《前期日程二日目・昼十三時過ぎ・大学食堂》(4/6)
転生者が前世と同等のスペックを再現できるのは、ひとえに外魂格のおかげだ。前世の記憶通りに魂を拡張することで、身体性能も拡張する現象。ついでに、魔法や技術もひとつだけ継承術として行使できるようになる。地球以外に異世界は数あれど、地球に来た時点で『外魂格しなければ前世の能力を使えない』のが共通のルール。
つまり、転生者は外魂格を纏わなければ現代人となんら変わりないのだ。
常に外魂格していれば特別なままでいられる――、と思うかもしれないけれど。
「いいですか、狸穴さん」
真田さんは真顔で言った。
電話をした直後、またあのカフェに呼び出され、クエストの説明を受けることになった。今日の残りの講義はぜんぶ飛んだ。新学期二日目なのに。真田さんはこのあと東京霞が関で仕事らしく、今しか時間が取れなかったのだ。
「前世の在り方を再現するために、身体の外側まで魂を拡張したものが外魂格。『体と魂のズレ』を意図的に引き起こす行為なのです。ズレたまま長い時間を過ごせば、拡張された魂は体に戻らず拡散します。これが俗にいう散魂ですね」
魂を失えば、残るものはただの肉だけだ。しばらくは心臓も脈動する。生理的な反応もする。けれど、魂を失った肉体は、二度と目覚めることはない……らしい。
「ですので、外魂格の展開は一日に二時間まで。通常のクエストでもお伝えしている通りです。ゆえに、外魂格の行使はF対による事前認可制になっており、それ以外で行使すれば事後報告が必要になります。転生者の常識ですから、狸穴さんも承知しているはずですが」
真田さんはコーヒーを一口飲んだ。
「緊急クエスト受注中は、外魂格のタイミングが受注者の裁量に任されます」
「ええと……、つまり、勝手に外魂格を展開してもいいってことですか?」
真田さんはこくりと頷いた。
「もちろんF案件の秘匿義務はありますから、民衆の目がある場所では禁止ですし、いつどこでどのように使ったかの報告は、クエスト進行報告書に記載していただきますので、ご留意ください。報告書は初日の開始報告書と、最終日に全体のレポートでお願いいたします」
うなずく。F対はファンタジーを世間から秘匿するための組織だ。冒険者が一般人の前で外魂格を展開するのは最大のご法度である。
「狸穴さんにはポーションの鑑定及び情報収集にあたってもらいます。相手は違法薬物を取り扱うような連中で、転生者も含まれます。戦闘になる可能性もあるので、注意してください」
「えっ? 戦闘? 僕が?」
言外に「得意じゃない」という気持ちを込めて見つめると、真田さんは真顔でうなずいた。
「大丈夫ですよ、前世は異世界ファンタジーな世界で、なんやかんや冒険者をやっていたんでしょう? 昔取った杵柄を見せていただければ、と」
「いや、ただの荷物持ちでしたから!」
僕の外魂格は十五歳の子供。外魂格していない状態でも十九歳の大学生でしかない。転生者との戦いは、無理だ。
「冗談です。荒事は、もうひとりにすべて任せてしまうと良いでしょう」
カフェの入り口から、パステルカラーのパーカー女子がのっそりと姿を現した。
「狸穴蓮。くだらん説明は終わったか? ならばさっさと行くぞ。時間をかければかけるほど、金が減っていくからな」
拝金主義者の黒澤さんが、意味わからんことを言いながら入室してきた。なるほど、もうひとりね。彼女なら、たしかに荒事向きだ。
「緊急クエストの達成報酬が五百万円! 一ヶ月で終わらせれば日給十六万円! 素晴らしい! だが、二か月かけると日給八万円になってしまうのだ。逆にいえば、一日で終わらせれば日当五百万円だ! すごいぞ! 一時間で済ませれば時給五百万円! 興奮してきたな!」
「ああ、そう……」
報酬五百円。……五百万円かぁ。月一回の【鑑定】クエストが日当十万円だから、五十か月、約四年ぶんだ。【鑑定】が高給なのは知っていたつもりだけれど、緊急クエストって案外安いんだな。それでいいのか、とこっそり真田さんを見ると、底冷えのする目でコーヒーカップを眺めていた。
