《前期日程五日目・深夜一時・大阪ふ頭コンテナ置き場》(1/8)
大学前期日程五日目の夜。僕は大阪ふ頭で潮風を感じていた。
僕らは立体駐車場で、ポーションの取引現場を押さえることに成功した。ワンさんが、例の『パパ』の身元を洗ったからだ。携帯電話番号があるだけで、その人の素性のおおよそすべてを丸裸にできる……、らしい。情報社会の恐ろしさ。
ともあれ、緊急クエストで初めての明確な進捗だった。デコボコした黒いコンテナの床には、黒澤さんにボコボコにされた男が、芋虫みたいに転がっている。『パパ』だ。
「狸穴くんからメールでもらった名簿にな、黒澤さんがおさえた『パパ』……マサル氏の番号もあったんや。『はるまげどん』のOBやったんやと。卒業してからも素行不良は治らず、イベントに顔出しては若いオネエチャンに手ぇ出してたらしい」
ワンさんはそう説明してくれた。
「こら怪しいなぁ思うて、若いのに張り付かせといたら、案の定や。デカいボストン持って、家を出よった」
そこで、僕に連絡があって。黒澤さんと共に現場に急行し……、マサル氏を確保した。ワンさんが用意したバンで大阪湾ふ頭まで移動して、現在に至る。
「ここな、海岸やろ? すぐに沈められるねん。やくざのホットスポットやで」
そんな情報知りたくなかった。
「で、コンテナの色が黒なんは血痕が目立ちにくいんと、黒ペンキが手に入れやすいから」
「そんな情報知りたくなかった!」
「ボクらのやり方は血ィいっぱい出るからなぁ」
いっそ、のんきに聞こえるくらいのトーンでワンさんは言った。
「ほんまに外魂格展開しとったんか?」
「……出力も高そうでした。間違いないです」
「ほかのんは逃げたんか。まあええ、ひとりおればあとは芋づる式や。『はるまげどん』のリストもあるしな」
横目で黒澤さんを見ると、真剣な顔でスマホを触っている。自分のものではない。
「ゲームアプリ、SNS、電子新聞、出会い系チャットツール……、連絡はチャットツールだな。本名でパパ活してたらしい。ワン、こいつは暴行に参加していたと思うか?」
ワンさんは男の足元を見て、うなずいた。
「靴見てみい」
ワンさんの穏やかな語り口から、あの日と同じような殺気を感じて体がすくむ。
マサルの革靴には、黒い染みみたいなものがこびりついていた。……血だ。
「本革のレザーソールか。見栄えが必要な仕事で履く靴だな。こいつの職業は?」
「銀行員や。銀行員やった、やな。このボケカスは半年前に辞めとる。そんでも仕事用の靴履いて、スーツ着て外出て、やることがパパ活とクスリとリンチや。血ぃ染みついた靴で歩き回って、ドアホが」
殺したくてたまらない、と気配からにじみ出ている。
「黒澤さん、スマホにはなんか珍しいもん入ってないんか?」
「とくに見当たらんな。恋人用GPS追跡アプリくらいか。SNSを見る限り、浮気が原因で本命の恋人とは一年以上前に別れている。カップルで服薬していたわけではないらしい」
奇しくも僕と黒澤さんと白河さんが本日入れたアプリと同じだった。恋人監視業界では最大手らしい。どんな業界だ。
「僕も見せてもらっていい?」
「これもいちおう証拠だ、手袋をして触れ」
薄い手袋をして受け取ったスマホは、最新鋭のもの。写真フォルダを開くと、パパ活娘の隠し撮りが満載だった。
「うわ、最悪だなコイツ」
思わず縛られて転がる男に目を向けると、ばっちり目が合った。びっくりして、喉奥からひゅっと声が漏れてしまう。
「おう、オドレ起きたか」
「ワン、約束しただろう。待て」
黒澤さんは短くそういって、静かに外魂格を展開した。
「話が聞きたい。スマート・ポーション……、あの紫色の液体の出元は、誰だ? あれはこの世に、少なくとも地球に存在していいものではない。話してくれたら、解放する」
しゃがみこんで男の口のガムテープを剥がすと、マサル氏はぜえぜえ荒い呼吸をしながら血走った目で黒澤さんを睨みつける。
「暴行、拉致監禁、および深刻な人権侵害だ! 訴えてやるからな! 警察を呼べ!」
「そうか。大人しく話してくれないか。なにせ、ああ――、私の能力は【治癒】でな? 肉体依存の傷であれば、たいていは治してしまえる。だから、まあ、存分に苦しめ」
「……なにを言っている?」
黒澤さんは答えず、コンテナの端っこに背中をつけてもたれかかった。彼女の猛禽の瞳が、いつもより鋭く尖っている。いらついているのだ、とわかる。これから起こることに。そして、これからの自分の役割に。
「ワン、そいつが外魂格を展開したら止めに入る」
「それ以外は?」
「死ぬ前に言え。あるいは死んだ直後に言え。心臓の鼓動が止まっても、五分以内なら治せる」
「さよか」
ワンさんはマサル氏の横にしゃがみ込むと、おもむろに懐から大ぶりのナイフを取り出した。そしてごく普通に、なんのためらいもなく、ぎらつく刃が男の腹に突き出された。どす、と鈍い音がして、腹部からじわりと赤いものが広がる。
「ぐぁ……っ」
苦悶の声に、僕は目を逸らすことができなかった。温かい液体が、高級そうなスーツを染めていく。赤だ。赤。血の色。血液。
「狸穴くん、外ォ出とき。こっから先、キミに出番はない」
