ダーティーエルフの黒澤さん:オーバードーズ・オーサカ

ヤマモトユウスケ

《前期日程五日目・深夜十二時・大阪府梅田の立体駐車場》(1/1)

《前期日程五日目・深夜十二時・大阪府梅田の立体駐車場》


「なんで二億円なの?」


 大阪梅田の立体駐車場で、太い柱の隙間に身をひそめながら、僕はふと、黒澤くろさわさんにそんな質問をした。

 四月になったとはいえ、十二時を回れば気温は下がる。春の夜特有の、しっとりと肌に纏わりつくような冷たさを、僕は会話で紛らわせたかったのかもしれない。だから、スマホにつないだBluetoothイヤホン越しに、黒澤さんに話しかけたのだろう。


『なんだ、狸穴蓮まみあなれん。いきなり妙な質問をするな』


 少しハスキーな女の声。カメラ不使用の通話アプリ越しでもわかる。黒澤さんはいま、端正な顔をしかめているに違いなかった。


「いや、なんか『老後に備えて二億円貯めておく必要がある』って言ってたけどさ、アレって、たしか二千万円じゃなかったっけ、と思って」


 老後二千万円問題。定年退職した老夫婦が、三十年間ふつうの生活を送るために必要な金額だったはず。それを考えると、黒澤さんが目標とする貯金二億円というのは、いささか盛っている気がするけれど……。黒澤さんは呆れたように大きな溜息を吐いた。


『いいか、狸穴蓮。日本の政治家が『老後に二千万円必要だ』と言ったのなら、老後の私達が実際に必要とする金額は、その五倍なのだ』

「もうちょっと政治を信用してあげようよ……。ていうか、五倍なら一億円でいいじゃん」


 黒澤さんは『ふん』と鼻を鳴らした。


『私のような、控えめで清楚で優しくて包容力のある美女は、頼りなくて金遣いが荒くて浮気性な悪い男と結婚する羽目になるからな。その倍は必要になるだろう』

「控えめでもないし清楚でもないし優しくもないし包容力もないだろ。ていうか、そんな悪い男と結婚する前提でライフプラン組むなよ……」


 しかし、結婚相手のことも考えての目標額だったのか。


「……ちなみにだけど、黒澤さんは、金と愛なら、どっちが大事?」

『決まっているだろう。愛だ』


 即答だった。そして、意外な回答だった。守銭奴な黒澤さんのことだから、金だと答えると思っていたから。


『だが、その問い自体が無意味だと、私は思う。金は価値を数量化し交換可能にする、いわば価値の代替物でしかない。金と愛を二つ並べて、どちらかを問うこと自体がナンセンスだ。金と愛がイコールでつながる人間もいるからな』

「愛をお金で買えちゃう人もいる、ってこと?」

『身もふたもない言い方をすれば、そうなる』


 なるほど。けれど、それはつまり――。


「黒澤さん個人は、愛は金で買えないと思っているんだね」

『……無駄話はここまでだ、狸穴蓮』


 照れて話を誤魔化したのかと思ったけれど、違った。


『来たぞ』


 はっとして、柱の影から少しだけ顔を出す。蛍光灯に照らされた駐車フロアに、少しずつ人が集まりつつあった。年齢、性別、格好まで様々だ。高そうなスーツの男もいれば、ローファーを履いた背の低い女もいる。

 ただ、全員に共通しているのが、被り物だ。激安ディスカウント・ストアで売っているような、ゴム製のゾンビやグレイ型宇宙人の顔が、混沌の中に統一感を醸し出している。


『狸穴蓮。どれが『パパ』だと思う?』

「……スーツの男かな。あいつだけ、でかいカバン持ってるし」

『ボストンバッグのゾンビ頭だな? わかった、奴らがポーションを出したら【鑑定】しろ。貴様はしっかり隠れているのだぞ、弱いのだから』


 言われなくても、僕に戦闘能力がないことは、だれよりも知っている。危ないことはしない。

 集団が十人を超えたあたりで、怪しげな集会が始まった。輪ゴムで束ねられた現金がスーツのゾンビ頭に手渡され、代わりにボストンバッグから身にサイズのペットボトルを取り出して交換する。中身は紫色の怪しい液体だ。

