酒気帯び関数 と 透過率100%の悪夢
「はぁ…はぁ」
カンバラは自らの切れた息を、自販機に手を付くことで静めようとした。『ぴっ』 たまたまボタンに手が当たって、目覚めたように自販機が値段を表示する。だが そんなことには気にも留めず、カンバラは夢中で息を整えた。「はッ、はっ、はぁ~」肺に溜めた二酸化炭素を、存分に排出する。
「落ち着け…大丈夫、ダイジョウブだから」
心に喝を入れようと胸骨を叩き、勇ましく背を伸ばした。結果むせた。
「げほッ…」
「ちょっとちょっとボーイ!そんなんじゃ自分で自分を殺しちゃうわよん?」
「!」 カンバラは急いで自販機の影に隠れた。すると同じ声で、辺りに快活な笑い声が響く。
「こっちよ」
声の方へ目を向けると、自販機の上に酒の瓶を持って あぐら をかく女の人が居た。女の人はカンバラの顔を見ながら『グビッ』ひとつ酒を呑んで笑う。アルコールの気配が、咲くように辺りに散らばった。
「気付いてよ~。ずっと上に居たんだゾ? アタシ影は濃い方だと思うんだけどな~」
そう言ってまた呑んだ。「は~ッ」 その態度を見て、カンバラはパネル…8bitサングラスをかけた女のことを思い出していた。緊張感の無さというか あっけらかんとした態度というか、似ている…と、ここでカンバラは我を取り戻し、急いで女の人と距離を取った。
「グリーンプルの人ですか?」
女の人は笑った。今の所カンバラの対応全てに笑い声で返しているわけだが、中でも今回はちょっと長めに笑った。「バカヤロー!アタシはこんなダッセェ緑ネクタイ着けねえってのぉ」 そう言って『ぺちゃッ』何かを地面に投げ捨てる。
捨てられたのは、所々に赤いシミの付いた緑色のネクタイだった。
「 ! もう…ですか?」
地区内に入ってから まだ15分くらいしか経っていない。しかしその赤いシミは確かに血だった。「う…」カンバラは思わず目を背ける。まるで注射されている腕を見る時のように、目を細めて端で確認した。
「グリーンプルの奴らはねぇ、全員がこのネクタイを着けてるのよ。仲間意識を強めるためだとかナントカ」
「殺したんですか?ネクタイの持ち主」
「…くっ、あっはっはっはっは!! なにそれ!」
女の人は自販機から飛び下りるとカンバラのもとに寄った。カンバラは少し後ずさりしたが、朗らかなその顔とアルコールの匂いに説得されて立ち止まった。
「アタシ仙賀、『センガ・カスミ』。よろしくね!」
仙賀は自己紹介をして、酒瓶を差し出した。「おっと、違う違う」引っ込めて、空いている方の手を出す。
「握手だよ、ホラホラ」
「…カンバラです。よろしくお願いします」
出された手を掴み、礼儀正しく一礼した。仙賀はその間にも一度酒を舐め、喉に追い込みながら「うんうん!」頷く。
「カンバラ君ね、了解了解。しっかし君 細すぎだねぇ。この酒瓶の飲み口くらいしかないんじゃない?」
流石にそんなワケ無いのだが、カンバラは「どうですかねぇ」なんて言って首を傾げた。するとそれを見て仙賀も首を傾げる。しかし何か疑問があるわけでは無く、どうやらカンバラの顔を観察しているらしい。目が合うと水晶体まで貫かれそうな視線が飛んできた。
「あの…」
「ねぇカンバラ君。あのネクタイ踏める?」
仙賀はさっき地面に捨てた緑のネクタイを指さした。
「踏めません」
カンバラはすぐに首を横に振った。「どうして?汚いから?」仙賀は真っ直ぐにカンバラを見ている。
「…一応、人の遺品みたいなものですから」
「ふーん」 仙賀は膨らました頬を酒瓶の口で押した。
