《前期日程初日・昼十二時・大学食堂》(1/3)


 鈴鹿すずかは黒のブルゾンに白のタイトスカートをあわせた、見るからに大学生といった風体の女の子だ。


「やっぱりさぁ、男って甲斐性やん?」


 同じ大学、同じ学部の同学年。話すようになったのは、一年生のとき、第一外国語の講義で同じ班に振り分けられたから。以来、一緒に遊んだりサボったりする腐れ縁。

 二年生初日である今日も、いつもと同じ学食の隅っこの四人掛けテーブルに集まって、受講計画シラバスの登録やら、チョロい講義の情報交換やら、それからただの雑談やらをしていた。月曜日の二時間目が、同じく班員だった衛藤えとうと三人そろって情報リテラシーの講義だったから、そのまま学食になだれ込んできたわけである。

 そして、どういう経緯か、好みの異性の話になった。


「あたし的にはしっかり稼いでるヒトが素敵やと思うねんな」

「しっかり稼ぐって、いくらくらい?」


 雑に聞き返すと鈴鹿は「んー」と唸り、大きめのピアスをちゃらちゃら揺らして腕を組んだ。

 学食の素うどんをすすりながら、僕はテーブルに置いたスマホの画面を指でつついて、大学ホームページを開く。大学からの連絡事項――、『あなたの身近にある脅威! 危険薬物に気を付けよう』とか『未成年飲酒は違法』とかを読み飛ばして、シラバス登録画面に進む。心理学と哲学基礎は評価がテストではなく定期レポートらしく、例年通りなら出席点の比重は低め。レポートさえ出していれば適度にサボれる講義だから、押さえておきたい。


「……年収五百万円くらいあったら、ええかなぁ」

「意外と低いんだね。甲斐性って言ったくせに」


 五億円とか言うと思っていた。


「いやあ、共働きやったら五百万円も稼いでれば十分やん。そら、あたしも旦那が五億円稼いでくれたほうがええけど、リアルな数字やとそんなもんやろ。旦那の収入そんだけあれば、おとんもおかんも納得してくれるやろし」


 リアルねぇ。最近は大卒でも年収五百万は厳しいって聞くけど、どうなんだろう。


「であれば、鈴鹿氏。リアルではない数字ならば、いかがかな」


 椅子に座ってソシャゲをしていた衛藤が、スマホから目を離さずに合いの手を入れた。まだ春先だというのに、黒いTシャツと迷彩柄のハーフパンツに、はち切れんばかりの筋肉を詰め込んだ丸刈りの大男である。趣味はハードな筋トレとゲームとアニメ鑑賞。なぜか他人のことを『氏』付けで呼ぶ。


「リアルじゃない数字なら、五千兆円やなぁ」

「アメリカの国家予算が一兆六千億円くらいなので、鈴鹿氏の旦那になるなら約三千アメリカ必要ってことになりますな」


 そんな単位ねえよ。


「あと、高身長でイケメンでイケボ」

「性格はどうです」

「どうでもええ! 男は金と顔や!」

「真っ昼間から最低なこと大声で言うなよ……」


 ものすごくジェンダー指数の低い会話するじゃん。時代に逆行している。ていうか、


「さっきは五百万円で良いって言ったくせに、結局、金と顔じゃねえか。感心して損した」


 ぼやくと、鈴鹿と衛藤が顔を見合わせ、にやにや笑った。な、なんだよ。


「それ、狸穴くんが言えることなん? 白河しらかわちゃん、めちゃ美人やんか」

「実家も裕福だと聞きます。白河氏には、金も顔もあるわけですな」

「……な、なんで白河さんの話になるんだよ」


 白河さんというのは、鈴鹿、衛藤と同じく、外国語の班で一緒だった女子生徒である。


「ええ? まだバレてないつもりやったん? 好きなんやろ?」


 うぐ。鈴鹿から視線を背けたける。でも、鈴鹿はスマホを机に放り出して僕に顔を近づけ、無理やり視界に入ってきた。面倒な履修登録より、僕をいじる方が大事だと判断したらしい。もっと学業を大事にしろ。


「狸穴くん、最近、白河ちゃんとはどうなん? 連絡とってる? デート誘った?」

「どうもこうもないよ、用事もないのに連絡しないし。ていうか、白河さんにはホント、そんなんじゃないし……」

「白河氏はインカレの植物研究サークルにも精力的に参加していて、交友関係も広いですからな。焦ったほうがいいかもしれませんぞ」


 衛藤が言う。こいつはこんなキャラクターなのに謎に交友関係が広くて、いろいろなゼミやサークルに顔が効くのだ。


「衛藤くん、インカレサークルってなに?」

「学外サークルのことです。他大学の生徒と一緒に活動するサークルで、テニスやったりラグビーやったり鉄道の写真撮ったり合同でライブイベント打ったり未成年飲酒で摘発されたり乱交で摘発されたり……、そんな感じで、活動内容はいろいろですな」


