鬼神羽織り
「『アズドラマズダ』」
その言葉とともに、イナギタナカの体に赤い牡丹の刺青が浮かび上がった。
「わぁ…」
牡丹からは葉脈が這うように『ミシ…』『メシ…』赤い線が広がっていき、イナギタナカの体をゆっくりと染めていった。だが、その染め上がりを待つことなく、ウズラの膝がイナギタナカの顎を打つ!
「!」
ウズラの膝に、まるで巨岩を打ったような痛みが走る。顎が一切動くことなく、ウズラの膝を受け止めたのだ。
「見事だな。私にこれを使わせるとは」
「へぇ : ) 一応手加減してくれてたんだ やっぱり僕が子供だから?」
「勘違いするな。『アズドラマズダ』を使ったのは、この地区に入って初めてだ」
その時、ウズラの細い足首をまるで万力のような強い力が締め付けた。「!」 あったのは…イナギタナカの片腕。鞘を地面に落としフリーになった腕で、ウズラの足を掴んでいた。骨がきしみ、掴まれた位置から血液循環が止む。じきに足先も痺れてくるだろう。
だが痺れを待つことなく、イナギタナカはウズラを振りかぶって大きく投げた!
『ビュオッッ!』 ウズラの耳を風切り音が支配する。視界は皮肉なことに『オール亜音速・The・ブレイブ』を客観視したような横線だらけのものに変わり、イナギタナカの赤色だけがやっと認識できた。
「ばーーか!!」
投げ放たれた空中で、ウズラは虚勢を張った。しかしあながち100%の虚勢ではない。
彼の『オール亜音速・The・ブレイブ』の弱点として、拘束に弱いというのがある。移動できる状況に無ければ、当然ながら彼の高速移動は使えない。まさに拘束に弱い高速移動←プァッキュー。
つまり先程のように足を掴まれた状態では、ウズラは本当にただの子供になる。それをわざわざ振りかぶって投げたのだから『ばーーか』という言葉はウズラにとって当然の罵倒だった。
ウズラはそのまま地面に着地。
「…思い出した 『アズドラマズダ』」
警戒していた追撃も無い。
ウズラは目の前の、体に牡丹を飾った男に言葉を投げた。
「『アズ・ドゥ・ラ・マズダ』 遠い国の神様で 意味は『怒り震える女性の脈』」
「ほぉ、驚いたな。何故知っている」
「前読んだ本に書いてあった」
「そうか。本は好きか?」
「好き…だと思うよ 分からない 書いてることも少ししか読めなかったし」
ウズラは締め付けられて赤くなった足首を見た。とんでもない握力。おそらく投げられなければ骨を砕き潰されていただろう。しかし、結果として骨は潰されず、皮膚が赤らむだけで済んでいる。
「このゴにおよんで まだ手加減するんだね : 」
「当然。お前は子供だからな」
「…あっそ ウザいねオジサン」
言い放ち、地面に落ちていた刀を指さす。
「拾いなよ 僕も手加減してあげる」
「…殊勝な心掛けだな」
イナギタナカは腰を曲げると、自らの愛刀『白狼鬼』を手で迎えに行った。その瞬間!
「『オール亜音速・The・ブレイブ』!!」
加速! しかし今度は前みたく遊ばない。真っすぐに、ストレートに、イナギタナカに向けて一直線!
「じゃあねっ! ばーいばい」
腰は曲がり、イナギタナカは頭を差し出している。その顔面を蹴り上げるように、ウズラは足を上に振り上げた!
が…止まる。振り上げた足が、手に阻まれる。しかし妙なことだ。イナギタナカの手は現在、刀を迎えに行くのに使われているはずでは?
