#3 腹が減っては……
なんとか意思疎通を図ろうとして、早一時間も経っていたらしい。もう夕飯時か。リエーユさんも多分お腹が空いているこったろう。ここは一つ、私の料理でも振る舞うとしますか!
「trang al Dargt quo?」
立ち上がると、そんなことを訊かれた。相変わらず全くわからないが、状況的には「どこに行くの?」とかそんなかんじだろう。私は台所の方を指さして、
「とらんぐ あいす」
と言った。「あいす」は「私」そして、この言語は動詞が先にくるVSO型だろう。だから、「とらんぐ」は「行く」みたいな意味と推測できる。
彼女は納得して頷くと、何か言おうとする素振りを見せたが、どうせ通じないことを察して諦めたらしい。では、料理の開始である。
冷蔵庫を眺めて真っ先に飛び込んできたのは、カップ麺だった。これでいいや、という気持ちもあれば、いやいやそれでは料理を名乗れんだろう、という気持ちもある。両者は脳内を左右に分けて布陣し、完了するなり合戦が始まる。一進一退の攻防をどちらが制するか……。勝者は、カップ麺でいいやと主張する怠惰な野郎だった。
まずヤカンにお湯を入れて、それを沸かすと、すぐさまにあらかじめ用意したカップ麺にぶち込む。十分な量を二つ分確保できたならば、ヤカンは適当な場所に置いておき、蓋に重しをかけて密封し、タイマー設定は三分としたならば、あとは待つのみである。
待ち時間、無言の空間の中に二人は凍っていた。お互いがお互いの母国語で喋ったところで通じやしないし、では相手方の言葉を学ぼうとしても、胃が空洞同然になっていてはその気力も起きないものである。ある人は、そういった時の方が脳をより酷使できるなどと宣うわけだが、彼は気力と無気力の概念もない、とても幸せで充実した人生を送るに違いない。私もそうであったら、今ごろは名門校に通って、数年後には東京にある赤門をくぐっているに相違いないだろう。ただ、悲しいかな私は理系教科についてはこれっきしなものである。比較的歴史だったり国語、英語は得意なのだがね。というのも、両親は私の幼い頃、英会話教室に通わせていたものだから、その時の学びが脳裏に無意識のうちに張り付いているのだろう。
無駄話もほどほどに。まるで膨張しきった宇宙空間のように静まり返ったこの空間は、三分経過を知らせるタイマーによって、ここが地球という、ちっぽけだが高密度な空間の一区画であることを思い知らされた。目の前にいるのはそんな惑星の外から、しかも四次元的な方向からの旅人なのだが。
蓋をとって、箸を渡す。そういえば異世界人は箸を扱えるのかね。かといってスプーンで食べさせるわけにもいかないだろうし。まあ、困るようだったらフォークを持ってこようか。
「いただきます」
両手を合わせてそう言う。思えば、彼女の文化ではどうだろうか。いただきますなんて言うのは地球上では日本ぐらいしか知らないが、もしかしたら相当するような言葉があるのやもしれない。
「
リエーユは、胸元の上あたりに手のひらを充てがって、目を閉じて、上に記した通りに呟く。日本人からすれば何かを誇らしげに語るような仕草に見えるが、これが彼女の文化での「いただきます」なのだろう。彼女は箸を一本づつ両手を使って鷲掴みにすると、麺を二つの棒で掬い上げて、それを食べようとする。しかしその寸前で麺は棒からするりと転げ落ちてしまった。うーむ、やはり箸は慣れないか。
「
何を言っているのかはわからないが、言いたいことはわかる。まず間違いなく「これどうやって使うの?」みたいなことを言っている。私はとりあえず見てろと言わんばかりに、箸で麺を摘み上げて、ずるっと口へと吸い込ませた。彼女もそれを見るなり真似しようと、覚束ないながらも箸で麺を摘み上げることには成功した。大体三十秒くらいの格闘の末に、である。
さて、おそらく箸の使い方を尋ねたのだろう先ほどの文を、カップ麺による自らの味覚破壊を横目に考察しておこうか。「ぷろーつ」はVSO語順だとする仮説が正しいならば、「使う」みたいな意味の動詞だろうか。「ゔぁーへ」はわからないが、「うんと」もよくわからない。語順的には目的語然としているが、「これはどうやって使うのですか?」と言う文章に目的語が出てくるとは考えにくい。ならば、「これ」みたいな意味かもしれない。パズル的な解き方に従えば、残りの「ゔぁーへ」は「どうやって」に対応することになる。最後の「くわ」は、疑問文にやたらと出てくるから、終助詞の類な気がする。
と、そんなことを考えていたら、両者ともカップ麺を空にしていた。彼女、リエーユも腹をさすって満足げな笑みを浮かべている。カップ麺の味は、おそらくの異世界人にも通用することがここに実証された。ただしnは1とする。
…………いや、1以上あってたまるか。
家に突然"異世界から来た美少女"が現れました。 刈谷つむぐ @kali0710
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