象形文字の逆流 と 大海を混ぜる王の水流


『グリーンプル地区内』

 不気味な静けさ。まず思い浮かぶのがその言葉だろう。太陽があるのに血潮は透けず、水に濡れた服を着たように寒い。ミセシメの情報が出回った時点で、おそらく住人は皆逃げおおせた。今この地区に居るのは、目と神経が剥き出しになった狂戦士…だが、その内側はヒツジと変わらない。演技し、自らを鼓舞しなければ、今にでも動けなくなる。ハリボテの狂気が、服を着て歩いた。


「…」


 ダムボールは自らの髪を撫で上げた。そして「チッ」 舌打ちし、地面のコンクリートを『パン!』踏みつけて、足からの衝撃を体に渡す。体の震えを打ち消すために。


「こうゆうときゃタバコが欲しくなるぜ。まったく、ヤメるんじゃなかった」


 昔はダムボールも喫煙家だった。しかし子供の生まれた今、ただでさえ空気汚いこの街でタバコはNG。最初はもちろんキツかったが、ストレスは子供の笑顔でかき消した。


 ダムボール、カンバラ、パネル、イナギタナカ。4人は地区内に入ると、それぞれバラバラに行動を始めた。パネルは気付いたらいなくなっていて、イナギタナカは『一人がやりやすい』と言って去った。意外だったのはカンバラで


『スイマセン、自分も一人がいいです』


 と、キッパリ言って一礼し、そのままどこかへ小走りで去っていった。


「自己紹介した意味ねぇじゃねぇか」


 はき捨てるように呟く。だがどこかで心強かった。会ったのはほんの数十分前なのに、この地区内で同じ空気を吸っていると想像するだけで、自然と昔なじみのように仲間意識が芽生えた。


「うわっッッ、あっあっあッ」


 目の前の通路から悲鳴が聞こえた。男が尻を引きずりながら、何かを見上げて後退している。ダムボールはそれを見て、急いで電柱の陰に身をひそめた。そしてポケットから油性のマジックペンを取り出す。


「だれカ『プチっ』」


 男が巨大な拳に潰されて、多分死んだ。地面には汚れのような赤色が付き、ゆっくりと持ち上がる拳からは同じ赤色が滴った。拳はそのまま随分と高くまで上がり、やがて制止する。その時には既に、最後に缶ジュース飲み干すときのように大きく口を開けて上を向き、拳から滴るヒト汁を飲む鬼が見えていた。


「オーガ…メンドクセェ」


 ダムボールは鬼の顔をバレないように観察しながら、ついぞ震え始めた歯で下唇を噛んだ。


 リザードマンという存在がいた以上、この街には怪物も多い。というかネオンバルシティにおいては別に普通のことで、怪物の突飛な身体能力を活かすなら この街は最適の、大規模ファイトクラブだ。見た目から追いやられた奴。自分から来た奴。その2つがこの街の普通を形取っていた。オーガもその内の一種だ。圧倒的なパワーに巨体からくる威圧感。『圧』という一点において、オーガに勝る種は無い。唯一欠点があるとすれば


「あ゛は、あ゛ッハッハ!」


 自分より小さい生き物を、オモチャ程度にしか思っていないところだ。


「アイツはダメだな。最後に全員で掛からねぇと」


 ダムボールは引き返そうと、後ろを振り向いた。その時


「『全員』だなんて、随分楽観的な指標ですねぇ」


 「!」ダムボールは即座に、躊躇なく電柱の陰から跳び出した。幸い汁に夢中のオーガには気付かれなかったが、代わりにダムボールが敵の存在に気付く。


 後ろに立っていたのは…スーツに緑のネクタイをした、フルフェイスヘルメットを着けた人間! 声からして、多分男だろう。手には3mくらいの棒を持っていて、身長は人にしては大きいダムボールと同じくらいあった。


「わざわざ、声掛けてくれてアリガトな」

「えぇ、えぇ。やはり人に感謝されるのは気持ちがいい」


 フルフェイスは噛みしめるように頷くと、長い棒をさすって肩に担いだ。緊張感が場を支配する。ダムボールは持っていたマジックペンのキャップを、フルフェイスに見えないよう背中側で外した。しかしそれでも、神経の高まったこの場では当然バレている。証拠にフルフェイスが首を『グルッ』回した。


「私はね。人に感謝されることが生きがいなんです。貴方を殺して、イングリッシュを殺せば、上から感謝されますよね? それが良いんですよ」

「俺を殺さないでくれたら、俺が感謝するぜ?」


 フルフェイスは笑った。


「同じ感謝なら、付き合いの長い方からの方が嬉しいですねぇ」


 ダムボールが持っていたキャップを地面に離す。キャップは下に重力任せで落ちていった。しかし、交感神経の高まった両者五感の中において、キャップは粘性の水溶液を進むようにゆっくりと落ちる。その終わり。すなわちキャップが地面に着いて弾かれたとき…両者は既にその場に居なかった。


