《前期日程五日目・深夜一時・大阪ふ頭コンテナ置き場》(4/8)
翌日、新学期六日目の朝。
僕がめちゃくちゃ重たい足を引きずってなんとか大学に行き、一時間目の大講義室に入ると、いちばん後ろの席でパーカー姿の女が机に突っ伏して爆睡していた。黒澤さんだ。昨日は……、というか、ほとんど今朝までワンさんの興信所でスマホの解析結果を確認していたからだろう。眠いのも仕方がない。
メッセージやチャットアプリは、履歴がすべて消されていて、追いかけようがなかった。ワンさんも、アプリ運営会社のサーバーまでは洗えない。だから、解析の中心はGPS履歴になった。GPS履歴に刻まれた動線のどこかで、あのライダースーツからスマート・ポーションを受け取っていたはずだ。
元銀行員のマサル氏はこの一年間、大阪から一度も出ていなかった。心斎橋の自宅が中心の生活だったようだけれど、たまに梅田や北新地にGPSがマークされていた。椿さんの言っていた『あの子』と知り合ったのも、仕事を辞めてからか。若い子と遊び倒していたようだ。
この先の調査は、GPS履歴と照らし合わせながら、足を使って現場を辿るしかない。一年分となると、さすがに多すぎる。ワンさんの興信所に頼った。またしても連絡待ちだ。
黒澤さんのとなりに座って、僕も瞳を閉じる。
体を揺すられて、はっとまぶたを開くと、黒澤さんが苦笑していた。
「ねぼすけめ。ちゃんと授業は聞いたほうがいいぞ」
黒澤さんに言われたくないと思いつつ顔を上げると、教授が講義室から出ていくところだった。え? あれ?
「……もしかして僕、この時間まるまる寝てた?」
「レジュメをコピーするなら特別価格だ。三百円でいいぞ」
「黒澤さん、わざと起こさなかったでしょ」
「……。いや? 違うが」
なんだ今の間は。ため息を吐きつつ、上体を起こす。背骨がぱきぱき鳴る。
「どうせ初回だし、講義全体の流れと触りだけでしょ。三百円は払わない。僕、二時間目に講義ないから食堂行くけど、黒澤さんは?」
「プログラミング基礎の講義がある」
「プログラミング? 黒澤さん、パソコン持ってないくせに、そういうの興味あったの?」
首をかしげると、黒澤さんは猛禽の瞳に澄んだ光を湛えて、まっすぐ言い放った。
「これからは、AIビジネスが熱いらしいからな。知識はあって困らんだろう」
ああ、そう……。インターネットの海に沈む巨大な金脈に思いを馳せる黒澤さんを見送って食堂に行くと、衛藤がいつもの隅っこのテーブル席に座っていた。ゲーム機もニッパーも持たず、テーブルの上にはスマホを置いている。とても難しい顔で、剣呑な雰囲気だ。
「衛藤。どしたの?」
「おや、狸穴氏。ちょうどよかった。いや実は、一時間目はスポ科だったのですが、鈴鹿氏が来なかったのですよ」
スポ科? ええと、スポーツ科学か。体育系教職志望の必須科目だっけ。
「サボりじゃないの? 鈴鹿だし」
「いや、鈴鹿氏は一年次から体育の教職だけは真面目に受けているのですよ。不思議に思って連絡したら『黒澤氏と狸穴氏は登校しているか』と聞かれまして」
「僕と黒澤さんが? 黒澤さんならいま、プログラミングの講義受けてるけど」
「そうですか」
衛藤は首をかしげながらスマホを手に持って、僕をじっと見た。
「狸穴氏、鈴鹿氏と喧嘩したりなどは、しておりますまい?」
「してないよ。……たぶん。思い当たる節はない」
「では、黒澤氏のほうですかな。いやしかし、うーむ」
衛藤はあごをさすって、スマホ画面を太い指で操作した。
「いちおう、鈴鹿氏には二人とも来ているって伝えておきますが。ただの確認なら、自分ではなく、ふたりに直接聞くでしょう。少々、不穏ですな」
「鈴鹿だし。僕らにいたずらでも企んでるんじゃない?」
言うと、衛藤が眉をひそめて、小声になった。
「その、実はですね。自分、黒澤氏に頼まれて、知り合いのイベサーの名簿を渡したじゃないですか」
「うん。『はるまげどん』のやつね」
「おもしろ半分で、知り合いの名前でもないかと思って、見ていたのですが……」
ダメだろ、それは。呆れる僕に、衛藤は困り顔で言った。
「その中に、鈴鹿氏の名前があったのです」
……え?
「鈴鹿の名前が……、あった? 名簿に?」
脳みそが活動を止まる。待て待て待て。どういうこと? 僕の混乱をよそに、衛藤が続ける。
「併記されていた電話番号も一致しましたので、間違いなく本人です。インカレサークルの意味も知らないくせに、自分は入っていたわけですな。興信所の仕事で手に入れた名簿に鈴鹿氏の名前があるというのは、いささか不安でして」
「いや。僕、昨日の夜は鈴鹿と会ってな――」
言いかけて、違和感に引っかかった。昨日の夜、僕と黒澤さんはワンさんに呼ばれて立体駐車場で売人どもを蹴散らしたあと、そのまま大阪ふ頭に行った。鈴鹿と会う時間なんてなかった。それは間違いない。けれど。けれど、だ。
鈴鹿のほうが、僕らを見ていた可能性はあるんじゃないか?
