《前期日程初日・昼十二時・大学食堂》(3/3)
その日のノルマを終えて、たばこ臭いエントランスの自販機でスポドリを買おうとしていると、顔見知りが入ってきた。普段、ギルドでは会釈する程度の仲だけれど、今日ばかりは声をかけた。昼に話題になった相手だったから。
「や、黒澤さん」
黒髪ショートカットのサイドをツーブロックに刈り込んだ、猛禽じみた鋭い目の女子大生。パステルカラーのパーカーのジッパーを一番上まで引っ張って首元を隠した彼女は、一年の第一外国語の班で一緒だった、最後のメンバー。前世の記憶を持つ女子大生で、いろいろな意味で僕の同輩、黒澤さんだ。彼女は僕をちらりと見て、意外そうに眉を上げた。
「……狸穴蓮、貴様は【鑑定】か? 話しかけて来るとは珍しい。どうした。なにか用か?」
「うん、そう。いや、用ってほどじゃないけど。もしかして、クエスト帰り?」
「ああ。豊中のマンションの住民が、精気を吸い取られていた事件でな。飼い猫の一匹が、転生者……、転生猫? だったらしい。ドレイン系の継承術だな」
ぶっきらぼうに言って、傍らに置いた移送用のペットケースを指さす。中から「にゃあん」と文字通りの猫なで声が上がった。ペットケースの脇には、金属バットが立てかけてある。
「巧妙なことに、深夜じゃないと尻尾を見せん――、ああ、いや、尻尾はもともと付いているのだが、ともかく外魂格を展開して犯行を行っている現場を抑えないと、現行犯扱いにならんからな。猫相手でも。まったく面倒なことだ」
「……それはなんというか、お疲れさまだね」
僕は外でのクエストを受けたことがないから、どれほど大変なのかは想像もつかない。ただ、転生者という秘匿された存在の事案なのに、誰かを捕える際は私人逮捕の要件を満たす必要があるらしく、現行犯以外は認められていないのだ。謎ルール大国、日本。
「疲労はあまりないが、徹夜で一昼夜張り込んで大学に行けなかった。最悪だ。狸穴、シラバスはどうだ? 人数限定の穴場講義はもう埋まってしまったか?」
「あー、たぶん……。哲学基礎は大講義室だからいけると思うけど、メディア倫理とかは少人数だから、速攻埋まったってさ」
黒澤さんは猛禽みたいな瞳をうらめし気にペットケースへ向けた。
「無念だ。一年次もいくつか単位を落としていてな、どこかで挽回せねばならんのだが」
前世がエルフの祈祷師だったという黒澤さんは、そのせいかどうかは知らないけれど、慇懃無礼で古風な標準語を操る。前世の詳細な情報を明かしあうのはご法度……、というのが建前だけど、継承術や種族などの簡単な情報交換は、むしろ挨拶のようなものだ。
「でも、なんでこの時間に帰って来たの? 深夜に終わったんだよね」
「いや実は、この猫めのせいで、久々に継承術を使う羽目になったのだが――」
「えっ? 黒澤さん、【治癒】系だったよねっ? どっか怪我したのっ?」
慌てて全身を確認するけれど、疲れた顔以外に、目立った点はない。黒澤さんは苦笑した。
「怪我はない。私の外魂格を貫通できるやつは、そうそうおらんよ」
古強者みたいなセリフだ。ただの荷物持ちだった僕とはえらい違いである。主人公になるなら黒澤さんみたいな人なのだろうな。
「精気を吸われすぎていたのか、飼い主が倒れたのだ。【癒しの祈祷】を施してから病院に連れて行ったら、医者に倒れた状況とか飼い主との関係とか、いろいろ面倒な質問をされて、な。これから、継承術の使用に関する事後報告書も書かねばならん。面倒な」
「そ、そうなんだ。でも、怪我がなくてよかったよ。ごめんね、変な心配しちゃって」
「……いや、心配してもらえるのは、ありがたいことだ。感謝する。そうだ、狸穴蓮。このあと時間あるか?」
「へ? な、なに?」
うろたえる僕に、黒澤さんがポケットから傷だらけの黒いスマホを取り出した。
「回線が弱すぎて、学内システムに繋がらないのだ。明日、朝イチでパソコン室に行くつもりだが、穴場っぽい講義の情報があれば教えてほしい」
「……スマホ買い換えて、ちゃんとしたところと契約したら? それ三世代くらい前のでしょ」
「金があれば、とっくにそうしているとも。貴様はいいな、狸穴。金があって」
そんなこと言われると、なにも言い返せなくなる。黒澤さんがお金を持っていないのは、親が蒸発したからだとか、口さがない転生者から聞いたことがあった。そのせいかどうかは知らないけれど、黒澤さんはお金第一の拝金主義者として有名だ。
「黒澤さんには代理出席を頼むな」と口々に噂されていたりする。金をとられるから。
「あのさ、コーヒー奢るから、カフェの無料Wi-Fi使って、シラバス登録しなよ。あと、大学のみんなにも連絡してね。心配してたよ?」