「ちなみに、私は週五プラスよそには言えない時間外労働で、年がら年中三百六十五日ずっと異世界由来のヤバいものや無理解な政府高官たちと戦っていますが、額面の月給は三十五万円です」
うわぁ。仏頂面で淡々と言うところが、なんとも恐ろしい。
「たまに思うんですよね、公務員辞めてギルドでクエストやったほうが稼ぎいいんじゃないかと。でも、後任がいませんし、安定もしませんし、そもそも国が辞めさせてくれませんし、こんな生活ですから婚活もできないまま、もう三十――」
僕と黒澤さんは顔を見合わせて、なにも言わずに席を立った。というか、それ以外できなかった。下手に声をかけると日本社会の闇に呑まれそうだったから。
調査は翌日から始まった。
「で、どうして僕らは真っ昼間から梅田の喫茶店にいるの。今日も講義サボっちゃったよ……」
「時間をかければかけるほど、ポーションは拡散して、大元を追いかけるのが難しくなる」
喫茶店のテーブル席でぼやくと、黒澤さんが無料のスティックシュガーをパーカーのポケットに詰め込みながら(おいこら)言う。
「警察の捜査情報は、私達には手が出せんからな。地道な聞き取り調査から、というわけだ」
公安警察や麻薬取締官と、F対は根本から目的が違う。だから向こうの捜査情報が手に入ったりもしないのだ。うまいこと助け合える仕組みを作ればいいのに。
「面倒くさいんだね、公務員って」
「面倒くさい仕事だから、公務にせざるを得ないのだろうよ。そうでもしないと、誰もやらんから」
梅田の喫茶店は、平日の昼間だというのにそこそこ客入りがあった。近くのパチスロ店から敗残兵が流れてきているらしい。
「ただ言っておくが、狸穴蓮。私達が今からやる仕事は、公務ではない。嘱託職員ではあるが、転生者は秘匿された存在だからな。矛盾だらけだ。つまり」
黒澤さんは唇の端を釣り上げて、猛禽みたいに笑った。
「私達はグレーゾーンそのものだよ。転生者を取り締まる公的機関はF対しかなく、そのF対も警察ではないから逮捕権を持たない。建前と矛盾と秘密を混ぜ合わせたいびつな場所で、転生者は生存を許されている」
黒澤さんはコーヒーフロートに口をつけた。アイスの融けた白が、コーヒーの黒にゆっくりと混ざっていく。
「だから、F対が本気で困ったときは、私のようなものに緊急クエストを発注する。グレーな手段を用いてでも、さっさと解決したい案件があるときに」
「前にも受けたことあるの? 緊急クエスト」
「何度か、な。詳しくは聞くなよ、終わった話だ」
僕だって聞く気はない。藪蛇をつつきたくはないし。ただ、転生者の存在は秘匿されているんだから、真田さんたち自身がグレーなことをやってもいいんじゃないのか? そう聞くと、「いない扱いだが、だれも知らないわけじゃない」とすぱっと切り落とされた。
「『知っている者たち』からの印象の問題だ。真田が言っていただろう、他省庁でも高官レベルになればF案件を知っている、と。転生者も抗体反応も、一般人から見れば化け物だ。心象は良くしておきたいだろう?」
化け物。黒澤さんの断言に、むっとしなかったわけではない。ただ、僕の些細な憤り以上に、猛禽の瞳には鋭い感情が宿っていたから、口を挟めなかった。
「F対はホワイトな組織でなければならない。対外的にな。私達、嘱託職員の冒険者は、いつでも切り捨てられる尻尾だ」
「……あのさ、さっきから、なんの話なの? 結局、この喫茶店に来たのは、聞き取り調査のためってことでいいの?」
よくわからなくて、そんな質問をした僕に、黒澤さんは唇の端をゆがめて笑った。
「平穏に生きたい転生者は、貴様だけではないということだ。そして、私は貴様を信じている」
そう言われても、やっぱりよくわからない。僕は聞き返そうとして、だけど、テーブルにやってきた人を見て、口を噤んだ。知らない人だ。年頃は二十代。真新しいスーツを着た線の細い男で、目の下にとても濃いクマが浮かんでいる。彼は開口一番、とげとげした口調で言い捨てた。
「いきなり呼び出すんやない。就活中やぞ、こっちは」
「悪いな、若林先輩。こちらも火急の要件なのだ」
男は疲れた顔で頷いて、億劫そうに椅子に座って、ウェイターにお冷やを頼んだ。待ち合わせの相手はこの人らしい。先輩――、もしかして同じ大学の生徒?