ワンさんが、穏やかな笑顔で言った。
「わ、ワン……さん?」
「キミはカタギやろ。中で起こることは気にせんと、外で見張りやっといてくれんか。興信所の裏方衆も連れて来とるけど、目は多いほうがありがたいねん」
それは、アウトローなりの気遣いだったのだろう。僕はコンテナの扉を開けて、ひとりだけ外に出た。大阪の海沿いは、濁った街と水の匂いで充満している。
こちらに会釈する裏方衆……、ワンさんの興信所に所属する隠れ転生者が、三人いた。彼らもまた、コンテナの中でなにが起こっているのか知っているはずだ。
大阪のアンダーグラウンド。グレーゾーンを踏み抜いてブラックの領域。ダーティーを過ぎ去ってダークな場所。脳がガンガン揺れる。昼間は白河さんたちと遊んで、あんなに楽しかったのに。いまは奇妙な興奮と酩酊感と吐き気とで頭が割れそうだった。
「大丈夫スか、狸穴さん。よかったらコレどうぞ」
裏方衆のひとりが、スポドリのボトルを差し出してきた。
「しんどかったら吐くのもアリっすよ。最初はみんなそんなんです」
「そうそう。日本に慣れると、血とか殺意って刺激がやばいっすからね」
いい人たちなのだな、とわかる。そして、どうしようもなく暴力的なのだな、とも。
「……みなさんは、慣れているんですか? こういうの」
裏方衆は顔を見合わせて、苦笑した。
「大阪って、意外と大変な場所なんすよ。それに、おれらは前世が前世だから」
前世が? 首をかしげていると、彼らはこともなげに言った。
「軍人ですよ。ソイツは傭兵だけど」
「殺すとか殺されるとか、日常茶飯事だったんで」
「思い出すのが遅かったから、ギャップも強くて。最初はめちゃくちゃ混乱しましたけどね。その辺のフリーターの脳に、いきなり前世の傭兵の記憶が湧いたんですから」
少し興味深い話だと思った。……ただ、コンテナの中から意識を逸らしたかっただけかもしれない。だから、彼らにこんな話を振った。
「黒幕は、いつごろ思い出したんでしょうね」
「おれらは、それこそ一年前だと思ってるっす。社長もたぶんそうだって」
社長というのはワンさんのことだ。
「狡猾に見えて大胆……、つか、雑なんすよね。監視カメラの前でボコったり、安っぽい被り物だけで服装は普段着から変えてなかったり。ギャップの強さで、判断力がバグってる」
「そうそう。細かいところに気が回ってない。顔だけ隠しても今の警察の前じゃ無駄ですから。繊維一本でも残ってりゃ、科学捜査で犯人まで辿り着ける時代ですよ」
地道な証拠集めと科学的な手法で、犯人が割り出せてしまう。だとすれば、暴行自体もかなり衝動的だったのかも。知られたからとっさに殺した、ぐらいの感覚だったのか。いや、でもそれで集団リンチまでするか? 殺すだけなら、リンチは必要ない。なにか理由があったのか?
「クスリの効き目のわりに、ぜんぶ手売りで大規模取引がないんスよ。やくざとも海外系のバイヤーとも手を組んでない。行き当たりばったり感があるんス。飲むだけで強くなれるクスリなんて、それこそウラで引く手あまたでしょうに」
彼らが語るプロファイリングは、なるほど、探偵会社だけあって説得力があった。
「マトリや公安警察が追えていないのは、そもそも昔からあるドラッグ販売とは全く別のルートで開拓されたからなんすよ」
「金のある著名人に高額で斡旋するわけでも、SNSや裏ネットで輸入品を通販するわけでもない。そもそも輸入品ですらない、自家製の薬物を草の根で販売しているだけ。だから、大阪以外ではほとんど見かけない。警察も既存の情報網が役に立たなくて困ってる」
いやなアットホームさだな、と思う。それこそサークル活動みたいなカジュアルさだ。
「だから、社長はそれこそ首謀者は大学生じゃないかって言ってて、それは――、と」
裏方衆のひとりが言葉を切った。スマホの着信音が鳴り響いたからだ。僕のものではない。けれど、音は僕の手元から鳴った
「それ、たしか証拠品の」
「え? あ、ホントだ」
握りしめたままだった、マサル氏のスマホが震えている。電話だった。非通知設定。なんだろう。出るわけにもいかないし――、と思っていたら、スリーコールもしないうちに鳴りやんだ。
関係者からの電話か? 首をかしげていると、ふと思い出す。昼間の会話だ。
GPSアプリを用いて、浮気中の恋人を探し出すときのやり方。画面を見る。ピンク色のアイコンが目に痛い。地図上で、おおまかな場所は特定できるアプリだ。個人利用のGPSアプリの精度はさほど高くない。もし、このスマホを追いかけている人間がいても、広いコンテナ置き場だ。
スマホがどのコンテナにあるかまでは、わからない――。
ぞわり、と総毛だった。
「まずい……っ!」
慌ててコンテナのドアに手をかけて、開く。濃い血の臭いが顔を叩いて、吐きそうになる。
「おい、狸穴蓮。まだ終わっていない、開けるな――」
「GPSアプリだ、黒澤さんッ! だれかがこの場所を掴んでる、あの黒いやつかもっ」
※※※あとがき※※※
カクヨムコン参加中です。
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