 僕はポケットから片眼鏡を取り出して装着し、レンズ越しに彼らの手元をじっと見た。【鑑定】スキルが発動し、ペットボトルの中身を赤裸々にする。


「……見えた。スマート・ポーションだ」

『F案件物質譲渡の現行犯だな。出るぞ』


 黒澤さんの言葉も、どこか張り詰めている。当然だ。相手は人殺しなのだから。駐車場の入り口側に隠れていた黒澤さんが、売人どもの集会にするりと躍り出て、仁王立ちする。


「ああ? なんだ、おまえ。だれの紹介だ? 販売なら被り物を――」

「全員その場を動くな」


 冷たい声が、駐車場の空気を切り裂いた。相変わらず目立つ女だな、と思う。

 ショートカットの黒髪は、左右をそり上げたツーブロック。耳には複数のピアスが光り、健康的なホットパンツとパステルカラーのパーカーを着込んで、足元はサイケデリックにリペイントされた、古びたスニーカー。右手には凹みだらけの金属バットをぶら下げている。

 目深にかぶった真っ赤なキャップと、口元を隠す黒いマスクのせいで、目元しか見えない。その唯一見える異様に鋭い瞳が、よく訓練された猛禽みたいだと、いつも思う。

 彼女こそが、僕の通話の相手――、黒澤さんである。


「私は公安調査庁の嘱託調査員だ。ポーションを置いて、大人しく拘束を受け入れろ」


 言った瞬間、ざわりと空気がどよめいた。


「……麻薬取締官マトリか? こんなに若い女が?」

「公安って言ったぞ、警察じゃないか?」


 被り物の売人たちは、警戒しつつも逃げ出そうとはしない。舐められているのだ。それも当然か。だって、どう見ても大阪アメ村好き女子って感じだし。

 黒澤さんは嘆息しながら、スーツの男に金属バットの先端を向けた。


「麻薬取締官は厚労省だ。公安警察は国家公安委員会の警察庁。公安調査庁は法務省……、いや、わかるやつにはわかるように言ってやる」


 猛禽みたいな瞳が、獲物に突き刺さる。


「私はギルドの冒険者だよ」


 言った瞬間、スーツの男がボストンバッグを投げ捨て、「だらァ!」と怒号を上げて黒澤さんに殴り掛かった。きゃあ、とか、わあ、とか言いながら売人たちが逃げていく。

 僕は逃げ惑うマスクたちをこっそりスマホで撮影しつつ、黒澤さんの喧嘩を見守る。

 スーツの男の全身から、緑色の霞みたいなオーラが立ちのぼっている。安っぽい映画の演出みたいで、現実味を感じられない光景。


「異世界転生者がッ、ナンボのもんじゃいッ!」

「こういうときも、ぼちぼちでんなぁ、と答えたほうがいいのか?」


 軽口を叩きながら、あっさりとパンチをいなす黒澤さんもまた、半透明の黒いオーラを纏っている。ただ、オーラは霞状ではなく、ひとつの形を形成していた。尖った長い耳の形に成形された、ヒト型のオーラ。

 あれは魂だ。黒澤さんの、魂。前世のカタチで展開された、外骨格ならぬ外魂格。

 男のおおぶりな拳をひょいひょいと避けながら、黒澤さんはものすごく冷静に呟いた。


「不定形の外魂格エグゾアニマ……、本当だったとはな」


 次の瞬間、男が鈍い音を立てて吹っ飛んだ。立駐の床をごろごろ転がり、壁にぶつかって止まる。黒澤さんの細い体から繰り出されたとは思えない強烈な攻撃が、春夜の冷たさを切り裂いて空気を揺らした。金属バットで容赦なくぶん殴ったのだ。


