風属性の報告書

ポロポロ五月雨

第1話前編、エーオース


 男は朝、起きて歯磨きをするため洗面台に立ち、歯ブラシを口に突っ込んだままトースターにパンを入れる。やがて多少なり歯を磨き終わると、うがいをして髭を剃る。すると大体剃り終わった時にはパンが焼けているので、ちょうどいい時間にはスッキリした顔でパンが食える。男の名前はジェイムス。中年の働き人。


「うわぁ、こりゃ余計なもんが届いたな」


 ジェイムスは焼き上がったパンをガリガリ食いながら、口から悲壮感漂う暗い声を出した。彼の目線の先には、会社から届いた手紙が置いてある。さっきポストをまさぐったら出てきた紙で、どうやら2日前には届いていたらしい。紙の山に埋もれて、今朝ようやく引っ張り出してきた。


「見たくねぇ」


 会社からの手紙と言うとロクな物がない。大抵は給与明細とかだが、偶にド級の嫌な紙が届く。それを恐れながら、ジェイムスは封筒をハサミでえいやと切り裂き、中の畳まれた紙を見た。

 そこには『出張命令』とタイプされた角ばった文字があった。これこそジェイムスの恐れていたド級の嫌な手紙の正体である。


 ジェイムスの会社はこの世界にしばしば訪れる『エーオース』というダンジョンを処理する、厄介で危険な会社である。故に給料は良いのだが、常に死と隣り合わせなので、人気はない。ジェイムスだって出来ればなりたくなかったのだが、諸事情によりこの職に就いた。それにこの職に関しては強みもある。


 さて、とはいえ異動命令が下ったからにはジェイムスは従わざるを得ない。エーオースは常にどこに出現するか分からないので、それに従ずる仕事となれば出張はしょっちゅう。ジェイムズもこの年になるまで、100回以上は各地を転々としている。


「あーもう。次はどこなんだ」


 ジェイムスは出張先の文字を見て愕然とした。

 なにせそこはココから数百キロ先。全く知識のない、ほぼ別の国だったからである。




「えぇ、いらっしゃいやし。いやぁよくぞお越しくださった」


 長旅の末、ジェイムスはゴトゴト揺られて異動先に着いた。そこは絵に描いたような辺境の地で、野っぱらが無限続くかのような広大な農地である。その中にポツンと、迎えの女性が立っていた。


「やーやー、まさか『パンチパレード社』の方がここまでわざわざ。ご足労どーも」


 パンチパレード社と言うのはジェイムスの会社である。


「いえ、仕事ですから」


 ジェイムスは長旅の疲れから捻出した出来る限りの笑顔で、ネクタイを締め直しながら挨拶をした。女性もそれに応えて、にこやかに笑顔を浮かべる。

 そんな社会人の応酬はそこそこに、女性は仕事について話し始めた。


「依頼の通り、エーオースが現れましてな。入口は7から8m。地元のギルドが色々頑張っとるんですが、どうにも上手くいってないようで」


 女性は話を続けた。


「魔物は今の所スライム系とスケルトン系。しかしどうやら耐性付きで、おそらくエーオース内にウィッチでもいるんじゃないかとね。ギルドで色々やってみたんですが、現状確認されているのは火と水耐性」

「どうやって確認を?」

「『フレア』と『アクア』を使ってみたんですが、てんで効かんのです」


 フレアは火魔法、アクアは水魔法の代名詞的魔法だ。この2つが効かなかったとなると、確かに耐性を持っているとみて間違いない。そしてそんな耐性を付与できるとなれば、彼女の言う通りウィッチがいてもおかしくない。


『7から8か…』


 ジェイムスは眉に少しのシワを寄せた。

 というのも、エーオースの規模は基本的に入口の大きさと比例する。小さいもので1mから、大きいもので30m。ちなみにその30m規模のエーオースは千年前から誰も攻略できていない、不可侵の領域として周囲を封鎖されている。まぁそんなエーオースは伝説の話で、実際は平均で5mくらいのことが多い。つまり入口7から8mというのは、平均よりちょっと上くらいの大きさである。