「珍しいな~」
と、その時。『パンッ!』自販機の置いてある横の階段上から、風船の弾けるような音がした。「…」 2人はその方角へ、神経を研ぎ澄ませる。まさか今この地区でバルーンアートしてる奴なんているハズがない。いるのは相手を殺し、自分が生きることだけを考える 剥き出しの生存欲求だけだ。となればこの音は その剥き出しが弾けた音に違いない。
「行くわよ」
仙賀が言った。カンバラは頷く。「はい」
「へぇ、ネクタイは踏めないのにトラの尻尾は踏めるんだねぇ。見かけによらず男らしいじゃん」
「仙賀さんを一人で行かせるのも、嫌ですから」
「あら…上手く返されちゃった」 これには意外と笑わず、仙賀は酔っぱらった赤い顔のまま階段へと歩き始めた。
階段を上った先は公園だった。黄色の滑り台、赤いシーソー、青い鉄棒。積み木箱をひっくり返したような原色のお祭り騒ぎだが、全部汚れているので統一感はある。砂場には避難した住人の残した小さな城が建っているが、すでに3分の1が砂に戻っていた。
「ヤ~な風だなぁ」
上がりきって公園を見渡し、仙賀が酒をあおった。
「誰か死んだね。死体無いけど」
仙賀は千鳥足のまま前へ進んだ。公園の地面に『ザッザッ』足が着くたび、跡と音が渇いて響く。カンバラはおっかなびっくりと、少し姿勢を縮めて その背中に付いて行った。黄色の滑り台、赤いシーソー、青い鉄棒。黄色の滑り台、赤いシーソー、青い鉄棒。何度も視界を揺り動かしながら、息をのむ。
「分かるんですか?人が死んだ場所とか」
「あったりまえでしょ!何というか、肌が擦れる感じがするの」
仙賀はそう言うと、水飲み場の蛇口に手をかけた。
「…水飲みたかっただけじゃないですよね」
「はっはっは! まっさかぁ。見てなさい」
『キュイッ!』 仙賀が蛇口を全開に捻ると、上に向かって水が『シュワッ!』噴き上がった。水は空気のハイライトを帯びて、透明なまま空に向かって手を伸ばした。そして届かなかった指先から、大粒の水滴が涙のように落ちてくる。その源泉を仙賀は指で押さえた。「うわっ!」
スプラッシュ! 水が勢いよく辺りに散らばり、カンバラ含めたその辺の物を一斉に濡らした。「あっはっは!」 プール掃除でホースを持ってイタズラする学生のように、仙賀はびしょ濡れたカンバラを、同じくびしょ濡れた腹を抱えて笑った。
「何するんですか!」
「いやいや、ごめん。でも お陰でよく見えるわ」
「?」 カンバラは仙賀の視線が自分ではなく、肩を越した背後を見ていることに気付いた。冷たい風が濡れた服を触る。カンバラは体で振り返ることもせず、仙賀に尋ねた。
「何が見えるんですか?」
「分からない。ただそこは危ないかも~」
カンバラは即座にその場から駆け出した!すると『パンッ!』さっき聞いた何かが弾けるような音が、かつて自分の居た地面痕から聞こえてくる。少し振りむいて確認すると、硝煙のようなものが地面から立ち昇っていた。いや、しかし!それよりも気になったのは…硝煙の奥!
水滴が単体で浮かんでいる。
「様子見なんてしてるからこうなるのよ」
ダッシュで仙賀の下に駆けるカンバラ。しかし仙賀はそのカンバラを待つことなく、すれ違いの形で浮かんだ水滴の下へダッシュ!足のバネを溜めて、一気に開放。突風に後押しされるように素早く距離を縮めた。
「『
仙賀は唱えるように呟き、自らの手を広げて浮かぶ水滴を叩いた。
「『シークァーサー・
その叫びとともに、仙賀の隣にミドリ色の人型が現れた!
