《前期日程五日目・深夜一時・大阪ふ頭コンテナ置き場》(2/8)


 ワンさんが目を細めて、血まみれの両手をハンカチで拭き始めた。なにのんびりしてんだ、早く逃げないと。そう思っていると、やくざ探偵は目をひん剥いて笑った。


「むしろ好都合や。こっちは武闘派の転生者が四人もおる。ボクもドス持っとる。迎え撃つで」

「おい、ワン。荒事は――」

「わかっとる。殺さへん。取り押さえるだけや。狸穴くん、ちょっと血だらけで汚いけど、こん中に隠れとき。外でなにが起こっても気にせんと、じぃっとしとくんやで」


 やはり穏やかに言って、ワンさんは床に転がるものを顎でしゃくった。


「コレも、暴れたりできんやろ。両手足の腱切ってあるし、気ィ失ってるし」


 転がる男のほうは、あまりに見ないようにする。

 黒澤さんは壁に立てかけていた金属バットを手に持って、首をごきりと鳴らした。


「黒澤さん、その……、気を付けて」

「ああ。心遣い、感謝する」


 二人が出ていって、コンテナの扉が閉められた。天井から吊るされた小さなLEDライトの灯りだけが、コンテナの床を照らしている。真っ赤な血の跡とか、折れて飛んだ奥歯とか、どこから零れ落ちたのかわからない肉の塊とかが白い光を反射して、てらてらと光っている。すっぱい匂いが鼻を衝く。あまり長居はしたくない。


 ややあって、怒声とか謎の轟音とかが聞こえて来た。僕はうずくまって頭を抱え、その声をなるべく聞かないように、別のことを頭に思い浮かべる。

 ああ、そうだ。前も、こんなことがあったな。前世だ。あのときは……。あのとき、僕はどうしたんだっけ。ぐるぐる、ぐるぐる。記憶がめぐる。

 血の臭いがするコンテナで、僕はぎゅっと目をつぶった。


 気が付くと、怒号は止んでいた。コンテナの扉が開けられる。黒澤さんたちが黒いやつをぶっ倒したのだろう。純粋な喧嘩の強さなら、黒澤さんは転生者の中でもぴか一だし。


「……あ」


 だから、逆光の中に、黒いライダースーツの人影が立っていたとき、ほんとうに絶望した。そいつの外魂格は二メートル半ほどの大きさの、キノコみたいだった。魔女の帽子みたいに広がった傘と、人型の本体の下部から、触手の集合体がうねうねと蠢いている。ワンさんの部下のバイクを潰したのは、継承術ではなかった。

 触手。シンプルに規格外の強度を持つ人外の外魂格――。


 開いた扉の向こう側で、ふ頭のライトに照らされた黒澤さんたちが倒れている。いや、縛り上げられている――、コイツの伸ばした触手が、強靭な外魂格が、荒事向きの転生者四人を、完全に押さえつけているらしかった。


 ライダースーツはへたりこむ僕を一瞥すると、そのままコンテナの奥へ向かった。マサル氏を助けに来たのか。小さなペットボトルを取り出して、マサル氏の鼻に近づける。


「……おお……、来てくだひゃったの、ですか……」


 その匂いを嗅いで、マサル氏はすぐに目を覚ました。ぐしゃぐしゃの顔でライダースーツを見上げる。ライダースーツはマサルの耳元にヘルメットを近づけた。


「なにか、言いましたか」


 妙にくぐもった、明らかに機械で加工された声。


「い、いいえッ!」


 マサルは首をぐりぐり振って涙と鼻水を散らかす


「なにも、なにも言っていまひぇんッ」

「ポーションは? ボストンバッグは、どこです」

「わかり、まひぇん。で、すが。取られたわけでは、ないよう、でひゅ」

「そうですか。……準備は?」

「旅立ちの準備はできていまひゅ! すぐにでも!」


 男はぶんぶん首を縦に振りたくって、芋虫みたいに蠢く。


「では、いまがそのときです」

「はい……! ぜひに! ぜひに!」


 ライダースーツはうなずいて、ボトルをマサル氏の口につけた。中身を流し込む。唇の端から紫色の液体を垂れ流しながら、マサル氏は血まみれの顔を恍惚の色に染めて笑った。


「さようなら、同志。どうぞ、楽園をお楽しみください」

「ああ……! さようなら! さようなら! さようなら――」


 そこから先の光景は、あまりにもおぞましく、吐き気がするほど美しかった。

 最初に、マサル氏の外魂格が展開された。霞のような外魂格は、さっきも見た。透き通ったエメラルド色の魂が、欠片になって空中に溶けていく。前世の型を思い出せないから、魂の粒子たちは迷子みたいにばらばらに散っていくしかない。

 戻るべき体を離れて。帰るべき場所を忘れて。


「おい、そんな――」


 思わず声をかけてしまった。だって、このままじゃ。


「なにやってんだよ、死んじゃうだろうが! 魂が拡散して戻れなくなるッ! やめろ、今すぐ外魂格を解け!」


 マサル氏は僕を見さえしなかった。うわごとのように「さようなら」と繰り返すだけ。紫煙にも似た魂の欠片たちが、空気に溶けていってしまう。ライダースーツが僕に振り返って、口元で指を一本立てた。静かにしろ、ということらしい。知ったことか。