「少し大きいですが、やってみましょう」

「あぁ!ありがたい。よろしくお願いします」


 ジェイムスは業務的なスマイルで女性を安心させるとともに、心では冷や汗をひとつかいた。ジェイムスがこれまでに攻略したエーオースは、最大で10m。しかしそれは先輩と共に出向いた先の話であり、一人で攻略するなら、今回の規模感の仕事は、ジェイムス人生最大の規模である。


『会社に試されてるな。これを上手くやってのければ、昇進もあるかもしれん』


 ジェイムスは久々の挑戦的プレッシャーを胸に、自らを鼓舞するよう肩を回した。




「ここが地元のギルドですー。人手が欲しい時は、暇な奴らが対応しますんで、ナニトゾ」


 女性に案内された先には、木組みの小屋と呼ぶには多少小さいくらいのウッドハウスがあった。女性が早足で駆け寄り、ドアを開く。


「みんなー!パンチの人来たよー!」


 パンチと言うのは巷でのパンチパレード社の略称である。女性の呼び声とともに、中からひとりの大柄な男性が出てきた。2mくらいの背に肉体のアーマーを着込んだような男性は、その彫りの深い体でずんずんとこちらに歩み寄る。


「あぁ!わざわざご足労頂き、ありがとうございます。このギルドのまとめ役をやっとります。ドルガです」


 巨体とは裏腹の腰の低い挨拶に、ジェイムスは少し面を食らう。が、すぐに持ち直して握手をしようと手を差し出した。


「ジェイムスです。よろしくお願いします」


 ドルガは差し出された手を力強く掴むと「どうぞ」と言って、ギルドの中にジェイムズを招き入れた。


 ギルドの中はこの暑い季節にはありがたいほど開放的であり、涼し気な風がひっきりなしに行きかっていた。ドルガ以外に人はいなかったらしく、机には大きな地図と、コップがポツンと置いてある。


「どうぞこちらへ、今お茶をお出しします」

「あぁ、ありがとうございます」


 案内されるまま椅子に座り、出されたお茶を飲んだ。喉が渇いていたジェイムスにとって、これほど上手い飲み物はない。それにしっかり濃くて、もてなしの心を感じる。


「それで…エーオースについてなんですが」


 茶の味わいもそこそこに、ドルガが口を開く。


「アレはここから3㎞ほどさきの、森の中に出ましてな。一週間前にたまたま薬草取りに行った薬師が発見し、報告を受けたというわけです」


「発見…」 ジェイムスは口元を指で抑えた。


「発見したのは一週間前で、出現自体はもっと前の可能性がある?」

「…えぇ、実は一か月前にスライムの発見報告がありまして、その時は他のエーオースから流れてきたんだろうと思ってましたが。そのスライムがアレからだとすると、少なくとも一か月」

「一か月か…」


 一般的な常識として、エーオースは『広がる』。平均以下の、例えば3m規模のエーオースだろうと、極論千年間放置すれば、前述した入口30m級のエーオースに匹敵するくらいの規模になる。そして厄介なのが、そうやって広がったエーオースの、入口の大きさは変わらない。まれにある事例として、初心者がたまたま見つけた小規模エーオースに足を突っ込んだら、それが10年間放置されていた場所で、大怪我して帰って来る、というのがある。

 さらに、放置されたエーオースの厄介点としてもうひとつ。『魔物を出し続ける』のがある。エーオース内で発生した魔物が、ゾロゾロと外に出てくるのである。


「もしかすると、既に結構な魔物が出てきてるかもしれませんね」

「えぇ。実際目撃例も増えてまして。今のところはカテゴリーEのモンスターばかりですが…」


 魔物はその危険度別に、カテゴリーで分けられている。一番上がA、下がEと言った具合にね。


「なるほど。でしたら外に出た魔物はそちらで対処して頂き、こちらはエーオース自体を処理するといった形でどうでしょう」


 ジェイムスがそう言うと、男は願ってもないといった顔つきで大きく頷いた。


「はい!是非そうしてください」


 男は立ち上がると、再び力強い握手をジェイムスと交わした。

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