「……奢りか。なら行く。感謝する」
黒澤さんは頷いて、ペットケースを乱暴に持ち上げた。猫が不満そうに鳴く。
「完了報告と受け渡しをしてくる。オタロードの喫茶店、わかるか? 本屋のとなりの」
「レトロなとこでしょ? 了解、先に行って席取ってる」
エレベーターに乗り込む黒澤さんと転生猫を見送ってビルを出ると、すでに空は真っ暗だった。街を照らす街灯と、南海難波駅の方向から響いてくる都会の喧騒が身体を撫でる。大阪という街は、暗くなってからのほうが活気を持つのだ。
約束した店で待っていると、黒澤さんが苦虫を嚙み潰したような顔で現れた。理由はすぐに分かった。一緒にいる女性が原因だ。黒のパンツスーツを着た、厚ぼったい眼鏡のお姉さん。
「ご無沙汰しております、狸穴さん。いかがですか、学業のほうは」
眼鏡のつるを指で押し上げて、仏頂面で言う。
「お久しぶりです、真田さん。ええと、ぼちぼちです」
「そうですか。入学して一年、そろそろひとり暮らしにも慣れて、目いっぱい遊びたい時期でしょうが、学生の本分は学業です。おろそかにしてはいけませんよ」
この人が、僕をF対に登録した恩人、真田さんである。見た目は地味な公務員だけれど、人類が産んだ抗体反応の一人で、F対関西支部の支部長。つまり大阪ギルドのトップだ。
真田さんはごく自然に、僕の対面の椅子に腰かけて、コーヒーを追加で二つ注文した。
「あ、私のはカフェラテで頼む。砂糖とミルクたっぷりで」
言いつつ、黒澤さんは僕の隣に座る。ややあって、コーヒーとカフェラテが運ばれてきてから、黒澤さんが目を眇めた。
「で、真田。わざわざギルドの外で、私と狸穴に話があるとは、どういう要件だ? あまり良くない話なのは、察しているが」
「一口くらい、飲んでからでもいいでしょうに。……わかりました。まず、狸穴さん。こちらを【鑑定】していただいてもよろしいですか?」
ビジネスバッグから取り出したのは、小さなペットボトルだ。怪しげな紫色の液体が、底の方に入っている。
「……外魂格、ここで使ってもいいんですか?」
「かまいません。狸穴さんのは、目立ちませんから。ほかにお客さんもおりませんし」
真田さんが言うなら、いいか。外魂格を展開し、ポケットから片眼鏡を取り出す。レンズ越しに【鑑定】して……、息を呑む。なんだこれ。
「F対では、スマート・ポーションと呼んでいます。ここ一年ほどで、大阪を中心に急速に出回り始めたものでして」
薬液に重なって、いくつもの成分の名前や効果が浮かんで見える。中毒症状だとか、幻覚を見るだとか、依存を引き起こすだとか、見るだけでも怖い効能が。
「ド、ドラッグじゃないですか、これ」
見るものイヤになって、【鑑定】の途中で片眼鏡を外す。
「そうです。薬効は、血圧上昇、散瞳、過剰なドーパミンの充溢による快感、および幻覚に幻聴――、そして、過剰摂取した場合は、魂を強制的に体外に拡張し、一時的に擬似的な外魂格を展開する薬効もあります。転生者であるかどうかを問わずに」
真田さんが淡々と告げた最後の薬効に、僕も黒澤さんも言葉を失ってしまった。
「転生者以外が、外魂格を……? ほんとうか、それは」
「前世の記憶なしでは、体外に拡張された魂は形を見失いますし、継承術も使えないようですが。強制的に引きずり出すようで、摂取量によっては、解除できなくなるようです」
「……
「端的に言えば、そうですね」
真田さんは、少し疲れた様子で溜息を吐いた。
「お二人には、このポーションの生産元について、調査をしていただきたいのです。これは緊急クエストとして発令するものです」
……なんて? 僕らに、ドラッグの調査を? 黒澤さんの目が、猛禽よりも鋭くなった。
「……まあ、私はいい。今までもこれからも、そういう役回りだ。だが、狸穴もか」
「ポーションを追う以上、【鑑定】役はいたほうがいいでしょう。偽物も出回っているようですから。もちろん、強制はしませんが」
「なぜ、貴様自身が動かない。抗体反応が動くに値する事案だろう、これは」
「それができたら、とっくにそうしています。別件で、別省庁への説明会を馬鹿な頻度で入れられておりまして、身動きが取れないんですよ」
真田さんは、顔をしかめて言う。
「散魂作用さえなければ、本来はテロリズム対応が主業務の法務省公安調査庁ではなく、厚生労働省近畿厚生局麻薬取締部……、いわゆるマトリの管轄です。実際、彼らもポーションを追っていました。製造組織にマル暴がかかわっていれば、公安警察の管轄にもなりますね」
「……省庁間のパワーゲームで、横やりを入れられたのか。面倒なことだな」
