえで、ほんとうの神様を見せてあげる。脳みその中に住む、ほんとうの神様を――。そうして、旅立ちが来たる。順番が大事なの。私が一人で行っても意味ない、私の正しさを証明するんだから。私が旅立つのは全人類を送ったあと。巫女たる私の役割は、導くことだもん」

「……、そっか」


 僕は四肢の痛みとか、軋む視界とか、そういうものを一瞬だけ忘れた。

 ただ一言、目の前の女に言ってやらないと気が済まなかった。


「白河さんってさ。あたま、おかしいんだね」

「違うよ、まみくん。この地球上でただひとり、私だけが正気なの」


 白河さんはボストンバッグからミニサイズのペットボトルを取りだした。中には紫色の液体が封じ込められている。たっぷりと、当然ながら混ぜ物などないであろう、原液が。


「転生者でも、原液を飲めば強制的に外魂格が発動するんだー。飲む量にもよるけれど、一本ぶん飲み乾せば、三時間は外魂格が止まらなくなる」


 触手が僕の顎と口を固定し、こじ開ける。


「……抵抗しないの? 別にちゅーしようとしてるわけじゃないよ? それとも、もしかして――、そもそも殺されに来たつもりだったとか? すずちゃんのこと、負い目だと思ってるの?」


 くすくすと笑って、ボトルの蓋を回す。


「どちらにせよ、旅立ちを受け入れてくれるなら、私にとっては嬉しいことだよ。ようこそ、まみくん。そして、さようなら」


 苦みのある液体が僕の喉に流し込まれた。僕の意志とは無関係に外魂格が展開していく。休息に意識が混濁し始める。極彩色に染まる景色の中で、白河さんは最後まで笑っていた。


「大丈夫だよ、まみくん。すぐにくろちゃんもそっちに行くからね」


 その言葉が、最後に耳にこびりついた。



※※※あとがき※※※

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