後を濁してこそ高く飛べるってもんだ


 うっす暗い部屋。窓にはブラインドが垂れ下がって、僅かに差し込む光が観葉植物の誇り被った緑を照らしている。が、それ以外には大した色味もない。強いて言うなら今にも空気に耐えかねて窓から飛び出しそうな青い顔の女がいるくらいだな。


「あ、あのー」


 女は来客用の黒革ソファに縮こまって座り、ゴルフのパター練習をする自らのボスに話しかけた。『カーン』 女の声に合わせてクラブに打たれた玉が 『コン…』 ホールに入る。


「…」


 そうするとボスは黙って、次の玉をクラブで引き寄せる。数分前からこんな感じ、話しかけては無視されて、どうにもこっちや埒が明かない。こうなったときのボスが厄介なことを、女は過去の経験から知っていた。

 堅牢な要塞に閉じこもり、魔法の言葉たる『謝罪』があるまで絶対に口を開かない。メンドクサ。


 しかし、この8bitサングラスの女が簡単に謝らないことを、ボスも過去の経験から知っていた。まさにコウチャク状態…一体果たして、2人の経験した過去においては、どうやってこの状態が解かれたのか…


『ガチャ』 「あ、の、お茶…」


 オレンジのアロハシャツを着た、前髪重めのシオンが入って来た。


「…あぁ、ありがとさん」


 あたかも本当にパター練習に集中していたかのような雰囲気で「ふぅ」 一息つき、ボスは「置いといてくれ」とクラブをゴルフバックに戻しながら言った。シオンは小さく頷いて、お盆にのせた湯飲みを机に移す。


「茶菓子…」「いや、大丈夫だよ」「え、おれぁ食いてぇな」


 ボスが小さな体とは似つかない猛獣のような目を向ける。女は避けるように顔を背けると、舌をちょっとだけ出して肩をすくめた。そして部屋からフェードアウトしていくシオンにだけ見えるよう『ナイス』の親指を立てた。


「さて、じゃあ一息ついでにお話ししようか」

「いいっスね~、女子会ってヤツっスかぁ?」


 戯言には触れることもせず、ボスは女の向かいソファに腰を下ろした。そして腕を使って、奥にまで腰を持っていく。ちなみにボスがソファの深い位置に腰を置くと、未発達な彼女の足では膝を曲げられず、結果的にテディベアのように座ることになる。そしてこの座り方をすると、靴の裏が対面の相手に見えるので、どうでもいい相手にしかこうやって座らない。


「お前、昨日暴れただろ」

「ウッス、暴れさしてもらいやした」


 冗談めかしたテンションでへらへらと笑い、照れくさそうに頭の後ろに手をやる女。その舐め腐った態度から沸き立つストレスを緩和するように、ボスはポケットから取り出した煙草に火をつけた。


「しょうもないことすんな、ガキじゃあるめぇし」

「そりぁボスほどガキじゃないっスけどぉ。いやね、昨日は仕方なかったんですって、飲み屋入ってから財布に金がないことに気付いて」

「誰か呼んで金工面してもらえばよかったろ」

「それが、皆おれからの電話には出ないんスよねぇ」


 当然である。この女からの電話なんて絶対的ロクなもんじゃないし、言ってはみたもののボスだって、実際電話がかかってきたら多分出ない。出そうな人と言えばシオンくらいだが、シオンは陽が沈むとともに眠るので、酒ドコロが賑わう夜遅くにはそもそも起きてない。


「それにねボス。おれぁもっとヘイワテキに済ませるつもりだったんスよ?でも相手が滅茶苦茶乱暴なチキチキバンバンで」

「もういい、分かった」


 お聞き苦しい言い訳を一刀両断し、ボスは天井に向けて煙をはいた。


「店から苦情が来てんだよ。朝っぱらからお客様センターでもねぇのに、ワーワーがやがやクレーム聞かされて」


 社長室のドアから聞こえてきたこの言葉を耳にし、シオンは朝の出来事を思い出していた。

 朝職場にやって来ると、珍しく音楽がかかっている。しかしラップだかお経だか分からないような変な曲だったので、止めようと思いその発信源を探すと、机の上にひっくり返った受話器を発見したのだ。下に敷かれたメモ用紙には『声出さず、放置』と書かれていた。


「ともかくだ。二度とこんなことすんじゃねぇぞ」

「へいへーい」

「返事は『はい』で『一回』だ」

「ハイ!」


 背筋をシャン!と伸ばし、サングラスの奥で目をパチパチさせる。ボスは大きなため息をつくと、見せつけるように首を横に振った。


「お前に仕事が来てる」


 ボスはするするとソファから降りて、社長机の上から一枚の紙を持ってきた。


「『ミセシメ』だ。まぁお前に来てんだからそりぁそうだろうが、余計なもんは壊すんじゃねぇぞ。前みたいに」

「ま…え…?」

「トリ頭かテメェ。あんときゃビル一棟だ」


 女は嫌言もろとも湯呑のお茶と飲み干して差し出された紙を手に取った。紙はホッチキスで止められた3枚。一枚目には相手方のサインとボスの可愛らしい字のサイン。日付、契約文。二枚目にはターゲットの詳細。住所やらなにやら。と、実は普通の依頼ならこの二枚で終わる。ところが理外の三枚目。


「ワオ!こいつぁ良い言葉だねぇ」


 三枚目の紙を見て、思わずグイッとサングラスを上げた。そこには『追加報酬』というサイコーな四文字熟語が書かれており、四人の顔写真が貼ってあった。それぞれ写真の横に金額が書かれていて、全部合わせれば参加報酬と同じくらいの額になる。


「実質二倍ってか!気前良いなぁ」

「そう思うだろ?下見てみろ」


 灰皿に煙草を押し付けるボス。その言葉を元に紙の下の方に目をやると結構大きな文字で『※生け捕り』と書かれていた。


「おい!実質ゼロじゃねぇか」

「ゼロではねぇが、まぁお前にとってはな」


 ボスはそう言うと口角を片方だけ吊り上げて笑った。付け加えて「この際やってみたらどうだ?生け捕り」と聞く。女は「冗談でしょ」と言って、反対に口角を下げた。そして三枚目は破り捨て、ゴミ箱にポイ。


「てか…追加報酬は無しにしても。どうせ受けなきゃなんでしょこの仕事」

「あぁ、お前のサインは私が代わりに書いといたから、あとお前は行くだけだ」

「おれの字あんな丸っこくねぇんスけどね」


 その瞬間! ボスはいつの間にやら持っていたゴルフクラブを女に向けて思いッ切り振り下ろした! 女はそれを避けると、その避けたままの体軸移動でスムーズに所長室から外へ!


「おれは好きっすよ!ボスの字ぃ~」


 最後に一発煽り文言を入れて持っていた紙をひらひらと振ると、女は弾かれたように事務所のドアから駆け出していった。

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