 摘発は活動じゃねえだろ。


「ほな、狸穴くん、なおさら急がなあかんやん! 白河ちゃんが摘発されてまう前に!」


 なんで白河さんが摘発される前提なんだよ。僕は伸び始めた素うどんへ乱暴に箸を突っ込む。


「うるさいなぁ! あのね、僕はそもそも白河さんがどうとか――」


 そこで、頭上から「んっ、ん」と咳払いが聞こえた。恐る恐る振り返ると、茶色の長髪をふわふわのローポニーに纏めた女子が、眉をひそめた困り顔で立っていた。

 春らしいジャケットと、ゆったりしたデニムも似合っていて、モデルみたいだ。その美貌に見つめられるだけでどぎまぎしてしまう……じゃなくて。


「まみくん、私がどうかした?」

「し、白河さん……。あの、もしかして、聞いてた?」


 ううん、と白河さんは首を横に振る。よかった。本人に聞かれていたりしたら、恥ずかしくて死ぬところだった。


「あんまり聞こえなかったけど、私の名前が聞こえたから。なんだろーって思って。……もしかして、邪魔だった?」

「いや、いやいやっ! ぜんぜん邪魔とかじゃなくて! その、白河さんが、ええと……人気があって、サークルも頑張ってて、それでその、すごいなっていうか、そういう……」


 お世辞にも上手とは言えない誤魔化し方だったけれど、白河さんは、ほっとした顔で両手を合わせた。


「そうなんだ! わあ、よかったぁ。悪口言われてるのかな、とか思っちゃって」

「言うわけないよ! ねえ、衛藤も鈴鹿も!」

「自分は基本的にだれの悪口も言いませんが」

「あたしは言うでぇ? スタイル良すぎてズルい! とか、顔面美少女すぎてセコい! とか」

「もうっ! からかわないでよ、すずちゃん」


 にへへ、と鈴鹿が笑って、僕に『すまん……』と目線で伝えてくる。白河さんは、ごく自然な動きで鈴鹿のとなりに、つまり僕の正面の席に腰かけた。


「シラバス決めてるんだよねっ? 私も混ぜて! まだ決め切れてなくてさ」


 白河さんが、にっこりと笑う。


「こうやって集まるの、なんか久々だね。春休み挟んだだけなのに。くろちゃんがいれば、全員揃うけど……」


 そういえば、そうだ。一回生のとき、同じ班だった五人のうち、四人が揃っている。残りの一人は黒澤さんという女の子で、さっぱりしすぎなくらい、さっぱりした美人だ。

 バイト先が一緒なので、僕と学外で交流がある、数少ない女子でもある。


「くろちゃん、スマホの回線よわよわだから、シラバス登録するのにパソコン室使うしかないし、今日は来ると思ってたんだけど……、いなかったんだよね」

「あー、そっか。そういえば黒澤さん、格安SIMやっけ」


 どうしても外せない仕事が入って、泣く泣く初日を諦めたんだろうな。黒澤さんは僕と違って武闘派だから、急な勤務がよくあるのだ。


「春休み中もぜんぜん連絡なかったし、くろちゃん、病気になってないか心配だよ……」


 しかし、そうか。僕は春休み中、黒澤さんを何度か見かけたけれど、みんなからすれば『連絡がしづらい生死不明なやつ』になるのか。令和の女子大生とは思えない生態だな。


「……バイトが忙しいんだよ、きっと」


 と、フォローしておく。


「苦学生だもんね、くろちゃん。学費と生活費だけでも厳しいのに、三回生になって就活が始まったら、もっとお金かかるでしょ。大丈夫かなぁ……」

「うわー、就活とか考えたないわぁ。あたし、やっぱり玉の輿がええ! 三千アメリカの男と!」


 鈴鹿さんがおどけると、白河さんが首を傾げた。


「三千アメリカ……? なにそれなにそれ」

「結婚相手はどんなひとがいいか、みたいな話でしてな」

「お。お? せや、せや」


 鈴鹿がまたにやにや笑いを浮かべた。なんだよ。


「白河ちゃんはさ、結婚する相手はどんな人がええ?」


 なんてこと聞きやがる。


「え? やだーそんないきなり……うーん……」


 白河さんのことだ、真面目に答えてしまうに決まっている。けれど、いや、これくらいなら日常会話の範疇か? 白河さんも不思議に思っていないみたいだし、だとするとよく聞いておいたほうがいいのかも。いや、聞いたからといって、どうこうするわけじゃないですけどね?

 数秒の空白を置いて、白河さんは答えた。


「……強いていうなら、運命のひと、かなぁ」


 斜め上の空中を見上げて放たれたメルヘンな言葉に、テーブルの上の空気が固まった。


「そ、そっか……うん、せやね……」


 澄んだ瞳で言われたので、僕も鈴鹿も衛藤もなんとなくそれ以上触れにくくなってしまって、会話はそこからまた今期の講義のどれが穴場か、なんていう益体もない雑談に戻る。鈴鹿もテーブルに放り出したスマホを取り上げて、シラバスを詰めていく。


 一時間ほどで、だいたい詰め終わった。衛藤は筋トレが、白河さんは用事があるとかでさっさと帰った。中天を過ぎて去っていく太陽を窓越しに眺めていると、鈴鹿が半目で呟いた。


「……ようわからんけど、どんまいやなぁ、狸穴くん」

「なにが?」

「運命のひと、ぜったいアンタちゃうやん」


 うるせえ。


「ていうか、運命てなんやねん。前世で恋人やったとかそういうのん?」

「……知らないよ。そもそも僕、前世とか信じてないし」


 僕はさらりとうそを吐いた。

 実のところ、僕にはばっちり前世の記憶がある。



※※※あとがき※※※

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