《前期日程二日目・昼十三時過ぎ・大学食堂》(6/6)
ワンという男は、やくざには見えない格好をしていた。日向ぼっこする猫みたいな細い目と温和な表情、つるりと剃られた髭、整えられた黒の毛髪。三つ揃えのスーツはぴしっとしていて、時計は見るからに高級なブランドもの。どこぞの若社長だと言われても違和感はない。
「こんにちは、黒澤さん。それから狸穴くんは、はじめましてやね。ボクはワンて言います、しがない探偵ですわ」
「あ、はい、はじめまして、狸穴です……」
消え入りそうな声で挨拶する僕。
場所は南海難波駅近くのビルの地下にある、お高そうなバー。完全会員制で、しかも案内されたのは個室だった。バーって個室とかあるんだ。知らなかった。場違い感がすごい。
「おい、ワン。だれから狸穴の携帯の番号を知った? あのタイミングでわざわざ電話してきたあたり、どうせ監視していたのだろう」
「まずはちゃんと挨拶しぃ。相変わらず失礼な子やね」
黒澤さんは憮然とした顔で、ソファにどすんと座った。僕もおずおずと隣に座って、正面のやくざ探偵をこっそり伺う。……やくざにも探偵にも見えないけど。ハンチング帽もかぶっていないし。
「御託はいい。慣れ合う関係でもないだろう。どういう取引だ。捜査協力ならば、相応の情報を提供してくれるのだろうな」
「少なくとも、黒澤さんに集められへん情報には強いで? ようわかっとるやろ」
黒澤さんは苦虫を百匹まとめて口の中に入れたような顔をした。ワンさんはテーブルの上からグラスを手に取る。
「ボクも、黒澤さんみたいな立場からは情報を集められへんからな。せやから助け合いましょー、ちゅう関係やろ? 互いにな」
赤い液体が、お高そうなガラスの中でゆらゆらと水面を揺らしている。
グラスごしに、ワンさんと目があった。とっさに目を逸らすと、やくざ探偵は陽気に微笑む。
「そない怖がらんでええて。なんやったら狸穴くんも飲むか? もうすぐ二十歳やろ。奢るで」
「もうすぐ、なんで。まだ飲んじゃダメですね」
「カタいやなぁ。だいじょうぶやで、このバー、ボクがオーナーやから。ばれへんばれへん」
思わず内装をまじまじと見てしまう。豪奢で豪華で、見るからに高級だ。興信所ってそんなに儲かるもんなのか。
「……すいません、お酒はやめておきます」
なにがおかしいのか、ワンはさらにけらけらと笑った。
「じゃあ、ジュース飲みや。なにがええ?」
断るのも失礼かと思ってメニューを見ると、横合いから手を伸ばされてひったくられた。黒澤さんだ。
「やめておけ、狸穴。たとえジュース一杯であっても、やくざには借りを作るな。平穏が遠のくぞ」
「せやから、そんな怖くないって。ボクやくざちゃうもん、探偵やもん。ほら、このバーもカタギの仕事のひとつとして始めた店やし。めちゃカタギ。超カタギ」
「ほんとうにカタギなら、なぜ狸穴の個人情報を掘った。私に連絡を取りたいだけならば、コイツの番号じゃなくてもよかったはずだろう」
……あ。そういえば、そうだ。はっとワンさんの顔を見ると、やっぱりにやにや笑っている。ぞ、と背中に悪寒が走った。わざわざ僕のことを探って、僕宛てに電話をしたのか? 調査能力をアピールするために?
「今回調べたわけちゃうで? F対関西支部の【鑑定】持ちは、前々から情報おさえとった。これでも探偵やからねぇ」
ということは、ずっと前から僕の番号を知っていた? 怖すぎる。
「【鑑定】は希少でな。ウチにも隠れ転生者の所員は何人かおるけど、【鑑定】はおらん。な、な、狸穴くん。ウチで働かへん? 時給で五万出すわ」
「え、いや、あのう……」
黒澤さんがテーブルの脚を蹴って、大きな音を出した。びっくりした。
「いい加減にしろ、ワン。狸穴は正真正銘のカタギで、緊急クエストも今回限りの予定だ。さっさと本題に入れ」
「まったくもう、相変わらず冗談通じへんやっちゃなぁ」
ワンさんがけらけら笑って、言った。
「こっちも冗談じゃ済まへんけどな」
ぎちり、と空気が歪む。一瞬で全身から冷や汗が噴き出した。ワンさんの纏う雰囲気が、さわやかな若社長とは、まるで違うものに変質していた。反射的に外魂格を展開してしまいそうになったくらいだ。
黒澤さんが姿勢をわずかに変えた。いつでも動ける、そういう体勢だ。
「おいワン、どういうつもりだ。殺気を垂れ流すな」
「ウチの若いのが死んだ」
短く、ワンさんが言った。それだけで黒澤さんの言葉が押し込まれてしまう。
「あのポーションを作っとる隠れ転生者に、殺されたんや」
続く言葉がじわりと耳に染み込んだ。ポーション。隠れ転生者。殺された。ワンさんの尋常じゃない殺意が、現実味のない言葉たちで着色されて、個室に充満する。
