《前期日程四日目・午前九時・講義室2-B》(3/4)


 その後、講義そっちのけで雑談と家具集めにいそしんだ自堕落学生四人は、昼からはそれぞれの教室へ向かった。ただでさえ眠たい頭に、フランス語の講義内容はまったく頭に入ってこなかった。


 黒澤さんから渡された名簿のデータは、もうワンさんに送信してある。ずらりと並んだ名前や大学名や電話番号を勝手に見るのはなんだか忍びなくて、中身は確認しなかった。


 ……黒澤さんに「知り合いがいるかもしれないぞ」と脅されたから、知るのを恐ろしかったのもある。例の『パパ』の情報については、ワンさんからの連絡はまだない。気になって、つい何度もスマホを確認してしまう。


『そこのキミ、スマホをテーブルに出さないでください』


 そして、先生にマイクで怒られた。すみませんと頭を下げ、ポケットにスマホを突っ込むと、硬いものに手が当たる。引っ張り出す。アニメキャラが彫り込まれたジッポライターと黄色いたばこのパッケージ。ため息を吐いて、その二つをテーブルに並べてみる。連絡を待つしかない身がもどかしい。


 ……もどかしいといえば、白河さんの態度だ。あれはいったいどういうことなのだろう。いや、客観的に見れば、その、悪くない態度だと思う。黒澤さんと僕がくっついたかもしれないと、僕にひそかな好意を寄せていた白河さんがやきもちを妬いているように見える。執拗に「付き合っているのかいないのか」を確認したのは、そのせいだったと。


 素直に喜んでいいはずが、なにかが引っかかる。鈴鹿や衛藤は茶化していたけれど、白河さんが最後に見せたアンニュイな表情は、嫉妬や焦燥じゃない気がする。

 衛藤も衛藤だ、あの名簿の出所が衛藤だったなんて。待てよ? よもや、あいつがスマート・ポーションにかかわっているなんてことは、ない……よな?


『あー、そこのキミ。今すぐテーブルの上のたばこを持って、喫煙室にでも行きなさい』


 マイク越しに告げられて、はっとする。恐る恐る顔を追上げると、先生が真顔で教室のドアを指さしていた。言い訳のしようもなく、教室を追い出された僕である。

 次の講義までどうやって時間を潰すか悩んでいると、ポケットに押し込んだスマホがぶるぶる震えだす。もしやワンさんかと思って画面を見ると、真田さんだった。


『狸穴さん、昨日のクエスト進行報告書、まだ出していませんよね? どうなっていますか?』


 あ。


「え、ええと、その、すいません。忘れていました……」

『私は東京にいて確認できませんから、受付に届けておいてください。当たり前ですが、黒澤さんの報告書と齟齬があった場合、再提出になりますので、ご注意を』


 F対を納得させるために、報告書はちゃんと書く必要がある。ただし内容は虚実織り交ぜて。

 まったくもってめんどうくさい儀式だな、と思わずため息が漏れる。


『報告書なんてはじめて書くと思うので、内容が多少粗くてもお目こぼしします。ただ、捜査開始日と方針は報告していただきたいので、初日は絶対に出してもらわないと困るんですよ。本日の夕方五時までにお願いします』

「えっ? 五時っ? は、早くないですか……?」


 あと三時間もない。黒澤さんに報告書の内容を聞いて、すり合わせて、日本橋のギルドまで行って……、時間が足りるかどうか、微妙なラインだ。一日くらい締め切り伸びないかな、と聞いてみると、真田さんは電話越しでもわかるくらいフラットな口調になった。


『F対の職員もいちおう公務員ですから。夕方五時が終業です。まさか、狸穴さんまで私に残業させるつもりですか? 二十八歳、恋人無し、仕事一筋残業まみれ、スマホの小さな画面で見る恋愛ドラマを肴にレモンサワーを飲むのが唯一の趣味である私に』

「すいません、ほんとうにごめんなさい、いますぐ書き始めます……」

『もし間に合わなかったら、次の酒の肴は狸穴さんにしますからね』


 ものすごく怖い捨て台詞を言われて、電話が切れた。

 そのまま黒澤さんのスマホにメッセージを打って、大学を後にする。講義はまだ二つあったけれど、もういいや。大学のパソコン室でF対の報告書を作るわけにもいかないし、家に帰ろう……。



 黒澤さんは昨日の夜にしっかり報告書を出していたらしく、わざわざ家まで来て、手書きの原本を見せてくれた。とうぜん丸写しはダメなので、情報をすり合わせつつ、ああでもないこうでもないとキーボードを叩く。