「……ごめん、衛藤。ちょっと行くとこできた」
「狸穴氏、ちょっと待っ――」
衛藤の言葉を聞き終わらず、食堂を飛び出した。ポケットからスマホを取り出して、黒澤さんに「もしかしたら鈴鹿が立駐にいたかもしれない」とメッセージを作成して、だけど送信ボタンは押せなかった。だって、黒澤さんはリストを見たはずだ。僕と違って、しっかりと。いまならわかる。鈴鹿の名前があることに気づいたから、僕に「手を引け」と言ったんだ。
僕に覚悟がないのを知っていたから。そして……、黒澤さんには、覚悟がある。
たとえだれが相手であろうと、クエストを全うする覚悟が。
アプリを横にスワイプして保留。昨日、立体駐車場で撮影した動画をちょとずつ一時停止しながら見る。違う。こいつは違う。こいつも違う。ボストンバッグを持ったゾンビ顔の女は体格が似ている。服装も見たことが――、いや、気のせいだ。そうに決まっている。
まだわからない。確定じゃない。黒澤さんに知らせるのは、まだ早い。伝える必要はない。なかば自分に言い聞かせるように念じながら正門前まで駆けて、ちょうど登校してきた白河さんと鉢合わせた。
「あ、まみくん――」
笑顔で手を挙げた白河さんが、僕の顔を見て「わっ」と声を上げた。
「どしたのっ、まみくんっ? めちゃ怖い顔してるよっ?」
「ごめん、白河さん。また今度っ!」
白河さんに手を合わせて謝り、すれちがう。
鈴鹿の借りている安いマンションは、大学から近いし、何度か行ったことがある。たこ焼きパーティーもしたし、格ゲー大会もやった。ひいこら走ってマンションまで辿り着き、階段を二段飛ばしで駆け上がる。三回の端っこのワンルーム。
息を切らして、ドアベルに指を叩きつける。……返答がない。金属製のドアに耳を当てて、中の様子を探る。物音がする。居留守か。脳裏によぎるのは、銀行員のうつろな顔。夜の空に散る緑色の光たち。背筋が凍る。もしかして。まさか。
……鈴鹿がポーションに手を出していたら?
そんなわけがないと言い切れたらいいのに、僕の脳内には「一回くらい試してみよかな」と軽々しく手を出す鈴鹿もいれば、「ぜったいあかんて!」と売人にノーを突き付ける鈴鹿もいて、両方の可能性を否定できなかった。
左右を見て、だれもいないことを確認。僕は外魂格を展開した。バレたら厳罰……、どころか犯罪だ。確実に捕まる。でも、やるしかない。
ポケットに手をやって、小さな金色の針金と棒でできた、ねじくれた塊を取り出す。ドアの鍵穴に押し当てれば、針金たちがガチャガチャ音を立ててひとりでに鍵穴の内部へと侵入していく。魔法のピッキングツールだ。地球の鍵穴ならば、なんでも開けられる。五秒もせずにかちゃりと音を立てて鍵が開き、僕は室内へと踏み込んだ。ごうごうと鳴る換気扇の音。やに臭くて狭いワンルームの床には、脱ぎっぱなしの服やら講義のレジュメやらが散乱している。
それから、部屋の角に背中をつけて床に座り込み、目を丸くしている上下スウェット姿の鈴鹿もいた。
「……なんで? 閉めてたはずやのに。て、ていうか狸穴くんっ、えっ、わっ、なにっ?」
彼女は床に散らばるものを両手でかき集めながら立ち上がろうとして、ピンク色の下着らしきものに足を取られて盛大にころんだ。せっかく集めたごみも、また床の上に散らばった。
「ふぎゃっ」
と悲鳴をあげる。うつろな顔ではない。疲れた顔ではあるけれど。
よかった。やっぱり、僕の考えすぎだったのだ。
「ごめん、いきなり。その、ちょっと様子がおかしいって聞いたから、なにかあったのかと思って。ほんとうにごめん」
「え、あ、いやいいからっ、とりあえず一回出てってくれへんっ?」
ものすごく怪しい足取りで立ち上がろうとしながら鈴鹿は言って、また床のものをかき集めようと両手を投げ出す。下着とかあるもんな、そりゃそうか。
「ほんとうにごめん――」
そう言って、僕は踵を返そうとした。気づけたのは、ほんの小さな違和感だった。視界の端っこに、レジュメでも布でもないものがあって、それがやけに目を引いた。
「……おい」
一瞬で喉がからからに干上がった。上ずった声で、震える手で、僕は床の上のそれを指さす。
ペットボトルだ。小さな。そして、その半分ほどまで、紫色の液体が入っている。
「なんで……、なんで持ってんだよ、それ」
※※※あとがき※※※
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