《前期日程二日目・昼十三時過ぎ・大学食堂》(5/6)
その後、数珠つなぎに二人の隠れ転生者と立て続けに会った。次は三人目。大阪、隠れ転生者だらけだな。待ち合わせ場所に向かう途中、阪神高速の高架をくぐる横断歩道で待っていると、黒澤さんがぽつりと漏らした。
「世の中、こういうものだ。案外、グレーな部分だらけで」
黒澤さんがパーカーのファスナーを手で弄びながら、言う。
「拝金主義者なのは知ってたけどさ。金のためなら汚いこともするんだね。隠れ転生者を通報しないで脅すなんて」
ちょっとトゲトゲした言い方になってしまったけれど、黒澤さんは面白そうに微笑んだ。
「貴様、少しは歯に衣着せたらどうだ。汚いのは否定できんが」
否定できないのかよ。けれど、そう。彼女はグレーだけれど、黒ではない。ダーティーだけれど、ダークではない。だって、彼女自身は登録済みの転生者だし、褒賞金目当てとはいえF対のクエストに協力的だ。緊急クエストを指名されるくらいだから、なあなあで十年間同じクエストを続けて来た僕よりも、よほど重宝されているのだろう。
それでも、なにか言おうと思って地面に向かって口を開いたけれど、鉛みたいに重たいため息が地面に落下しただけだった。
「あのさ。みんなが前世を隠したがる理由も、ちょっと……、いや、めちゃくちゃわかるよ」
だから結局、素直な感想だけがこぼれ出る。
「自由、ないもんね。県をまたいで移動するだけで監視がつくし、住居変更は認可が必要だし、海外旅行なんて夢のまた夢だし。僕も隠しておければ、隠しておきたかったくらい」
ギルドのエントランスでたむろする、ハズレ継承術の転生者達を思い出す。難しいクエストを受けられる強靭な外魂格も有用な継承術もなく、なのにF対に縛られた生活しかできない彼ら。若林先輩も、自由な就活なんて出来ず、彼らの仲間入りしていたかもしれない。
「それに、汚いことはしてるけど、黒澤さんが若林先輩と会う前に、いろいろ言ってくれたのって、思いやりでしょ?」
「……は?」
黒澤さんは猛禽みたいな瞳をそのままに、口を丸くして驚いた。ちょっと、ふくろうみたいな愛嬌のある表情で、おもしろい。……ふくろうも猛禽の仲間だけど。
「だから、緊急クエストって要するに『こういうグレーなことするんだよ』って、最初に僕に見せたんでしょ? 引き返せるように。僕、そういう思い遣りとか優しさとか、その……、好きだよ?」
すぱん、と頭をはたかれた。
「なんで叩くんだよっ」
「貴様、なぜその喋りが白河の前で出来ないのだ。まったく……」
「え? 白河さんが、なに? どういう意味?」
黒澤さんはパーカーのファスナーをぐいっと上げて、口元まで隠してしまう。
「……もしかして、笑ってる?」
「見るな、馬鹿。ほら、青信号だ。行くぞ」
ずんずん先に歩いていくから、僕はついていくしかなかった。
次の待ち合わせ場所は、やに臭い路地裏だった。大阪市内は全域路上禁煙だと思っていたけれど、この路地はどうやらそのルールを忘却しているらしい。怪しげなお店がひしめく風俗街。豪奢なギリシア建築風ホテルも、裏手に回って見上げれば、表の壁面に装飾を張り付けただけの、ただの薄汚れたビルだとわかる。
そんなビルの裏口前、コンクリートの段差に、しゃがみ込んでたばこを吸っている女性がいた。艶のある茶髪をするりと垂らしたロングヘアで、肩の開いた青色のワンピースの上から薄いショールを羽織っている。
「おい。貴様か?」
黒澤さんが端的に問いかけると、彼女はうろんげな瞳で僕らをねめつけて、たばこを小さな携帯灰皿の中にねじ込んだ。
「アンタが黒澤ちゃん? なんだ、セーラー服じゃないじゃん」
「セーラー服を着てクエストを受けていたのは、高校卒業までだ。……私を知っているのか」
女性は、うっすらと笑った。
「有名人だし。金にも情報にも汚い、ダーティーエルフの黒澤ちゃん」
「あの頃はセーラー服と体操服以外はロクな服を持っていなかったものでな」
いまもロクな服じゃねえだろ。全部古着だし。
「貴様が
「新井って呼んで。それか椿。生まれてこのかた、日本から一回も出たことないのに、その名前で呼ばれるの、なんかムカつくの」