「全くです。私達が手を出せば、現場は『謎の部署が横やりを入れてきた』と思うでしょう。いつもなら高官連中に抑えてもらうのですが、すでに一億円以上の規模でポーションの売買が進んでいるらしく、彼らも今回ばかりは手柄を自分の省庁で押さえたいようで」
話についていけなくなりつつあった僕は、おずおずと手を挙げた。
「あの、公安だったら、同じ縄張りの仲間なんじゃ……?」
「私達は法務省公安調査庁F案件対策室関西支部です。公安警察は国家公安委員会警察庁ですね。どちらも公安ですが、あちらは警察官で、こちらはただの省庁職員です」
ぜんぜん味方ではないらしい。西日本最強の存在が、ただの省庁職員だとは、なんというか、政治の厄介さを感じる。黒澤さんは鼻を鳴らして、カフェラテを一口飲んだ。
「で、報酬は?」
「クエスト達成報酬で五百万円。達成条件は『スマート・ポーションがこれ以上世に出回らないようにすること』です」
「乗った。受注する」
「ご、ごひゃ……っ?」
即決する黒澤さん。僕はというと、びっくりしてコーヒーをちょっとこぼした。慌てて拭く。
「狸穴蓮、貴様はどうする。受けないなら、貴様の五百万は私がもらうが」
「そういう仕組みではありません。狸穴さん、イヤなら断ってくださっても結構です。あなたの望みが平穏な生活であることは、重々承知しておりますので」
「そんなことを言うなら、月一回の強制クエストも廃止してやればいいだろうに。私達の人権を侵害するF対の方針が異常なのだが。人権団体に垂れ込んでやろうか」
黒澤さんの嫌味に、真田さんは眉ひとつ動かさなかった。
「異常であっても、譲れない一線があるのですよ。再確認しておきますが、日本政府の見解は『転生者は別世界からの来訪者である』です。ヒノモト財団やガウ義軍の裏には転生者がいたと知っているでしょう?」
む、と黒澤さんが口を引き結んだ。ヒノモト財団もガウ義軍も、戦後テロリズムの代名詞みたいな存在である。
「日本政府は、転生者が侵略を試みる悪いテロリストになる可能性を否定できません。それが、F対がテロ対策を専門とする公安調査庁の中にある理由です」
F対が転生者に対して権利の締め付けを強化したのは、一九七〇年代から九〇年代にかけてだったと聞いたことがある。日本国内で数多のテロリズムが、いくつもの思想の元で花開いた時代。その勢力のいくつかに転生者が絡んでいたのは、F案件関係者の中では常識だ。
神話の存在や戦争の大英雄の正体ではないか――、と噂される転生者も、令和ではテロリスト予備軍扱いなのである。
「日本政府に忠誠を誓えとは言いません。思想も信念も自由です。ただし、その思想や信念によっては私達が動く、という話です」
ふん、と黒澤さんが鼻を鳴らした。
「ま、私は金を信じて生きているから、金さえ払ってくれれば問題はないが」
「我々も黒澤さんの拝金主義には助けられているんですよ。前世が高潔なエルフの祈祷師だったわりに、俗物的でコントロールしやすいですし。ほかの宗教関係の転生者では、こうはいきません」
「馬鹿を言うな。宗教関係者ほど銭が大好きな人種はいない」
「それもそうですね」
そんなやりとりに、うんざりする。正直に言えば、僕はぜんぜん乗り気ではなかった。
緊急クエスト。スマート・ポーション。三つの省庁の縄張り争い。テロリズム。どれもこれも、平穏から程遠い言葉だし。
「……すいません、真田さん。僕はお断りさせてください。危険のない【鑑定】クエストなら、いつでもやるんですけど」
「そうですか。それは残念です」
と、口で言いつつ、真田さんは仏頂面を少し緩めた。なんやかんや、優しい人なのだ。人類の抗体反応として生まれた以上、どれだけ穏やかな性格であっても、彼女には人類の盾として戦う以外の選択肢がない。ある意味、僕ら転生者よりもたちの悪い人権侵害の被害者だ。
「では、狸穴さんはここまで、ということで。コーヒー代はお気になさらず」
暗に出て行けと言っているらしい。お言葉に甘えて、ぬるくなったコーヒーを一気飲みして立ち上がる。
「――おい、狸穴蓮。ひとつ、聞いてもいいか」
呼び止められた。黒澤さんが猛禽の目で僕を見据えている。な、なんでしょう。
「貴様はなぜ、そうも平穏に固執するのだ?」
「……。さあ、なんでなんだろうね。忘れちゃったよ」
猛禽の瞳から逃れるようにカフェを出て、駅に向かって歩いているときに、黒澤さんにシラバスの話をしていないと気が付いた。怒っているだろうなぁ。それとも、緊急クエストの話で頭がいっぱいだろうか。僕にはもう関係のない話だけれど。
※※※あとがき※※※
カクヨムコン参加中です。
面白かったら☆☆☆のレビューの奴をよろしくお願いします。
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