「死にたいのかよ、おい、やめろって――」


 立ち上がって近づこうとしたけれど、細長いオーラの触手が鋭く僕に襲い掛かって、絡みついた。瞬きの間に僕の体は床に叩きつけられる。血の味が、口の中に広がった。

 ライダースーツが両手を組んで、祈るようなポーズを取る。こちらを見もせずに、ただの触手の一本だけで、僕はたやすく無力化されてしまった。


 しばらくして、男の体から、きらきらした霞は上がらなくなった。

 もういないのだ。はっきりとわかる。

 男の肉体は、まだ鼓動している。血が通っている。けれど、もう、そこにはだれもいない。空虚な瞳が、恍惚の表情の上に乗っかっている。ライダースーツは立ち上がり、床に転がる僕を見て、首をゆっくり横に振った。なんだ。どういう意味だ?


「……スマホはどこ?」


 機械加工されたつぶやきが、僕に向けての質問だと気づくのに、五秒くらいかかった。


「この人の、スマホ」


 マサル氏を指さして、機械の声が響く。ライダースーツは、ポケットからスマホを取り出し、ピンク色のアプリを起動して僕に見せた。画面に映る大阪湾の地図に、赤い点がまばゆく点滅している。


「どこ?」


 そこでようやく、証拠隠滅だ、と悟る。コイツはマサル氏を消し、スマホを回収して、自分に繋がる情報を断つ気だ。『はるまげどん』のリストがあるとはいえ、無関係な学生だらけの、本丸から遠い情報源だ。ここでスマホを取られたら、捜査はほとんど振出しに戻ってしまう。

 で、あれば。僕に、できることは。そのとき、僕は悪いことを閃いた。閃いてしまった。


「……ここにはないよ」


 ある。ポケットにつっこんだままの手に、冷たい板が触れている。二枚。どっちが自分のもので、どっちがマサル氏のものかはわからない。カバーぐらいつけておけばよかった。


「うそ」

「ないって。ほんとうだよ」


 言いながら、僕は外魂格を展開した。前世の最期が十五歳のガキだったことを、いまだけは感謝する。小さくて出力もほとんどない外魂格は、けれど、体外に飛び出さない。


 だから、継承術が使える。外魂格を展開したと、気づかれないままに。


 いけるか。背中にびっしょりと汗が広がっていくのを感じる。これは、賭けだ。

 不思議と、殺される気はしなかった。ワンさんから感じたような、燃え滾る氷のような殺気を、コイツからは微塵も感じなかったからかもしれない。……それはもちろん、僕の気のせいかもしれないけれど、でも、もし生きてこの窮地を脱したとき、スマホさえ残っていれば、捜査の糸はぎりぎり繋がる。

 もとより、ちっぽけな意地だけでここまで付いて来た身の上だ。

 だったら、さあ。今こそ、スマホより役に立つと証明してみせろよ、狸穴蓮


「僕は、持っていない」

「外のひとたちも持っていなかった。このひともそう。だから、キミが持っているはず」


 GPSを追ってきたのだから、だれも持っていないわけがない――、その通りだ。


「ポケットでもなんでも探ってみればいい。外の人にもそうしたんでしょ?」


 ライダースーツはうなずき、自分のスマホをポケットにしまった。一瞬、意識が僕から逸れる。いまだ。継承術を発動する。二台あるスマホのうち、どちらがどちらか、わからない。仕方ない。両方、隠そう。ライダースーツが歩み寄ってくる間に、こっそりと外魂格を解除する。僕の中で、僕自身も何色か知らないオーラが魂の内側に還っていく。


 ライダースーツは膝を付いて、僕の体を乱暴にまさぐった。外魂格の大きさのせいで、気づかなかったけれど、コイツ自身の大きさはさほどでもない。僕より小さくて細い、か? ややあって、ライダースーツは不満そうに手を離した。


「……なにもない。どこ?」

「言ったろ? どこにもない」

「きみのスマホもない。どうして? どこに隠したの?」


 黙っていると、ライダースーツは自分のスマホを取り出して、「うそ」と呻いた。理由はわかる。地図上の点滅が、消えているのだろう。


「さっきまでは追跡できてた。外のひとの持ち物も全部見たし、身動きがとれるはずもない。あとはキミだけ。電源を消す余裕なんかなかったはず。それなのに――」

「さあ。僕みたいな下っ端にはわかんないけど、これから沈める予定だったひとのスマホだもん。情報だけ抜き出して、もう海に投げ捨てたんじゃない? いまになって浸水して、GPSが壊れたとか」

「でも、それじゃ――」


 ライダースーツは少し声を張ってから、首を横に振った。


「――わかった。ないなら、いい。でも覚悟して。旅立ちを邪魔する気なら、次はもう縛るだけじゃ済まないから」


 そう言い残して、コンテナの入り口から歩いて出ていった。しばらく砂利の上を歩く足音が聞こえていた。それすらも聞こえなくなって、十分ほどしただろうか。僕の体を締めあげていた触手が、急に力を失った。外魂格の範囲を離れたらしい。



※※※あとがき※※※

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