「椿?」
「パパ活するときは、トラブル避けるために違う名前名乗るのよ」
「そうか。ならば、この場では椿と呼ぼう」
黒澤さんは立ったまま、椿さんはしゃがみこんだまま、当たり前のように会話を始めた。おいていかれた僕は、所在なく黒澤さんの後ろで突っ立っている。
隠れ転生者であることを隠しておく代わりに、スマート・ポーションに詳しい知り合いがいないか聞くと、椿さんは目に見えて肩を落とした。
「いたわよ、ひとり」
「だれだ? どこにいる?」
「病院」
病院? なんだかイヤな話の展開だ。
「転生者じゃないけど……、パパ活の情報を共有するチャットアプリのグループで知り合った、女の子。先週、パパ活中に急性中毒で倒れて、病院まで運ばれたけど、まだ意識戻らないんだって。……ねえ、そのドラッグってさ、なんでF対が調べてるわけ?」
僕はなにも言えない。だって、急性中毒で倒れて意識が戻らないって、それは――。
「椿。私はこういうとき、配慮するのが苦手だ。だから、知っていることをそのまま言う。……スマート・ポーションを過剰摂取した人間は散魂する」
黒澤さんは、淡々と言った。
「……そう。じゃあ、あの子はもう、戻ってこないんだね」
椿さんはしゃがんだままうなだれて、それから三十秒くらいしてから、顔を上げた。
「ね。たばこ、一本だけ吸ってもいいかな?」
「ゆっくり吸え。私達は、別に急いでいないからな」
椿さんが吸い終わるまでの五分ほど、僕らは黙って過ごした。紫煙が大阪の空に溶けていくのを眺めていると、なんだか無性に、寂しい気持ちになる。
吸い終わって、椿さんは「よっこらしょ」とわざとらしく明るい声で立ち上がった。
「そのクスリ……、スマート・ポーション? っていうやつ? あのね、たぶんだけど、あの子、パパから渡されてたんだと思う」
黒澤さんの猛禽の瞳が、鋭く尖った。
「それは特定の顧客だな? 連絡先もわかるか?」
「太客だから、よかったら紹介しようかって言われて、電話番号だけ聞いてる。こっちから連絡したことはないけど……、ちょっと待ってね、えーと」
椿さんは小さなポシェットからスマホを取り出した。
「たぶん偽名だけど、あった。マサルさんって人。三十歳くらいだって聞いたかな」
「見せてもらってもいいか」
「いいよいいよ。いまの話聞いて、この人にサポしてもらおうとは思わないって。たださ」
ものすごく真面目な顔で、椿さんはスマホの画面を僕に向けた。慌ててメモを取る。
「教えたら、アタシのこと、F対には言わないんだよね? バレたくないの。もうすぐ留学費用貯まるのに、転生者だってバレたら行けなくなっちゃう」
「えっ」
思わず声が漏れてしまった。椿さんも大学生だったのか。
「あー、アタシのこともっと年上だと思っていたでしょ。失礼なんだー」
「え、あ、いや、その……すいません。綺麗なお姉さんだなとは思っていたんですけど」
「今さら褒めても遅いっての。ちなみにO大法学部だよ。ぶい」
これには僕だけでなく黒澤さんもぎょっとした。偏差値七十オーバーの超難関大学だ。しかも法学部って。
「ま、実際、キミらよりは年上なんだけどね。ストレート入学じゃないし。留年中の予備校代でお金なくなって、けど留学はしたいから、パパ活でこっそり、ね? もう少しで目標額も貯め終わるの。そういうわけだから、黙っててくれる?」
「……心得た。私も狸穴も決して口外しないと誓おう」
黒澤さんが丁寧に礼をした。邪推だけど、学費に苦しむもの同士、共感があったのかもしれない。椿さんはにっこり笑って、立ち上がった。
「知り合いの隠れ転生者にもそれとなく聞いてみるけど、期待はしないでね。真面目な子たちばっかりだから。あ、なにかあったら電話してね。……連絡係クン。狸穴クンだっけ?」
椿さんはむふっと悪戯っぽく笑った。
「きみみたいなかわいい男の子は、気軽に連絡してくれていいからねー、てかご飯とか一緒に行こうよ」
「はいっ? え? 僕ですか? まあ、ご飯くらいならぜんぜんいつでも……」
黒澤さんがいつもより三百度くらい冷たい声色で「白河」と呟いたので、「すいません仕事中なので」と断っておく。別に下心とかありませんでしたけどね?