「馴染みのやくざから依頼があってな。飲みすぎたら体が光る、妙なリキッドタイプのクスリが蔓延しとる、言うてな。せやから、ウチの調査員をひとり派遣した。若くて優秀なやつや。継承術は【毒耐性】で、こういうのに向いとった」
「……潜入捜査させたのか」
黒澤さんの確認に、ワンさんがうなずく。
「クラブでポーション買って飲んで、仲間認定されて、深く深くへと潜り込んでいける……、てな。クスリ効かんから、カラダ張った捜査ができる。うってつけやった」
「殺されたと断言したな。散魂したのか?」
ワンさんは黙って懐からスマホを取り出した。横にして映すのは、粗い画質の動画。
どこかの地下駐車場みたいだ。監視カメラの映像だろうか。固定された画角の中に、一台のバイク走り込んできた。運転手は背後を気にしながら、かなりのスピードで走っていく――、その直後、バイクの車輪が、ぐちゃりとひしゃげた。
「……え?」
思わず、変な声が出た。画面の中で、バイクが傾き、運転手が投げ出され、しかし見事な受け身で着地した。合成映像かハリウッド映画みたいな光景だけれど、武闘派の転生者ならできなくはないだろう。外魂格はカメラに映らないけど、おそらくすでに展開済み。運転手はヘルメットを投げ捨てて、両手を構えて戦闘態勢になった。
画面外から、真っ黒なライダースーツに、やはり真っ黒なヘルメットをかぶった、すらりとした体躯の人間が出てくる。背はあまり高くなさそうだ。
「運転手が貴様の部下か? 黒ずくめのほうが敵か。バイクを潰したのは継承術か?」
「たぶんな。そんで、こっからが問題でな」
ワンさんがスマホをつついて、別の動画を再生し始めた。同じ駐車場。けれど、人数が違う。ワンさんの部下と、ライダースーツの人影に加えて、多種多様な服装の男女が十人以上も集まっていた。チェックのシャツにジーパンの男もいれば、春らしい緑色のワンピースの女もいる。
彼らの共通点がひとつあるとすれば、顔にマスクをかぶっていることだろうか。ディスカウント・ストアで売っている、ハロウィンの仮装で使うような、ゴム製の安っぽいキャラクターマスク。輪になったゾンビやグレイ型宇宙人が、ワンさんの部下を――。
「狸穴、もう見るな」
黒澤さんが僕の肩を引いて、ソファに沈ませた。ワンさんも動画を一時停止して、鋭い目で僕を見ている。
「真っ青やで。だいじょぶか、狸穴くん」
「……いや、大丈夫です。ちょっと、その……」
「無理するな。見ていて気持ちのいいものではないからな」
スマホの小さな画面に映っていたもの。それは、リンチだ。十数人による集団暴行。音声がないのが、余計に恐ろしかった。
「……ありがと。でも、大丈夫だから」
そうだ。これくらいなら見られる。問題はない。だって、僕にとってのなによりのトラウマは、僕が……、いや。今は、そんなことを考えている場合ではない。
「……本当に、無理はするなよ」
「ほな、続けるで」
ワンさんが動画をもう一度再生し始める。小さな画面の中で、小さな人間たちが寄ってたかって、暴力を振るっている。まるで人形劇みたいで、けれど暴力のたびにアスファルトに広がる染みは、人形の体には流れていない温かい液体だ。
ライダースーツは近くの車のボンネットに足を組んで座り、高みの見物を決め込んでいた。
「カメラに魂は映らんから、確証はないけど」
ぼそりとワンさんが言う。
「こいつら全員、外魂格を展開しとる」
「スマート・ポーション常習者か。散魂はしていないようだが、飲み続ければいずれ……。ふん、まったく、イヤになる。今日はイヤになってばかりの日だな」
黒澤さんが難しい顔でファスナーを口元まで引っ張り上げた。
「たしかなのか。この人数全員が外魂格使いとなると、ちょっとした軍隊だぞ」
「この若いのはウチでも有数の実力者で、前世は獣人や。常人のパンチなんか、ステータス差で無視できる外魂格を持っとった。それがこうもボコボコにされとるところを見ると、な」
「にわかには信じたくないな。手作り爆弾で武装したテロリスト集団よりたちが悪い」
「たまには探偵みたいなこと言うたろか」
ワンさんがテーブルに、スマホの画面を上にして置く。
「『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実である』――、アーサー・コナン・ドイルの言葉なら、ボクより信じられるやろ。ボクらが相手しとるんは、正真正銘、超人の集団や」
画面の中では、暴行が続いていた。素人同然の蹴りがためらいなく降り注ぐ。体を丸めた調査員の男性は、されるがままだった。
「……このあと、特に見るもんはない。ボコって、そんまま殺して、終わりや。こいつらはさっさと撤収した」
「彼は資料とか残してなかったのか」