「チッ!」


 ダムボールは走りながら、自らの手のひらにマジックペンで『漢字』を書いた。その文字は…『火』。後を追うフルフェイスは既に担いでいた長い棒を槍のように持って、ダムボールのすぐ後ろにまで来ていた。ダムボールは急ブレーキをかけ、その腕で地面を殴りつける。


「『字由字在ジユウジザイ』のウルトラパワーだぜッ!」


 瞬間!大きな火柱が突如として現れ、フルフェイスとダムボールを分断した。「…」 フルフェイスの黒いシールドが火の明かりで染まり、メラメラとオレンジの不定形を映す。ダムボールはその隙に、手のひらに新たな漢字を書いた。さっきまであった『火』の文字は既に消えていた。


「時間稼ぎですか?煩わしい」


 フルフェイスは3m棒を構え、横一閃に薙ぎ払った。龍が横切ったのかと思うほど突風が吹き、火柱が少しの間途切れる。その僅かな隙に、フルフェイスは火を越えた。だが、予想外にもダムボールはまだそこに居た。てっきり時間稼ぎの火柱かと思ったが…フルフェイスは3m棒を構えた。


「…」

「…」


「後ろ…でしょうか」


 再び横一閃!しかしその一撃は前にいるダムボールに対してではない。腰のひねりを存分に これでもかと加え、後ろの空間に向けて振り払ったのだ。結果、後ろのダムボールのジャケットが、綺麗に横に傷を負った。


「ケッ!素晴らしいカンをお持ちのようで…それとも何かやったのか?」

「私のは貴方のほど使い勝手が良くないので。まぁこのまま長引けばジキに教えますよ」


 ダムボールの手の平にあった『幻』の文字が消えた。

 『字由字在ジユウジザイ』、宇宙字在じゃないよ、似てるけど。手に平に漢字を書いて殴りつけることで、文字にならった効果が出る。これのせいでダムボールは漢字の勉強をしなきゃいけなくなったワケだが、後に判明した事実により この勉強は徒労に終わった。


「『切』れろッ!」


 殴る!その先は3m棒!! しかし拳が終着したときには『グルッ!』伸び切った腕を転がるように背を回し、転回したフルフェイスがダムボールの顎を打っていた。「かッ…!」 体が地面に崩れる、脳震トウだ。人体構造必然の条理。しかしダムボールは気合で、拳の面が地面にいくよう手首を固定した。


 固定された拳は、重力の手伝いあって地面を殴った。そして…『切』れる!


「!」


 コンクリートの地面が『ボッ!』『ボッ!』『ボッ!』 ダムボールを中心としてピザカッターで切られたように引き裂かれた。フルフェイスは驚き、思わず自分の足さえ切られてないかを確認。しかしあくまで殴られたのは地面。フルフェイスの足は少しだって切れていない。が…しかし!


「『木』…」


 裂けた地面を殴る!急いで書いたので手には『木』だか『ホ』だか分からない文字が書かれていたが、それでも漢字は無事発現。コンクリートの下に眠っていた土から凝縮したタイムラプスが飛び出すように!一瞬にして木が堂々そびえ立った!


 フルフェイスは生った実のように、木に突き上げられて茂った緑の中にうずまる!ダムボールはそのフルフェイスへ『ざまぁみろ』の一言も無く、間髪入れずに手に漢字を書いた!


「『火』ッ!だぁぜッッ!!」


 自ら生やした木を、自らで殴る! するとその青々しかった木は、夕焼け色の火に包まれて上まで。上まで。源泉が湧き出したように勢い良く燃え上がった!! フルフェイスは未だ枝に突っかかって、身動きが取れていない。


「よし!こいつぁ」


 『勝ったな!』と、この言葉が出る前に、ダムボールは自らの喉を戒めた。勝ってない。目の前の異常事態が、それを告げていた。


 フルフェイスが!まるで『ゴロンゴロンゴロン!』パチンコ玉がクギに弾かれながらも下に行くように『ゴロンゴロン!』枝に弾かれ落ちてくる!その動きは明らかに摂理を凌駕し、物理の一切を無視した動きだった。


「『シロナガス・ステップ』」 どこからかそう聞こえた。


 ガチャガチャのカプセルが出てくるように、フルフェイスが下に落ちてきた。あまりに速い動きだったので火さえも追いつくことが出来ず、その体には火の粉の焦げ跡も一切無い。


「やべッ…」


 動揺を隠しきれない。『あー落ちて来てんなぁ』くらいの感覚でいたら、あっという間に下に居た。お正月もビックリの体感速度である、気を入れ替えねば。しかし、目の前のフルフェイスは1月後半ほど休みボケていない。瞬時に足に力を入れ、長い棒をカーリングブラシのように下に向けた。『このまま突っ込んで来るのか?』…いや、違う。フルフェイスは横にスライドするように軽やかなステップを踏み出した。


「…」


 ステップを踏む。『グルン』『グルングルン』 棒を回し、身体も回す。さながら舞のようだが、一向に攻撃してくる気配がない。ただ少し遠巻きからダムボールを囲い、回っている。ダムボールも最初は妙に思ったが「ビビってんのか」 そう結論付けて、自らフルフェイスの元へ駆けようとした。その一歩目、その体を…大きな衝撃が叩いた!!

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