格闘家カノ 2/2
強烈なパンチを喰らったかのように、僕の頬は腫れた。運営の人が持ってきてくれた氷を使って、冷やしながらの取材になりそうだ。結果的に2人の言い合いはおさまったからいいのだが。
僕の決死の仲裁のおかげで、取材を始めることができた。カノはまだ不機嫌そうにそっぽを向いており。カノと言い合いをしていた男は申し訳なさそうに下を見ている。
「改めまして、本日から取材をさせていただきます。記者のギルロと申します。こいつは助手のコリンです」
僕は今助手という立ち位置だったのか。ぺこりとお辞儀をすると、「コヒンです。よろひくおねがいひます」と挨拶をした。
「本日は大変お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。わたくし、ソード社の広告を担当しております、ゾロフと申します」
ゾロフさんは深々と頭を下げた。ソード社というのは、どうやらスポンサーの警備会社の名前らしい。
「えーでは、明日から始まる勇者杯の取材で伺わせていただく時間をですね……」
これから行われる取材用の写真で、カノは明日からの試合の衣装を着るらしい。カノが別室で着替えている間、ギルロがゾロフさんと今後の打ち合わせをしてくれたので、僕はその様子を見学することになった。
それにしても、部屋は酷い有様だ。散らかしたものはあらかた元の位置に戻したのだが、元に戻した物も、投げたものや当たった壁がひどく傷ついている。特に目立つのがインテリアで飾られていた銅像。元々剣を掲げていたようだが投げた拍子に剣が壁に刺さって抜けなくなったらしい。カノが腕をへし折って元に位置に戻してくれたので、剣と腕だけ壁に刺さっている。
「何見てんのよ」
よそ見していたら着替え終わったカノの目をつけられてしまった。
「あっ、なんでもないですっ」
高圧的な目で睨みつけるカノにゾロフさんが話しかけた。
「カノ、やっと着替え終え……。お前まだ『それ』付けてるのか」
ゾロフさんは落胆したように瞼を指で押さえた。
ゾロフさんが『それ』と言った物。本人に聞いたわけではないが、カノの着替えた姿を見てすぐわかった。ソードじゃのロゴが印刷された動きやすそうな衣装。その胸元には紫色に光る首飾りがぶら下がっている。格闘家がつける装飾品はせいぜいブレスレット程度だ。
「いいじゃない! 勇者杯は私の勝負よ。なにしたって勝手でしょう」
「そんなわけないだろう! 今回の参加はうちの宣伝も含まれている。カノが好き勝手できる試合じゃないんだ」
そうこうしているうちにまた言い合いが始まってしまった。それに割って入るようにギルロが話し始めた。
「まあまあ、2人とも落ち着いてください。じゃあ、今回の取材はこのままで行いましょう。取材で身につけている分には、なにもおかしくないですから。いいですよね? ゾロフさん」
ギルロの仲裁のおかげで2人は言い合いをやめた。しかし、2人の態度からは変わらず緊迫感が漂っている。そんな2人を気にすることもなく、ギルロは取材の準備を進めた。記者にとっては意外とよくある出来事なのかもしれない。
不機嫌な2人だったが、取材が始まってしまうとスムーズにことが進んだ。決して仲直りしたわけではないが、それ以上にギルロの行う取材はスムーズだった。対話を通して2人からの情報を深掘りする。これが先輩記者の技かと感心しながら記録をした。
「ところで、カノ選手が今身につけている首飾りですが……」
ギルロはあの首飾りについて触れた。記事にも載せるつもりなのだろうか。
「その首飾りは何か特別な物なのでしょうか?」
「これ、ここの控室で会った選手の人からもらったの。リーデンって人なんだけど」
リーデン。その言葉にゾロフがわずかに反応した。
「リーデン選手ですか! リーデン選手といえば、数年前から連続で参加してる選手ですよね」
「そう、同じ近接的な魔法を使うから気が合ったの。それでこの前友好の印にって」
「ほお、リーデン選手といえば淡白な受け答えで有名ですから、珍しいですね」
「珍しいなんで言葉で片付けられないな」
今まで黙っていたゾロフさんは、急に口を挟んだ。
「ゾロフといえばいたぶるような試合をしたかと思えば、下馬評では圧勝のはずの試合に棄権をする。客からも先週からも嫌われた状態の読めん男だ。その首飾りにも何か思惑があるはずだ。それなのにカノときたら……」
カノがまた食いかかろうとしたが、ギルロがすかさず話を進めた。
「……そんな友好関係のあるカノ選手とリーデン選手ですが、どちらも勝ち進んだら3回戦で対戦することになりますね」
「そうね。リーデンさんは尊敬できる人。でも、試合となったら勝たせていただくわ」
うまく話題が軌道修正できた。
「なるほど、まずは明日の一回戦の勝利が必須ですね。明日は『影使い』ミト選手との対戦ですね。対戦の意気込みを聞いてもいいですか?」
カノは深呼吸をすると落ち着いた調子で言った。
「殺すわ」
ギョッとして記録していたペンが止まった。ギルロが「殺しは禁止ですけどねえ」と頭を書きながら言った。
「ありがとうございました。明日も試合の後取材させていただきます」
一通り取材をすると、写真を数枚撮ってお開きとなった。1時間程度の取材だったはずだが、なかなか内容の濃い体験だった。
「ギルロさん」
「ん?」
「今日の取材、相当荒れてましたけど、ああ言ったことよくあるんですか?」
「いやあ、ないない。とんだおてんばな嬢さんだったな。ありゃゾロフさんも手を焼いてるはずだ。おっかねえ」
ギルロは取材で撮影した写真を吟味しながら言った。ギルロが撮ったカノの写真には、さっきの荒ぶった様子は少しもない(よく見ると背景の壁がボロボロだが)。写真というのは都合のいい場面だけ写すことができる都合のいい物なんだな。
「カノの試合は明日の最初の試合だ。朝早いからしっかり寝とけよ。じゃ、また明日な」
「はい。お疲れ様です」
昼前にギルロと会った今日だが、気づけばあたりは夕日に染まっていた。明日からは勇者杯が本格的に始まるため、僕たちのやることも増えるだろう。
1人になると急に眠くなった。今日は頑張った。宿に帰って早く寝よう。
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