「非転生者の魂を、ほんとうに体外に拡張しているのか。信じられんな。魂が拡散して死ぬぞ」


 転がされた男は、よろよろと立ち上がった。緑色のオーラが空気に溶けていく。


「な、なんらよ、てめぇッ」


 歯が飛んだのか、脳が揺れたのか。かなり怪しい呂律で、男は泡を飛ばして叫ぶ。

 そこでようやく、黒澤さんの外魂格の形に気づいたらしい。蛍光灯の下とはいえ、夜に溶ける色をしているから、わからなかったのだろう。


「だ、だーく、えるふ……?」


 困惑した声に、僕は思わず変な笑いを漏らしそうになった。たしかに、そういう色で、そういうシルエットだ。


「エルフではあるが、ダークではない。外魂格が黒くてな。まあ……、少しばかり、ダーティーではあるかもしれんが」


 黒澤さんが嘯く。そうだ。それゆえに、黒澤さんを知る人は、彼女を称してこう呼ぶ。


 ダーティーエルフの黒澤さん、と。


 黒澤さんが男に近づいていく。男は立ち上がって、拳を振り回し――、たやすく、黒澤さんに受け止められた。


「は、はなせッ」

「そうはいかん。捕まえに来たのだからな」


 掴まれた手を振り払おうとするも、黒澤さんの怪力が逃亡を許さない。外魂格がもたらす『前世のステータス』が身体性能を拡張し、体格差を覆しているのだ。地球の物理法則から解き放たれたいまの黒澤さんは、二トントラックの衝突だって正面から受け止められる。


「貴様に聞きたいことがある。紫色の薬液の、その大元についてだ。その件について――」

「おらあッ」


 男は叫んで、もう片方の腕を黒澤さんめがけて振り下ろした。

 ぼぎん、と嫌な音がして、男の右腕がだらりと垂れる。


「……正当防衛だ。悪く思うな」


 力を失った腕を見て、僕は目をそらす。稲妻みたいな速度で振るわれた黒澤さんの金属バットが、腕の骨を叩き砕いたのだ。砕かれた骨が、二の腕を支える能力を失ってしまった。

 ぎゃ、から始まる絶叫が深夜の駐車場に響き渡る。立駐とはいえ、外に悲鳴が漏れるとまずい。同じことを考えたのか、黒澤さんが男の首の後ろあたりをぶん殴って黙らせた。緑色のオーラが霧散し、消える。目の前で続いた暴力的な光景に、意識が遠のきそうになる。


「……おい、なにを呆けている。狸穴蓮、行くぞ」


 男を肩に担ぎ上げた黒澤さんが、柱の影に隠れる僕を半目で見た。


「売人は全員逃げたようだな。……おい、ボストンバッグはどこだ」

「あ、ええと、ごめん、だれかが持ち逃げしたみたい」

「物証が逃げたか。……まあいい。こいつだけでも、情報はじゅうぶん吐き出すだろう」


 黒澤さんはなんでもないことみたいに言って、駐車場の上の階へ向かって歩き出した。ワンさんたちが手配したワゴン車が停まっている。


「ちなみに、その、どうやって……、情報を聞き出すの?」

「私の継承術スキルは【治癒】だ」

「……だから?」

「喋るまで、殴って治してを繰り返せる。勘違いするなよ、私のアイデアじゃない」


 今度こそ、勘弁してほしかった。それ、拷問じゃないか。F対への報告書にはなんて書けばいいんだ?

 立ち止まって、立駐の隙間から、高層ビルに切り取られた闇夜を眺めてみる。いつも通りの大阪の空。けれど、どこかいつもと違う風景に見える。

 ここは地球で、日本で、大阪で、夜十時過ぎの立体駐車場で。だというのに、魂のオーラを纏ったヤク中の売人や、金属バットで武装した同学年の女子と一緒になって、僕はいったいなにをやっているのだろう。

 平穏とはまるで逆。僕が夢見る普通の生活から、どんどん離れていっている。

 暗くて薄汚れた大阪のアンダーグラウンドに、片足を突っ込んでしまったのだと自覚する。

 ほんの三日前は、こんなことになるなんて思ってもいなかったのに。



※※※あとがき※※※

Web未公開の過去作品です。完結まで毎日どさどさ投稿していきます。

面白かったら☆☆☆のレビューのやつをよろしくお願いいたします。

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