「で、要件って、なんや。先月の転生具暴走事件か? アレ俺はなんも知らんど」
「それはどうでもいい。若林先輩の知り合いに、クスリをやっていそうな転生者はいるか? 最近はやりの、紫色のリキッド・タイプだ」
若林先輩は軽く目を見開いてから、とても嫌そうな顔でお冷やを一口飲んだ。
「知らん。F対のほうが、よう知っとるやろ。ていうか、そのガキだれやねん」
男の先輩の針みたいな視線が飛んできて、つい身をすくめてしまう。
「ガキではない、狸穴だ。私と同学年、つまり若林先輩の後輩にあたる。ああ、ちなみにこの狸穴はれっきとした登録済み転生者だ。若林先輩と違ってな」
……え? 咄嗟に黒澤さんと若林先輩の顔を交互に凝視してしまった。いまなんつった? 若林さんが焦った顔で身を乗り出してくる。
「おい、黒澤。おまえ――」
「狸穴蓮、こちらは若林先輩だ。外魂格の強度は下の下、継承術は【右手で握ったものの寸法が正確に測れる能力】だったか? ……そう焦るな、大丈夫だ、狸穴はとても口が固い。先輩が大人しくしているならば、だが」
若林さんは黒澤さんと僕を鋭く睨みつける。黒澤さんは澄ました顔で、コーヒーフロートのアイスをストローでつついた。……つまり、この先輩は未登録の隠れ転生者なのか?
黒澤さんはそれをF対に黙っておく代わりに、なにか情報を渡せと言っているらしい。いうまでもないけれど、隠れ転生者の隠匿は普通にアウトだ。真田さんにバレたら説教だけじゃ済まない。
「私は正職員じゃない。この狸穴もそう。いつも通りだ。わかるな?」
若林さんは喉の奥からうめき声をあげて、喫茶店のシーリングライトを仰いだ。
「……おれはただの学生や。ドラッグなんか知らん。手ぇ出したこともない。……けど、ひとり心当たりがないわけやない」
「教えろ」
ぞんざいに命令する黒澤さん。
若林先輩は紙ナプキンに電話番号を殴り書いて机に叩きつけた。立ち上がって、最後に僕と黒澤さんを睨みつける。
「おい、ダーティーエルフとその腰巾着。おまえら大学では話しかけんなよ、ぜったいに」
そう言い捨てた若林先輩の背中を見て、ようやく僕を縛り付けていた緊張がほどけた。黒澤さんは机の上の紙ナプキンを摘まみ上げて、内容をじっと見てから僕に突き出した。
「……いいの? その、こういうことして。明らかな規約違反だけど」
受けとりながら疑問をぶつけると、黒澤さんは肩をすくめて、猛禽の瞳で僕を見た。直視できなくて、テーブルに目を落とす。
「言っただろう? F対ギルド――法務省公安調査庁の秘密組織、F案件対策室の正職員ができないことをやるのだと。グレーゾーンだよ」
コーヒーグラスの水滴が、紙製のソーサーにじわりと染みていく。
「大阪には隠れ転生者が何人もいる。私の大事な取引相手で、大事な情報網だ。大阪の薄暗いぬかるみみたいな連中がな。……だから、私みたいなのに緊急クエストが来るんだ。公然の秘密だよ」
脳をぶん殴られたような衝撃を受けた。F対ギルドも把握しているのだ。隠れ転生者がたくさんいることを。普段は泳がせておいて、いざというとき、黒澤さんを通して有益な情報を得るために。Vシネマの不良警官とやくざみたいな関係性だ。
僕が知っている大阪の、僕の知らない灰色の表情に、裏切られたような気分になる。
「私はやつらのことをギルドに言わない。ギルドも私の報告書を深掘りしない。現行犯で私人逮捕の要件を満たす証拠を見せなければ、F対は動けない。そういう暗黙の了解があるから、平穏に生き直したい連中が情報をくれる。私同様、ダーティーな連中がな」
ダーティーエルフ。若林先輩が最後に言っていたのは、ダークエルフのもじりか。白いか黒いかの問題ではなく、清いか汚いかの問題――、ダーティーエルフの黒澤さん。
「さて、次だな。貴様のスマホを使え。私のは型式が古いし、格安SIMで接続も悪い。さっさとしろ、時給が相対的にどんどん下がっていく」
こいつ、ほんとうに元祈祷師なのか? 清さの欠片もない。信じられない。
「……次の人が、スマート・ポーションの情報を持っているとは、限らないよね?」
「スモール・ワールド現象の仮説だよ。いつかは繋がるさ」
汚い癖に、捜査は地道なのかよ。僕は嘆息してスマホを引っ張り出し、紙ナプキンに書かれた数字の羅列を入力していく。知らない人に電話かけるとか、ハードル高くない?
※※※あとがき※※※
カクヨムコン参加中です。
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