「なにかあれば、また連絡する。椿、協力に感謝する」
「ね、黒澤ちゃん」
去ろうとする僕らを、椿さんが呼び止めた。またしゃがんで俯いていたから、表情は見えないけれど……、迷子の女の子みたいな声で、言う。
「あの子さ、そういうのに手を出しちゃうような馬鹿な子だったけど、それでも……、その、友達だったの。だから、ええと……」
言いよどむ椿さんに、黒澤さんは「ふん」と鼻を鳴らした。
「貴様に言われなくても、スマート・ポーションの製造者は捕まえるさ。そういうクエストで、達成しないと金も貰えないからな」
拝金主義者のあんまりな言いぐさに、さすがになにか言ってやろうと思って黒澤さんの顔を見て――、僕は、目を奪われた。
「必ず、あの気色悪い毒液を根絶やしにしてやるとも」
だって、その猛禽の瞳には、今まで見たことがないくらい、強い決意と、感情と……、冬の湖みたいな憂いが、こもっていたから。
休憩がてら、ホテル街近くのハンバーガーチェーンに入って、ポテトのSサイズを頼む。黒澤さんはシェイクを買った。二階の奥のテーブル席に座って、深く息を吐く。なんか、どっと疲れた。
「シェイクは私のだ。やらんぞ」
「別に欲しがってないでしょ。ポテトも食べていいよ、別に……、座るために買っただけだし」
思ったけれど、この女、拝金主義者とはちょっと違うんじゃないか? いや、お金が大好きなのは事実だろうけれど。でも、さっきの顔は、それだけじゃない顔だった。悶々とする僕に、黒澤さんはすっかりいつも通りの調子でシェイクをずるずる吸い込んでいる。
「しかし、困ったな。電話番号しかわからんのでは、調査のしようがない。いきなり電話をかけるわけにもいかんしな」
「F対なら調べられるんじゃないの? 公的機関なわけだし」
「阿呆。電話番号の出所をどう説明するつもりだ」
「あ」
そっか。F対に頼ると、椿さんの存在がバレてしまうのか。
「じゃあ、どうするのさ」
「パパ活希望のふりをして連絡するのも考えたが……、下手に警戒されると困る。すでに、パパ活相手が中毒で倒れたわけだしな」
黒澤さんは目をつぶって一分ほど悩み、ものすごく深いため息をついてから、僕のスマホをひったくった。おい。
「少し借りるぞ」
「自分の使えばいいじゃん」
「最近、特に回線が不安定で――」
その言葉を遮るように、着信音が響いた。黒澤さんの手のひらの中で、僕のスマホが震えている。画面には十一桁の数字が並んでいる。
「あの、電話に出たいんだけど」
「いや、これは私宛ての電話だ。……どこかから見ているのか? あの男は」
黒澤さんが忌々しそうに吐き捨てて、電話に出た。
「――ああ、そうだ。黒澤だ。どこでこの番号を知った? ……そうか。忌々しいが、仕方あるまい。いつもの場所でいいのだな?」
会話はすぐに終わって、黒澤さんはスマホを僕に投げて寄越す。ひとのものを投げるな、と言いたかったけれど、かつてないほど不機嫌な表情だったので、やめておく。
「行くぞ」
「……どこに?」
「ワンという男のところだ。その電話番号は登録せずに暗記しろ」
ポテトの残りをぜんぶ口に流し込み、シェイクを一息で吸い込んで、黒澤さんが席を立った。
ハンバーガーチェーンを出て、きらきらしい飲み屋街へと足を踏み入れる。薄暗くなり始めた空の下を足早に歩く人々がたくさんいて、大阪という街の広さを実感する。
僕たちがどこへ向かって歩いているのかはよくわからない。今日は歩いてばかりだ。
ねばつく光を放つネオンの群れを眺める。なんとなく聞きづらいけれど、聞く必要があった。
「ワンさんって、だれ? なんで、黒澤さんの知り合いが、僕のスマホの番号を知ってるのさ」
「やくざだ」
ぶっきらぼうに黒澤さんが言った。
「やくざ」
意味もなく、僕はオウム返しに言い直した。
えっ、やくざ? ほんとうに?
「正確には元やくざだがな。いまは興信所の所長で、転生者ではないが転生者や抗体反応の存在は知っている」
興信所の所長。つまり、探偵か。なんだ、びっくりした。
「じゃあ、いまはもう、ええと、普通のひと……カタギ? なんだね」
「阿呆」
シンプルな罵倒で、安堵がかき消された。
「一度やくざになってしまえば、その影は一生付き纏う。完全な黒の世界だ。足を洗った者がいないわけではないだろうが、そう簡単に信用するな。どれだけ色を抜いても、黒染めした布は、そう簡単には白に戻らん」
黒でも、白でもない。なら、それはたぶん、黒澤さんと同じ色なのだろうな、と思った。
「ともあれ、興信所には違いない。電話番号の調査を、ワンの興信所に頼むかどうか迷っていたのだが……あいつもポーションを追っていたらしい。向こうから調査協力の申し出があった」
「渡りに船じゃん。ナイスタイミング」
黒澤さんはゆっくりと首を横に振る。
「ワンがF案件に対応しているなら、間違いなくアングラな勢力からの依頼だ。今回はクスリ絡みだから、関西の暴力団関係だろう。そのワンが私達に調査協力を頼んできている。手を貸すからそちらも手を貸せ、とな。わかるか?」
「え、ええと……つまり、なにが?」
黒澤さんは視線を鋭くした。ネオンのぎらぎらした光が、猛禽の相貌を照らし上げている。
「自分は凄い、地球でならうまくやれる――、そんな風に増長した転生者を捕まえるだけの、よくある案件かと思っていたが、案外、厄介なクエストかもしれんということだ」
※※※あとがき※※※
カクヨムコン参加中です。
面白かったら☆☆☆のレビューの奴をよろしくお願いします。
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