「3…本目?」
ウズラの足は、まるでマネキンのような球体間接を持つ不気味で真っ赤な腕に掴まれていた。『カココ…』 木っぽい喉を鳴らしたような音がして、腕は手の一指ずつをウズラの柔らかな肌に食い込ませていく。
「奥の手だ。文字通りのな」
『アズ・ドゥ・ラ・マズダ』
4本腕の神様。赤い皮膚を持ち、仮面をつけていて性別は分からない。逸話によって体つきも違うため、名前の由来である『女性の脈』がどこから来たのかは不明。ただ伝承につき分かっていることとして、同じ神話の別の神様に敗北し、体に牡丹を植え付けられたとある。牡丹はやがてアズ・ドゥ・ラ・マズダの体を埋め尽くし、美しい牡丹そのものに変えるらしい。
「ちゃんと覚えとけばよかった」
「何事も学びだな。ウズラ」
イナギタナカは悠々と刀を拾い、鞘からスルスルと刃を出した。不思議と前に抜かれたときのような悪寒は無く、いかにも刀らしい反射光だけが見える。
「切るぞ」
「好きにしたら? 確認なんか取らずにさぁ」
瞬間! ウズラの靴がバラバラになって地面に落ちた。『ペシ ペシ』 ちょっと硬めの靴切れが地面に…『ゴン!!』 いや、靴切れだけじゃない。何やら黒い塊も落ちている。
「チッ…」
「なるほど、妙に足技にこだわると思ったら。こういう事か」
そこにはあたかも靴の中敷きヅラして、ウズラのサイズに合わせて作られたような金属のプレートがあった。ウズラはこれを靴に入れることで、その攻撃性をマシマシにしていたのだ。
「もう片方にも入っているのか?」
「さぁね 切ってみたら? あ~あ せっかく買ってもらったのにな」
「ロクでも無い物を」
「しょうがないでしょ! 僕は速く動けるだけなんだよ!」
「金槌でも持てばよかろうに」
「ハンズフリーが条件なの!!」
「あ…」 ウズラは急いで自らの声を押し戻そうとした。だが時すでに遅し。
「ほぉ、そうかそうか」
イナギタナカは口元を『ニィ』と曲げて笑うと、したり顔で頷いた。すると残ったもう一対の球体関節型の腕が、イナギタナカの服を『ビリリッッ』破く。
「ならばこれで、お前はただの子供というわけだな」
イナギタナカはウズラの手を引き寄せると、その手の内に千切った布とで鞘を縛りつけた。もう片方の手も同じように鞘に縛る。
最終的にウズラは、体に対して大きめの棒を持つ小さな従者のようになった。
「こんなの すぐにでもほどいてやる」
「私の目の黒いうちは無理だな」
ウズラは生真面目にイナギタナカの黒目を見た。その瞳孔を前にして、鼻で笑う。
「へぇ! なるほど オジサン案外趣味悪いんだね こんな状態で僕を放って ナブり殺されるのを見てるんだ」
「それは無い。お前はミセシメが終わるまで、私が面倒を見るからな」
「はぁ?」
「お前は私が守る」
ウズラの目が一瞬丸くなった。だが、それもすぐに暗く戻る。
「ウソだね」
「ウソではない」
「ウソウソウソ」
「ウソではないウソではないウソではない」
イナギタナカはウズラの持つ鞘を指さした。
「私はお前を守る。代わりにお前はその鞘を守れ」
「守るって オジサンが勝手に結んだんでしょ!」
「知らん。何故だかお前が持っているだけだ」
「こんな棒…叩き折ってやる」
「それは困るな。愛刀の帰る家が無くなってしまう」
「家…」 ウズラは手の内の鞘を見た。豪華絢爛というワケではないが、それなりに飾りなどがあしらわれた、静かに存在する家だった。
「地味な家だね」
「失礼な。白狼鬼が怒るぞ」
「ハクロウキ?」
「この刀の名前だ。白い狼に鬼と書く」
イナギタナカは空中に指筆で漢字を書いた。ウズラの目が指先に付いて動く。
「白狼鬼は寒がりだからな。鞘がないと泣いてしまう」
「刀が泣くわけないでしょ」
「泣くさ、ホラ。『ウズラクーン、ボク、イエナイト、サミシー、エーン』」
「…ふふっ めっちゃ声高いじゃん」
童は笑った。それを見て大人も笑う。
「はは、そりゃあ刀だからな。声は高い」
「どういうコト?」
「打つとき、カーンカーンと鳴るだろう。まさか刀がどう作られるか知らんのか?」
「知らないよ 教育とか受けてないし」
「そうか、ならば教えよう。刀…いや、剣のことをな」
イナギタナカは戦い前に座っていた塀に腰を下ろし、隣にウズラを座らせた。そして剣について教えた。白狼鬼の由来や、兄弟刀の存在。逸話。伝説の剣豪。子供に合わせて少し昔話風にアレンジすれば、ウズラは活き良く食いついた。頷き、次をねだり、笑う。当たり前のことだが、子供のように。
イナギタナカにとって、久しぶりに剣術が人殺し以外で役立った瞬間であった。
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