「僕らが見つけたときには、スマホもメモ帳も回収されとった。でも体内に埋めたGPSまではわからんかってんやろな。おかげで場所だけはわかったけどな」
ひとがひとり、死んでいる。改めてそう認識すると、とげとげした空気がのどに張り付いて、言葉が出なくなってしまった。
「警察には?」
「いうてない」
黒澤さんが眉をひそめる。
「カタギになったのではなかったのか。死人が出たのならば、警察に任せるべきだろう」
「アホ抜かせ。最低でもこのボケカスども全員殺すまでは、こいつはウチで追う」
個室に充満する殺意の濃度は、もはや窒素より濃いんじゃないかと思うくらいだった。
「ライダースーツのクソボケは三回殺す。なりふり構ってられん。手伝ってもらうで、黒澤さん。なんか情報掴んだんやろ」
「あるにはある。スマート・ポーションを所持していたらしき、パパ活おじさんの電話番号だ。そっちは?」
「流通経路のアタリがついた程度や。さっきも言うたけど、捜査にあたっとった所員のスマホもメモ帳も、パクられてもうたからな」
「流通経路がわかったなら、あとは追うだけだろう」
「それがそうもいかん」
ワンさんが苛立たし気にため息を吐いた。
「ふつうのルートやない。やくざも外国人も絡んどらん。ぜんぶ自家生産、ぜんぶ手売り。はっぱも輸入しとらん。わかっとるのは、売人が軒並みカタギのガキやってことだけ」
「カタギのガキ?」
「大学生。新社会人。フリーター。そのへんやな」
はっとする。大学生。摘発されたのも、捕まった先輩も、そうだ。このスマート・ポーションの客層は、とにかく若い。
「やんちゃしとるイベントサークルに、売人が紛れこんでるらしい。ボクら大人は入り込みにくいし、下手につついて公安警察に目をつけられんのは避けたい」
「なにがほしい?」
「メンバーリスト。名簿があれば、総当たりで調べてアタリつけられる。『はるまげどん』ってとこ。いけるか?」
「……アテがないわけじゃない」
「ほな、交渉成立やな。そっちは名簿、こっちは電話番号。そんでええな?」
ワンさんの差し出した右手を、黒澤さんは握らなかった。怪訝そうに首をかしげるワンさんに、黒澤さんが静かに告げる。
「ひとつだけ頼みがある。いいか?」
「なんや。言うてみい」
猛禽の瞳が、挑むようにワンさんに向けられた。
「だれも殺すな」
びきり、と空気がひび割れた。殺意と敵意が詰まった個室で、僕はもう酸欠寸前だった。
ほんとうにやくざなのか、と疑っていたのが馬鹿みたいだ。今までの殺気は、かなり抑えていたのだ。抑えて、アレだったのだ。こっちで生まれてからは初めて感じる、ほんもののアウトローだけが発する、本気の殺意。
「F対の方針はあくまで『F案件の浸食から現実を守ること』だ。殺人もまた、現実を侵害するおこないに違いない。約束してもらわんと、貴様には協力できん」
「オドレ、ボクを舐めとるんか、黒澤ァ……ッ!」
「舐めちゃいない。私が貴様を舐めるはずないだろう。だが、貴様も探偵のふりしたやくざなら、落とし前をつける相手は選べと言っているんだ。相手はラリって自制が効かなくなっているカタギだ。……おそらく、親玉以外はな」
黒澤さんは少し目線を落として、テーブルを見た。黒光りする高価そうな石のテーブルに、猛禽みたいな瞳が反射する。
「ガラをおさえるのは、このライダースーツと、その身内どもだけだ。末端の学生たちは、放っておいてやってくれ、ワン」
「そないなことに、ボクが首タテに振ると思うとるんか」
「思ってない。だから、こうして頼んでいるんだ。取引じゃない。ただのお願いだ」
黒澤さんが、すっと頭を下げた。
「は? なんや、それ」
「頼む。見逃してやってくれ。……お願いします」
ワンさんはしばらく黙ってから、ふっと、その殺気を緩めた。僕はそのとき、初めて自分が完全に息を止めていたことに気づいた。ひゅるひゅると喉奥から息を吐く。
「なんや、勢い削がれたわ。あほくさ。わかった、別にええわ。殺さんとく。……どうせこいつら、散魂するか、中毒で死ぬか、依存の後遺症で死ぬまで一生苦しむか、どれかやし」
黒澤さんは頭を上げて、「恩に着る」と短く告げた。
「ただ、黒澤さん。ボクに貸しひとつやで。わかっとるな?」
「ああ。必ず返す。……金以外ならありがたいが」
※※※あとがき※※※
カクヨムコン参加中です。
「読者選考期間中に10万文字以上」が応募要項だと思ってのんびりしてたら、「応募期間中に10万文字以上」が応募要項でした。草。
明日の夜までには、残りを一気に連続更新することになると思います。
読み飛ばしにご注意ください。
面白かったら☆☆☆のレビューの奴をよろしくお願いします。
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