ミドリ色の輪郭はむやみに拡散されること無く、まるでネオンライトのように光っている。その姿は背丈などからして仙賀を型取ったモノのようだが、立ち振る舞いは酔っちくれた仙賀と違い さながら往年の拳法家のようにピッシリ軸通っていた。しかも!ただ突っ立っているだけではない!
ミドリは拳法家の構えから偽りのないほど、月の弧を描くような美しいハイキックを繰り出したのだ!そして全く同タイミングで、仙賀本体も固めた握りコブシを、水滴めがけ一直線!!
「お゛あ゛ッッ!!?」
2人の攻撃が同着でヒット! 公園内に覚えのない声が響き渡り、『カァンッッ!』仙賀とカンバラの上って来た階段手すりまでブッ飛んだ。すると水滴の位置。まるで風景画に溶解液をかけたように、ドロドロと敵の正体が溶け出してゆく。
女が、大きな鎌を持って倒れていた。その鎌には乱雑に緑のネクタイが結ばれている。
「『グリム堂』かぁ」
仙賀が言った。その横ではミドリが役割を終えたランプ魔人のように、煙となって宙に帰っていった。
「グリム堂って『グリム堂デスサイズ本舗』のことですか?」
「そうそう。所属してる奴らが全員大きな鎌を持った、目立ちたがり屋の死神集団」
ネオンバルシティには様々な事務所が存在する。8bitサングラスの勤め先のようにボロッちいテナント事務所族もいれば、大きなビルを丸々一棟買い上げている事務所もある。グリム堂デスサイズ本舗もその多数事務所の一つで、規模としてはかなり大きいトコロだ。
「う…」
大鎌の女が動いた。「…」カンバラはギュッと眉をひそめる。生きている以上は、殺さねばならない。そしてその役目は、自分達が負わないといけない。カンバラはポケットからナイフを取り出した。
「…」
そして黙った。仙賀はカンバラの方を見て、笑う。
「せっかくだし、やってみなよ」
仙賀はカンバラを好奇心旺盛な目で見た。すると その時 『ピン…ピン…』 キッチンタイマーが数字を0にまで近づけるような音が、目の前に倒れる大鎌の女から聞こえた。
『
瞬間! 辺りを無差別に巻き込みながら、ブラックホールのような黒い塊が大鎌女を包み込んだ。辺りの地形を削り、硬いコンクリートさえ豆腐のように削られていく。「危ないっ!」カンバラは仙賀の腕を引っ張って、その場から離れようとした。しかし仙賀は静かに首を横に振る。
「大丈夫。コレは攻撃じゃなくて証拠隠滅だから」
カンバラは何のことか分からず、改めて大鎌女の方を見た。すると、無限に膨張していくように見えたブラックホールは、意外に小さく収まったまま止まり、今度は逆に素早く縮小していった。
「…」
ブラックホールが縮みきると、残されたのは空間だけだった。
「グリム堂はこれが売りだからねぇ。厄介だよホント」
「…すいません。自分が遅かったから」
「あはは!カンケーないカンケーない!」
特危者が首輪をつけられ、管理されているという話はした。しかし何も特危者だけが管理されているわけではない。この街には見えない首輪に繋がれて、生き死にさえ好きに出来ない連中がわんさかいる。大鎌の女も、その内の一人だったのかもしれない。だが同情するなかれ。同情しても「だったら黙って殺されてくれ」で終わるのがオチだ。
「ちゃきちゃき次行って、とっとと終わらせちゃおう!」
仙賀が酒瓶を掲げ、威勢よく笑った。瓶は太陽でブラウンに透け、中の液体が『ちゃぽん!』大きく跳ねる。カンバラは持っていたナイフを畳んで、ポケットに仕舞い込むと
「はい、頑張りましょう!」
そう意気込んで 手をグーにして胸骨を叩き、勇ましく背を伸ばした。結果、むせた。
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