「すまない。私も合同クエストははじめてだから、完全に忘れていた。……一日に二回も貴様の家に来るとはな」

「僕のほうこそごめん。講義サボらせちゃって」

「どうせ後ろの席で寝ているだけだからな。かまわん」


 とはいえ、僕から確認したいことがない限り、黒澤さんは手持無沙汰だ。暇を持て余して、僕のゲーム機で家具を集め出した。こら、僕のデータを勝手に使うんじゃない。


「おい、狸穴蓮。このアイテムポーチというやつは、なぜこんなに大きな家具がいくつも入るのだ。物理法則は無視か」

「そりゃまあ、ゲームだからね」

「こんな便利な能力、現実にあれば最高なのだがな。そういう継承術を持つ転生者も、どこかにはいるかもしれんが」


 僕はなにも言わずに黙ってキーボードに集中した。もういい、勝手に遊んでいてくれ。

 そんなこんなで、報告書を書き上げて日本橋まで行って、ギルドに提出したのはほんとうに五時ぎりぎりだった。黒澤さんもついてきてくれた。報告書を受け取った受付のおじさんは、ふんふんと斜め読みして、僕らを見た。


「いろいろ書いてあるけど、大学生のつながりを生かした地道な聞き取り調査をおこなって、進展はなし、と。そういうことでいいんだね?」


 真顔で頷くと、おじさんは少し悲しそうな顔をした。


「狸穴くん、いちおう言っておくけれど、黒澤さんのやり方は身を切るやり方だよ。深くは聞かないし、おじさんも仕事を失いたくないから、言われても聞かないけどさ。もしグレーがブラックになったら、真田支部長はきみを捕まえなきゃいけなくなる」

「は、はあ……」

「だから、もう一度聞くけど。そういうことで、いいんだね?」


 あいまいにうなずくと、おじさんは報告書を丁寧にデスクにしまった。


「わかった、データに取り込んで、真田支部長に送信しておくよ。……気を付けるんだよ、ふたりともね」


 おじさんに挨拶して、僕らはギルドを出た。いつも通り、出入り口には力のない転生者たちがたむろして、鬱屈した空気をため込んでいる。

 帰り道をとぼとぼ歩いていると、寂れたコインランドリーの前で、黒澤さんが口を開いた。


「釈然としない顔だな、狸穴蓮」

「いやまあ、だって……、ねえ?」


 いままでは、F対の転生者への警戒もやむなしと思っていたけれど、ほんの一日で意識というやつは変わるものだ。だって、大半が若林先輩みたいな――失礼な言い方だけど――めちゃくちゃ弱い転生者なのだ。なんの肉体性能補正もなく、大したスキルも持たない人たち。


 そう考えると、ちょっと前世を思い出したくらいでテロリスト予備軍扱いされるのは、納得がいかない。生活や進路が生まれで左右され、制限されるのは差別そのものじゃないか。

 僕のそんな愚痴を聞いた黒澤さんは、褒めるでも馬鹿にするでもなく、静かに大阪のビルに沈む夕日を見上げた。


「そうだ。だが、差別して排他したくなるほどの危険も、転生者は孕んでいる。スマート・ポーションがそうだろう? 異世界の知識と技術が、明らかに社会をむしばんでいるではないか」


 思い違いかもしれないけれど、黒澤さんの横顔は少しだけ寂しそうだった。


「例えば、パンドラの箱。アレが転生具ではなく、転生者だったなら、どうする」

「どうする、って」


 質問の意味がわからなくて、首をかしげる。


「悪意を持ち、人々を支配しようとしたら? あるいは世界の滅亡を望んだら? 前世、信じた神と、地球の宗教との齟齬に耐えられず、暴挙に出た転生者もいる。警戒しないわけにはいかない。外魂格の強さとは、無関係にな」

「……それは、そうだけど」


 でも、なんとももどかしい。僕の歯がゆさを感じ取ったのだろう、黒澤さんは苦笑した。


「みんなわかっているさ。それは本人がなにをしたいかの問題で、なにができるかの問題ではない。ましてや、まともな継承術がないものの行動まで制限されるのはおかしいと。しかしな、狸穴蓮。それでは民衆を守れない。なにかあったとき、傷つくのは力なき普通の人々だ」


 黒澤さんはつぶやいた。


「より多くを救い、守る。そのためには必要なのは正論ではない。人々を天秤にかけられる、冷徹な意志だ。F対は、その意志を持っている。それだけの話だ」


 あまりにも真面目に語るので、僕はまたしても聞かなくていいことを聞いてしまう。


「……それは、黒澤さんの前世の経験? 祈祷師だったんだよね」


 彼女は目を細めて僕を見たけれど、黙ってなにも言わなかった。聞くんじゃなかった。


 ギルド近くの寮に帰る黒澤さんと別れて、ひとりで電車に乗ってからも「でも、それって結局、押し付けなんじゃないの?」とか考えてしまう。弱者に損をしろ、身を切れ、犠牲になれ……、と強いるのは、とても残酷なことなんじゃないのか。それはとても、優しくないやり方なんじゃないのか。

 ……悶々と悩んでみたけれど、電車から降りて、家に帰っても、答えは出なかった。



※※※あとがき※※※

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